Foo Fighters White Limo - YouTube
しかし、ボディーカラーが何色であれほぼ全ての自動車は、赤い車だと言うことが出来る。その妥当性を度外視すれば。その理由は、2020年9/28の投稿でも書いた。ほぼ全てのクルマのテールランプは赤い。だからテールランプに注目すれば、どんなクルマも「赤い」と表現しても嘘にはならない。勿論正確性や妥当性の面では問題がある場合が殆どになるが。
トップ画像のリムジンも、トップ画像のような真横からの画角では見えないが、プロモーションビデオを見れば分かるように、このリムジンのテールランプも赤い。なので、このリムジンを赤いと表現しても、それは真っ赤な嘘とまでは言えない。勿論正確性に問題はあるが。
もし、このリムジンが何らかの犯罪に使われたとする、そしてそれを小学校低学年の子供が目撃したとして、その子がテールランプに注目し「赤いクルマだった」と証言することも考えられる。それは少し極端な話だとしても、一般的な大人であれば、大抵リムジンを知っているので白いリムジンと証言するだろうし、クルマかロックに詳しければ、キャデラック ブロアムの白いリムジン、フーファイターズのロゴの入った白いリムジンと、更にもっと具体的に表現するかもしれない。しかしリムジンを知らない子供なら、単に白いクルマと言う可能性も充分にある。いや、大人にだってリムジンを知らない人はいるだろうから、白いクルマとだけ言う大人がいることも充分に考えられる。
キャデラック ブロアムの、しかもフーファイターズのロゴ入りリムジン、なんて、ボディーカラーの白以上に対象を限定できる要素だ。日本では特に。白いクルマは巷に溢れているので、キャデラック、フーファイターズのロゴ入り、リムジン、そのどれか一つだけでも、白い、という要素よりも特徴的である。
もし目撃者がこのリムジンを「白いクルマ」とだけ表現した場合、典型的な白いクルマ、例えば商用車や、白いボディーカラーの割合が高いクラウンなどの車種を念頭に置いた捜査がまず行われるはずだ。子供やクルマへの興味や知識が著しく低い大人が「白いクルマ」とだけ証言することもあるだろうが、少なくともリムジンと証言できるところを、捜査を遅らせることを目的として、意図的に「白いクルマ」と目撃者が証言する恐れもある。一般人ならその責任を問われることはなさそうだが、警察関係者等、リムジンを知っていて然るべき者があえて「白いクルマ」とだけ表現すれば、法的な責任は問えずとも、少なくとも道義的な責任は問われるだろう。
これは、人間は言葉に縛られる、ということを示す為の例である。フーファイターズのロゴが入った、キャデラックのブロアムの、白いリムジンを、単に「白いクルマ」とだけ表現することは決して間違いではない。しかしそう言えば正確なイメージは伝わらない。日本では多くの人が、単に白いクルマと言われたら、商用車かクラウンのような車種のどちらかをまず連想するだろう。
このように実際の状況・状態を言葉に置き換えることで、人に与える印象を如何様にも操作することができる。意図せず不正確な印象を与えてしまう場合も間違いなくあるが、前段で示したように、意図的に印象を操作するケースも確実にある。また実際は意図的に印象を操作したのに、不作為を装ってその行為の責任から逃れようとする場合もあるし、実際は言葉通りの意図を込めた表現だったのに、「誤解を招いた」などとして、意図せず誤解を招く表現をしてしまったと言い逃れようとするケースも少なくない。
赤木ファイル開示「重複省いた」 麻生氏発言、事務方が撤回 | 毎日新聞
現在本邦では、麻生という男が8年も副首相兼財務大臣の座に居座り、もう数えきれない程暴言や放言、そしてその撤回を繰り返している。麻生に限らず、いつの間にか日本では、一度吐いた言葉も撤回すればチャラにできる風潮になってしまった。いや、いつの間にかは嘘で、安倍自民党政権以降、政府や与党関係者などに限ってチャラにできるようになった。
しかし、一度吐き出した言葉の影響は、撤回しても決してチャラにはならずに残る。撤回すればチャラにできると考えるのは大間違いで、麻生が暴言・放言をやれば、その後撤回しても、麻生がそう考えていることは周囲に示せる。影響を与えることが出来る。撤回しようとも麻生の意図を支持者らは肯定的に受け止めるし、撤回することで批判を抑制することもできる。
麻生が暴言と放言、その撤回を繰り返すことを、実質的に容認してしまっているのが現状だが、それは、前段で説明したことも黙認してしまっているにほかならない。果たしてそれでよいか。決してよいはずがない。
西村大臣「趣旨十分に伝えられず反省」とツイッターで釈明も…批判やまず、辞任求める声 :東京新聞 TOKYO Web
同じことが西村にも言える。新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言で酒類の提供停止に応じない飲食店に対し、取引金融機関から融資の打ち切りをちらつかせ、休業要請に応じない飲食店を従わせようとした西村は、猛批判を浴びて「趣旨を十分に伝えらなかった」と言い始めた。しかし、ではどういう趣旨だったのか。西村から整合性のある説明はない。理屈をこねくり回してはいるものの、説得力のない「何とか感染拡大を抑えたい、多くの皆様にご協力頂きたいとの強い思い」という話に終始している。
これは、自民党政権関係者が頻繁に用いる「誤解を招いた」話法であり、詭弁であるとしか言いようがない。そして、既に飲食店や酒に関する業種、金融機関に、西村の発言の影響は広がっていて、いくら西村が釈明をしたところでその影響はゼロにはならない。
人間は言葉に縛られる。だからどんな表現を用いるかはとても需要だ。そして一度吐いた言葉は撤回できない。厳密にいえば、撤回してもその言葉の影響はチャラにできない。議論や弁論等、言語表現を生業にしている政治家が、自分の吐いた言葉に対して責任を持たない、又は吐いた言葉の責任を軽んじるようでは、その国は間違いなく三流国だ。