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代表選手は、国を背負っていると感じているなら…

 楽しむとか、そういう状況ではない。国を背負って戦っている。普段は米メジャーリーグでプレーする田中 将大は、東京オリンピック準決勝・対米戦を前にそうコメントした。なぜ日本人は「お国のために」が好きなんだろうか。80年前の戦争でその感覚が如何に国を破壊したか。そんなことももう忘れているんだろうか。それともそもそも知らないのか。

「国を背負って投げる」日米通算181勝の田中将大、準決勝進出をかけ米国戦で先発<野球>:東京新聞 TOKYO Web

 確かに田中は野球日本代表選手の一人だ。日本という看板のついたユニフォームに袖を通していることには違いない。なので、国を背負っているという感覚になるのも無理はない気もする。しかし自分個人としては、田中に、いや全ての日本代表選手に関して言えることだが、国を背負わせたつもりはない。彼が個人的に国を背負っていると感じるのは自由だし、見ている誰かが、国を背負ってもらっていると感じるのも自由だ。しかし、見ている者全てが、田中が、日本代表選手が、国を背負っていると思っているとは思わないでほしい。
 自分にとっては、オリンピックを目指す選手・参加する選手は、主に個人の実績の為に参加している、という感覚でしかなく、勝手に国を背負わないでほしい。民主国家で国とは主権者たる国民である。全国民を勝手に背負うなと感じる。自分の実績づくりが目的なのに恩着せがましく「国の為にやっている」ポーズをとるな、と感じる。


 そもそも、五輪憲章で「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と規定されている。

JOC - オリンピズム | オリンピック憲章

つまり、田中の「国を背負っている」という表明はオリンピックの精神に反する。オリンピックの精神に反する選手が代表選手に選ばれるのが現実なのだ。そしてメディアもそれをまるで美談かのように演出して伝える。オリンピックなんてその程度のものでしかない。
 個人的な感覚で言えば、チャリティーとかボランティアのイメージを前面に出しつつ、出演者らはギャラを貰ってお金稼ぎに利用する、2〇時間テレビなんかと大差ない、商業的で偽善的なお祭り騒ぎだとしか思えない。だったら最初から商業的な興行という前提でやっているプロスポーツの方が潔くていい。
 付け加えておくと、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と規定しているのに、○○国代表として選手を選ぶのは間違っていると思うし、団体競技なんて明らかに国別対抗戦であり、それもオリンピックが偽善的だ、矛盾していると考える理由だ。


 東京オリンピックのプレーブックに、ハグやハイタッチ、握手など物理的な接触は禁止、観光地やショップ、レストランなどの訪問禁止、自己手配の宿泊施設には宿泊禁止などの厳しいルールが決められ、違反した場合は罰金や参加資格の剥奪、国外退去など厳しい制裁が定められたことに関して、ソウル五輪の金メダリストで元スポーツ庁長官の鈴木 大地が、

選手はスポーツですのでルールは守ります、基本的に。ルール違反はしない人が多いです こういうルールでやりましょうと言ったら、みんなやりますよ。みなさん、信頼していただきたいと思います

とコメントしたこと、その話が如何にいい加減で馬鹿げているかということについては、6/17の投稿で書いた。
 そんな規則は絵に描いた餅でしかないことは、開催前後の報道から明らかになっている。つまり、鈴木 大地の話は全く見当違いだった。馬鹿げていた。そして遂には、規則に反したとしてメダルをはく奪される選手まででてきた。

【東京五輪】 ジョージアの銀メダル選手2人、東京観光 規則違反で資格はく奪 - BBCニュース

 「日本は新型ウイルスを抑え込めているのか 東京と全国で感染者急増 - BBCニュース」によれば、7/30の時点で、選手、スタッフ、委託業者、ボランティアら大会関係者の感染発覚は計246人にも上っている。組織委の定めたルール自体、もしくはルールの運用にそもそも大きな欠陥があった恐れも強い。

 ここから疑問に感じるのは、プレーブックに違反した選手には制裁を科すのに、五輪憲章に反した主張をする田中のような選手は何もお咎めなしという矛盾だ。田中の主張は、ただちに参加資格をはく奪すべきようなものではないとしても、五輪憲章に反するという指摘が、JOCやIOC、もしくは組織委等からあって然るべきだろう。しかしそれらの主体的な指摘も、大手メディアによる客観的な指摘も一切見られない。
 それ以前に、組織委自体が五輪憲章違反を平然とやっている、という指摘もある。

【東京五輪】公式サイトの国別メダル獲得一覧は五輪憲章違反 組織委は堂々と犯している|日刊ゲンダイDIGITAL

前述の、オリンピックは国別対抗戦・国家間の競争ではない、という規定に基づき、オリンピック憲章第57条には「IOCとOCOG(組織委)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」と明記されているのに、日本の大会公式サイトに、順位まで付けた国別メダル獲得一覧がある、という指摘だ。
 規定は「IOCや各国のオリンピック関連団体は(中略)作成してはならない」なので、厳密には問題ないのかもしれないが、NHK時事通信朝日新聞などのサイトにも同種の一覧がある。しかし、NHKは大々的にオリンピックを放送している日本の公共放送だ。また朝日新聞は、東京2020オリンピックオフィシャルパートナーであり、組織委と全く無関係な組織ではない。

 組織委自体が五輪憲章に反しているのだから、田中に五輪憲章違反を指摘できない、しないのも当然だろう。プレーブックが法治国家における法律なら、五輪憲章は憲法のようなものだ。組織委は法治国家で言えば政府にあたる。プレーブックに反した選手が罰せられ、五輪憲章に反した組織委や選手は全くなにもお咎めなし。そんな状況が東京オリンピックにはある。
 組織委が五輪憲章を平然と犯し、開催国の選手も平然と無視する。如何に日本にオリンピックを開催する資質が足りていないかは明白だ。そんな国での開催をなぜIOCは選んだのか。つまりオリンピックの理念なんてのはもうかなり前から形骸化しており、それの成れの果てが今開催中の東京大会である、と言わざるを得ない。


 最後に付け加えておくと、田中は「国を背負っている」と言うのなら、オリンピックによって感染爆発が起きた現状に鑑みれば、投げる、つまり試合に参加して勝つ、ことを決意するのではなく、不参加を表明し、ただちに試合や大会そのものの中止を主張すべきなのだ。それが国を背負っていると自負する者の責務である。だから余計に「国を背負っているなんて恩着せがましい」と感じるのである。



 トップ画像には、レッドカードを掲げるビジネスパーソン – イラストストック「時短だ」 を使用した。

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