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過ちに向き合い、認め、反省し、そして改める、ことの重要性

 9/1は防災の日である。9/1が防災の日なのは、1923年の同日に関東大震災が発生したことによる。ただ、今日初めて知ったのだが、9/1が防災の日になったのは、関東大震災の発生後すぐではなく、1960年、つまり関東大震災発生からおよそ40年後だったそうだ。

 8/16の投稿で、8/15には毎年祖父のことを思い出す、と書いた。8/15は終戦の日で、よく戦争の話を聞いたからだ。8/15同様に9/1も祖父(と祖母)のことを思い出す日だ。勿論それは防災の日だからだ。祖父は1915/大正4年生まれで、今生きていたら103歳だ。祖母はその4歳年下の1919年/大正8年生まれだった。祖父母はそれぞれ8歳、4歳で関東大震災を体験した。
 ただ、関東大震災のことは祖父よりも祖母に聞いたことの方が多かった。というのも、祖父は静岡県三島あたりの生まれで、三島でも地震による被害はあったそうだが、祖父の家のあたりは大きな火災も起きず、未曾有の災害を実際に体験したというよりも、後に新聞や伝聞、震災から結構時間が経った後に三島の中心部で被災した地域を目の当たりにした、ようだった。

 年配の男性は、知らない、と言いたくないが為に、実際に自分では体験していないのに、あたかも自分が実際にその目で見て体験したかのように物事を騙る人も少なくないが、関東大震災のことを聞かれた祖父は、そのようにちゃんと説明した。だから祖父の戦争の話も概ね実体験だったんだろう、という風に捉えている。
 祖母の方は生まれも育ちも横浜で、当時は今の鶴見区と川崎の境あたりに住んでいて、そこで被災したそうだ。4歳だったこともあり、実際には家の周辺のことしか覚えてはいなかったようだが、近所でも多くの家が倒壊し、自宅も傾いたと言っていた。近所で火災も起きたようで、地震が起きたら兎に角火を止めろと強調していた。

 少しずつ内容は違うだろうが、毎年この時期に同じようなことを書いている気もする。しかしそれでいいのだろう。これは半分日記のようなブログだし、関東大震災については毎年思い出すべきだ。毎日発行される新聞だって、毎年関東大震災について、同じような記事を書くのだし。


 自分にとっては、9/1=防災の日という認識も未だに強いのだが、2011年に東日本大震災が発生してから、防災に関する啓蒙が行われる日は、どちらかというとその発生日である3/11になっている感もある。ただ今年は、関東大震災映像デジタルアーカイブ なるものが公開され、一部で話題にもなっている。これまで1923年の関東大震災の様子は概ね写真か絵、そして数少ない不鮮明な映像で紹介されていたが、こんなにも多く鮮明な映像があったこと、残されていたことには驚いた。
 しかし、2016年に当選した都知事 小池 百合子が、それまでの慣例に反して追悼文をださなくなったことで、近年しばしば注目される関東大震災朝鮮人虐殺に関する映像資料がないのは残念だ。

その事件の性質上、それに関する映像がそもそも殆ど残っていないのかもしれないが、東日本大震災発生以降、関東大震災については、自然災害だけでなく、その影響で発生したデマによる人権侵害について省みる事案、という側面も強くなっている。そこへのフォーカスが殆どなされていないのは残念である。今後そのような視点による資料が追加されることを期待する。


 人間は不完全な存在であり、いつの時代も過ちを繰り返す。これまで人間社会が進歩してきた裏には、犯した過ちを認め、反省し、そして改める、ということを繰り返してきたことがある。逆に言えば、犯した過ちを認めず、反省もせず、改めもしなければ、進歩はなく、よくて停滞、最悪退化しかねない。
 今の日本は、果たして自分達が不完全な存在であることをしっかりと認識し、犯した過ちと向き合い、そして認め、反省し改める、ということをやっているだろうか。新型ウイルス対応だけを見ても、過ちを認めず、頑なに目を逸らし反省もせず改めもせず、失敗を量産し続けていることは明らかだ。
 しかしそんな状態なのは、決して体たらくな政府・政治だけの所為ではない。そんな政府・政治を国民・有権者が選んでいるからそんなことになっている、という側面が確実にある。寧ろ有権者がNOを突きつけられるのに突きつけないことの結果でもある。

 小池が慣例に背いて関東大震災で虐殺された朝鮮人らの追悼式に追悼文を出さなくなったが、何ごとにおいても慣れた頃が一番危ない、思わぬ失敗を犯しやすい、と言われている。人権侵害の過去は絶対に忘れてはならないものであり、長い間追悼したからもういいだろ、という類のものではない。そうやってなあなあにすると、再び同じような過ちが繰り返されかねない



 トップ画像は、関東大震災 災害写真:防災科学技術研究所 自然災害情報室 - DIL の写真を使用した。右奥に見える石造り・ドーム屋根の建物は横浜正金銀行で、今も横浜関内・馬車道にあり、現在は神奈川県立歴史博物館として使用されている。

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