また日本政府がアホなことを言いだした。文科省は、オリンピックのメイン会場である新国立競技場での新型コロナの感染リスクに関する、スーパーコンピュータ・富岳を使った飛沫感染のシミュレーション結果を発表した。マスクを着用した観客1万人が競技を4時間観戦した場合の感染リスクは、最悪でも5人以下だというのだ。
ではなぜこれまで屋外イベントも含めて、自粛を要請したり、開催するにしても動員人数に規制を行ってきたのか。優しい目でみれば、シミュレーションをする以前の暫定的な措置ともとれるが、数多くのイベンターや関係者が不利益を被る中で、なぜこれまでそのようなシミュレーションを行ってこなかったのか。もうハッキリ言って矛盾だらけだ。何が何でもオリンピックだけを優遇するぞ、開催するぞ、というアホさ加減しか伝わってこない。
観客1万人がマスクを着ければ新規感染者は1桁? スパコン「富岳」で五輪観戦をシミュレーション - ITmedia NEWS
日本人に限った話ではないが、肩書きに弱い人というのがいて、詐欺師は大抵それらしい肩書きの名刺を用意する。役に立たない劣悪な消火器を売るのに、「消防署の”方から”来ました」と言って消防署の関係者を装いつつ、いざそれを指摘されると「消防署がある方角から来たと言っただけ」とする詐欺などは、最早話のネタレベルなのだが、似たような手口は未だに存在し、引っかかってしまう人は決して少なくない。
ほぼ毎週のように、警察官による不祥事が報道されていて、中には詐欺を働くようなケースもあり、警察官も玉石混交であることは明らかなのに、日本人の多くは、警察官、若しくは元警察官という肩書きを提示されただけで、それが事実かどうかすら調べもせずに信用してしまう傾向が確実にある。
政府がとか、テレビがとか、専門家がなんてのも同じ様に、手放しで受け入れなかったとしても、それらの肩書きで伝えられることを、何となくそうなんだろう、と思ってしまう人が、多分有権者の半分くらいはいるんだろう。
文科省がスーパーコンピューター・富岳を使ってシミュレーション、ということにも似たような構造がある。少なくとも、政府は肩書きの効果を狙ってそれを発表していると考えて間違いない。
このシミュレーション結果の発表について、こんな漫画をツイートしている人がいる。
富岳くん、計算する pic.twitter.com/eyCC0bLf06
— ○イジー (@daisycutter7) July 6, 2021
実際に文科省の富岳を使ったシミュレーションが、風が常に後から前にしか吹かず、全員が一切マスクを外さず、等間隔を厳密に維持し、トイレにも行かず、入退場も無視し、会話も一切しない状況だけを計算させたのかは定かでないが、文科省が発表したのは、一切動かないマネキンを並べたかのような状況における感染リスクについてだけだった。つまりこういう揶揄がなされて当然だ。
このようなことを加味すれば、発表を真に受けるのは、天下の文科省が、富岳というスーパーコンピューターを使ってシミュレーション、という肩書きに騙されることにほかならない。そして、このシミュレーションを基にオリンピック開催を正当化できるのなら、それ以外も全ての屋外大規模イベントは開催可能だ。しかし政府はこれまで自粛を強いてきた。罰則までチラつかせていた。それがおかしいということは、小学生にも分かるのではないか。そのような詭弁を、というかもう詐欺と呼んでもいいことを、文科省がスーパーコンピューターを使ってやっている。
スーパーコンピューターを使うのなら、風向きは常に変わることを加味するべきだし、会場内での人の動き・発声を予測して加味すべきだし、どの程度の人がマスクを付けられないかも加味すべきだ。そういうことを加味しないなら、普通のパソコンどころか、手計算だってシミュレーションできそうだ。
更に言えば、観客はテレポーテーションして突然会場に転送されてくるわけではなく、影響は会場内だけにとどまらないのだから、会場外での人の移動まで加味して感染リスクをシミュレーションすべきだ。それが高い処理能力のあるスーパーコンピューターを利用してシミュレーションする意義だろう。逆に言えば、そのような条件でシミュレーションしないなら、スーパーコンピューターという肩書きを恣意的に悪用したいだけ、と言われて当然だろう。
別の観点から、文科省や萩生田、というか政府のスーパーコンピューターの使い方を考えてみる。どんなに高性能なコンピューターがあっても、そのオペレーターがへぼだと、コンピューターは正確な答えを返してこない。すごくかみ砕いて言えば、一般的な電卓を使う際には、数式の計算には、かっこの中>かけ算・割り算>足し算・引き算 の順で計算する、という算数の基本的なルールを意識する必要があり、それを意識せずに漫然と数式を前方から計算機に入力すると、正確な解が導きだせない、ということだ。
どんなに高性能なF1マシンでも、それを乗りこなせる腕を持ったドライバーでなければ、その真価を発揮させることはできない。一般的なドライバーは高性能なレーシングカーを速く走らせることはできない。スーパーコンピューターだって同じで、コンピューターはあくまでも計算機であり、正しい条件、実態に即した条件を与えなければ、正確なシミュレーション結果を示さない。使う側にも能力が要求される。
結果ありきで条件を設定すれば、コンピューターは人間がシミュレーション前に意図した結果を返してくる。しかしそれはスーパーコンピューターを使いこなしているとは言えない。印象操作、プロパガンダ用にコンピューターを使いこなしているとは言えるかもしれないが。
つまり、今回文科省は、5/31の投稿などこれまでに何度か取り上げてきた、井崎 脩五郎の競馬予想を、スーパーコンピューターを使ってやったに過ぎない。井崎 脩五郎の競馬予想とは、自分が勝って欲しい馬にとっての好材料だけを集め、都合の悪いデータは無視して行う予想手法のことだ。
現在の自民政権は、コロナ危機以前から自分達に都合のより情報ばかりを集め、重視し、都合の悪いことは無視する傾向が強かった。都合の悪いことを極端に、又は全く無視することは、確実に間違いの素である。そんな現政府を容認するのは、井崎 脩五郎の競馬予想に自分の家を賭けるようなものだ。
ざっと調べただけだが、大手メディアにこのような指摘、批判は見当たらなかった。政府だけでなく、メディアもバカになってしまっているのが今の日本だ。