和尚さんは、水飴を小僧さんたちに食べられまいと「毒だから近づかないように」と言いおいて出かけていきます。小僧さんたちは、留守の間にそれを確かめようとして、水飴をすっかり食べてしまいました。さあ、どうするでしょう。
これは、狂言の有名な演目・附子(ぶす)をもとにした絵本の紹介文である。
絵本用に登場人物の肩書等がアレンジされているものの、当然話の内容は元ネタを踏襲している。食べてはいけない水飴(砂糖)を食べてしまった小僧(家来)2人が、和尚さん(主人)に怒られないようにどう言い訳するか、という物語だ。
狂言のぶすには、主人が砂糖を食べられまいとして、桶に入っているのは猛毒だ、と嘘をつく設定があるが、実際に親が子どもに「これは食べてはいけない」と忠告する際には、一般的にはそんなことは言わず、これは誰々の分だから食べてはだめ、とか、1日に食べてよいのは〇個だけ、とか、食べてはいけない理由を率直に伝えるもので、ぶすで家来がやる手法は、現実ではなかなか実践し難い。
また、何も言わずに冷蔵庫の奥深くにケーキを隠しておく、なんてケースもある。で、子供に留守番させておいたら、あざとくそれを見つけて勝手に食べられてしまった、なんてのもよくあることだ。そんなケースにおいて、食べてしまう子どもは大抵、そのケーキが目につかぬように隠されていたことから、勝手に食べてはいけないもの、だと薄々感じつつ、誘惑に負けて手を出す。
例えば兄弟で留守番させた場合など、どっちがそれを食べたか分からないケースなんてのもあって、そんな時に「ケーキ食べちゃった?」
と聞かれた子どもは、自分が食べていなければ「食べてない」と即答する。子どもによっては「自分じゃなくて兄(弟)が食べた」とキッチリ報告したりする。食べてしまったので後ろめたい子どもは、濁すか、不自然な間の後に、消極的に暗に否定を始めがちだ。食べてはいけないものだと認識しておらず、後ろめたさのない子は「食べた」と即答するだろう。
このような反応を示すのは子どもだけに限らない。例えば、「お前○○のこと好きだろ?」と、異性などへの好意を指摘された際に、恥ずかしいとか、浮気を疑われたくないなどの理由で隠したい気持ちがある者は、変な間の後に、かなり消極的な否定を始めるものだ。その間は、これからつく嘘の設定を構築する時間であり、嘘をつくことへの躊躇にかかる時間でもあるだろう。
事前に嘘をつく為の入念な準備をしているとか、詐欺師のように年がら年中嘘をついていて、嘘をつき慣れているとかでもない限り、大抵の人は嘘をつく際に本当のことを正直に話す場合とは異なる反応を見せるものだ。
コロナ感染拡大とオリンピックの関連性 組織委 明言避ける | オリンピック・パラリンピック 大会運営 | NHKニュース
東京オリンピック組織委の高谷 正哲は7/28の会見で、感染拡大と東京オリンピックの関連性について問われ、
感染者の増加は心が痛むが、専門家がオープンなところで幅広く議論しているものと理解している
と述べたそうだ。7/27の投稿で指摘したように、そして今も、都や組織委は五輪関連で複数の感染者が出ても集団感染・クラスターという表現を使わず、メディアもそれに忖度してそのまま集団感染・クラスターという表現を使わないが、選手村や五輪関係者の間で複数の集団感染が発生しており、関連性は誰の目にも明らかだ。にも関わらず、聞かれたことに答えず、「専門家がオープンなところで幅広く議論している」ですらなく、「と理解している」などと、何重にも有耶無耶にしようとする表現を重ね、お茶を濁している。
NHKは「組織委 明言避ける」と書いているが、関連性がないなら、ケーキを食べていない子ども同様に明確に否定しているだろう。つまり、お茶を濁す、明言を避ける、聞かれたことに答えない、というのはそういうことでしかない。
もっと酷いのは首相の菅だ。菅は、東京の新規感染者が3000人を超えて過去最高となった昨日、何かを質問されたわけでもないのに、秘書官に「本日はお答えする内容がない」と言わせてぶら下げりでの質疑を拒否した。
菅首相、東京で最多更新の3000人感染にも「お答えする内容がない」と取材拒否:東京新聞 TOKYO Web
前述の子どもと食べてはいけないケーキの話に置き換えて考えれば、菅の反応は、「ケーキ食べた?」と聞かれてもいないのに、後ろめたさに駆られた子どもが、「僕ケーキなんか食べてないよ!」と唐突に言い出すようなものだ。つまり、聞かれた後に不自然な間を開けて濁す、嘘をつくのよりも、更に稚拙な反応だ。何せ、何も聞かれていないのに「お答えする内容がない」と言っているんだから。もしかしたら「今日は何時に起床しましたか?」と聞かれるかもしれない。それでも答える内容がないのか?
そんな稚拙な反応を首相が示すという、とても深刻な状況に陥っているのが今の日本だ。