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今そこにある、2つの危機的な ”たらいまわし”

 たらいまわしとは元来、寝そべって上に向けた脚でたらいを回す曲芸のことを指すが、現在ではその元来の用法よりも、面倒な案件や関わりたくない案件を関係者が押し付け合う責任逃れの様子、を示す用法の方がより一般的になっている。また、急患や救急車などが、満床や担当できる医師の不在などを理由に診療・治療を断られ続ける様子を指すこともある。


 今日本では、関係者らの責任逃れと医療現場におけるたらいまわしの両方が起きている。 

感染疑いで“たらい回し” 搬送に6時間のケースも|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

ワクチン接種、急な“副反応”に「たらい回し」も - YouTube

救急患者 “受け入れ困難” 都内は1か月で2倍余に|NHK 首都圏のニュース

 1つめのテレビ朝日のニュースは4/14、次のTBSのニュースは6/22のものだ。今はその頃よりも更に状況が悪化しており、国内の1日あたりの新規感染者数はこの1カ月で約3倍にも増え、過去最悪を更新し続けていて、3つめのNHKのニュースは、都内では急患の受け入れ困難、つまりたらいまわしにされるケースが、8/3の時点で1か月前比で2倍以上になっていると報じている。これが今日本で起きている医療関連のたらいまわしだ。


 そして、この新規感染者数の急激な悪化、そしてそれによって引き起こされている医療現場でのたらいまわし、言い換えれば医療崩壊の責任に関して、政府中枢で責任逃れ・責任転嫁・責任のなすりつけ合いの方のたらいまわしが発生している。
 政府は新型コロナウイルス新規感染者の急増、感染の爆発的な拡大を受けて、入院を重症患者らに絞り込み、中等症以下は自宅療養を基本とする方針を8/3に示した。しかし、中等症とは酸素吸入を必要とするレベルの患者を指し、中等症から重症を経ずに死に至る場合もあるそうで、中には重症=危篤と言う医療関係者もいる。また、家族のいない一人暮らしでは急変に全く対応できないこと、家族同居なら家族全体に感染が拡大することがほぼ確定的であることなどを理由に、この方針への批判と強い反対論が巻き起こった。

これを受けて、昨日8/4にまずは厚労大臣の田村が、国会閉会中審査で方針の見直しを示唆した。

「自宅療養」方針見直しに言及 公明議員は撤回要求―田村厚労相:時事ドットコム

しかし同日、首相の菅は「病床を一定程度空かせて、緊急な方に対応しようということだ。丁寧に説明して理解してもらう」と方針撤回を否定。事態は混迷を極めている。

中等症患者の入院制限方針 与野党から撤回要求 首相は否定「丁寧に説明」:東京新聞 TOKYO Web

 また菅は、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が、入院対象を重症者らに絞り込む方針を事前に相談されなかったことについて「今初めて(聞いた)。厚生労働省で必要な相談をすべきだったと思う」とも述べている。

自宅療養方針、尾身氏への事前相談なし 首相「今初めて聞いた」 | 毎日新聞

少々分かり難いので説明すると、政府が8/3に示した自宅療養(と言う名目での自宅放置・診療放棄)に関して、まず分科会会長の尾身が、方針決定に自分が関わっていないという意味で「事前に相談されていない」と主張し、翌8/4に菅が、その尾身の主張に関して、つまり政府お抱え専門家集団の長に相談せずに方針が決まったことを「今初めて聞いた」と言い始めたという話である。

 ではどこで誰がこの方針を決めたのか。菅は「厚生労働省で必要な相談をすべきだった」と、厚労省が勝手に決めたと示唆している。一方で、この方針を決める前に専門家に相談したのかと国会閉会中審査で問われた厚労大臣の田村は、政府で決めたと述べている

入院制限「撤回」求め、異例の与野党共闘 政府独断に自民も不満爆発 見直し迫られる可能性も:東京新聞 TOKYO Web

 このやり取りの主な論点は、方針転換は専門家の意見も聞いた上で決定されたか?である。だが、田村は方針決定後に病院関係者や医療関係者と意見交換したと話をはぐらかし、聞かれたことに答えない。そして誰が方針決定をしたのか、と問われても「政府が決めた」の一点張りである。
 だが前述のように、菅は厚労省が勝手に決めたと示唆している。田村は政府が決めたと言うが、政府そのものが主体的に意思決定するわけではない。政府の中で誰かが意思決定をする。勿論誰かは1人ではなく複数の場合もある。そして、基本的に政府がという主語であれば、その決定権者である首相に責任が生じる。
 つまり厚労大臣の田村、首相の菅、そしてもしかしたら分科会会長の尾身、それらが責任のたらいまわし、なすりつけ合いをやっているということだ。

 付け加えておくと、どう考えてもこの方針は悪手だが、方針を見直しても実情は大して変わらない。前述のように既に急患がたらいまわしにされ、受け入れ先が見つからないことにかわりはなく、方針がどうであれそもそも症状の重さにかかわらず誰もが入院したくてもできない状況なのだ(一部の強いコネを持つ者らを除いて。例えば与党政治家やオリンピック関係者のような)。
 なので誰が方針転換を決めたか、にかかわらず、こんな状況を招いた時点で、厚労大臣の田村、首相の菅、そして新型コロナウイルス対応担当の西村など、関係者全員に重大な責任があることに変わりはない。7/30の投稿にも書いたように、現状把握能力に欠ける、逆走してしまう老人のような人達は、今すぐにでも運転席から引きずり降ろさなければ、後席に乗っている者、周囲を走っているものの命にかかわる。


 以前にも書いたかもしれないが、責任を有耶無耶にする組織はいい加減なことをやりがちだ。責任者が責任をとらず、下にそのツケを回す組織も同様である。森友学園に関する財務省の公文書捏造でも、責任者である麻生は責任を負わず、下に責任を押し付け、その結果自殺者を出す結果になった。それ以前から公文書の捏造や隠蔽は行われていたが、それ以後も捏造や隠蔽は収まらず、昨日の投稿でも書いたように、最近でははなから公文書・記録を残さないということを堂々とやり始めている。
 しかし残念なことに、そんな自民政権を8年以上も容認してきたのは日本の有権者だ。もう少し真面目に将来のことを考えないと、子や孫の世代に強烈に恨まれ、バカにされることになってしまう。


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