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水の低きに就くがごとし

 中国戦国時代の思想家 孟子は「民之歸仁也,猶水之就下」と言っている。人々が思いやり深い政治をする君主のところに集まるのは、水が低い方へ流れていくのと同じようなものであり、当然である、という意味である。しかし、今の日本を見ていると、果たして孟子の説は本当か?という疑いを感じざるを得ない。

 似た表現「水が低きに流れるように、人の心もまた易きに流れる」が、アニメ・攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG で使われている。この表現の基になっているのは、孟子の言葉だという説も多く見られるが、攻殻機動隊では、その物語の流れから考えて、水が低い方へ流れていくように、人は楽な方楽な方へと流れていく。しかもその勢いはどんどん大きくなっていき、誰にも止められない、のようなニュアンスで用いられており、孟子のそれとは確実に異なっている。

戦わずとも勝負は決するはずだった招慰難民と自衛軍。しかし、水が低きに流れるように、人の心もまた易きに流れる。一発の銃声が状況を急変させ、事態は混迷の度を深めていく。

 孟子の言葉を間違って解釈した表現とも捉えられるし、孟子の言葉を下敷きにアレンジを加えた表現であるとも捉えられる。個人的には後者、もじりとかパロディの類であると考える。どちらにせよ、孟子の言葉とは異なるニュアンスを表現していることには違いない。攻殻機動隊での表現は、孟子の説に対するアンチテーゼの可能性もある。

 水は低き流れる、という表現について、今の日本を前提に考えて、より説得力が高いのは孟子の言葉ではなく攻殻機動隊の方だ。攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG の舞台は2032年の日本で未来だが、2004年に日本で作られたアニメだから、日本の現状に近いのは当然かもしれない。この10年間日本の有権者がどんな与党/政権を選択してきたか、を考えると、必ずしも、人々が思いやり深い政治をする君主のところに集まるのは、水が低い方へ流れていくのと同じようなものであり、当然である、とは言えないとしか思えない。
 それは日本に限らず、トランプを大統領に選んでしまった米国、ボーソナロのブラジルからも説明できる。最終的には孟子の言う通りになるかもしれないが、短いスパンで考えれば、市民は必ずしも思いやり深い政治・指導者を選ばない。最も典型的だったのはヒトラー/ナチを選んだドイツの例だ。そして現在の日本も、弱者に冷たい政治を、もう既に米大統領の任期制限である8年以上も選び続けている。

「夢壊された」 感染おびえ、残飯処理 五輪清掃員が感じた失望 | 毎日新聞

 この毎日新聞の記事が数日前に話題に上っていた。新型ウイルス危機で勤め先が廃業、オリンピックが好きだったこともあって、アルバイト求人を見つけ、競技会場の清掃員になった50代の女性に関する内容だ。記事には、

  • ゴム手袋をつけた手を便器に突っ込んで布で清掃するように言われた(要望の結果、後にブラシを使用できるように)
  • その勤務先では60代以上の一部しかワクチン接種が受けられなかった
  • ワクチン接種も受けられず、感染リスクが高い状況で、大量の食べ残し/飲み残しを処理していた

ことなどが書かれている。記事には、

時給は1500円。研修も含め21日間働いて女性が手にするのは18万円ほどだ。「これまではテレビでオリンピックに熱狂して美しい部分しか見てこなかったけど、夢が壊される思いがしました。今まで15くらいのバイトをしてきましたが、一番のブラックバイトでした」

という記述もあった。この記事に対して、8時間労働で時給1500円も貰っていて何が不満なのか、という趣旨の反応が多く見られた。

M石土井(4-3-0-2-1-21)

TOMOKIN 友金良太

飯山陽 Dr. Akari IIYAMA『イスラム教再考』5刷決定

Dai Tamesue 爲末大

 前者3名の主張は最早説明の必要もないくらいに醜悪だ。労働環境の悪さ、感染リスク対策が想像以上に低く、そのリスクに対して時給1500円では到底見合わない、という点を無視して、そのような契約を自ら結んだのに文句を言うな、と言っている人達である。あまりにも酷い。そのような主張に数千から数万の肯定的な反応が示されている、ということを考えると、現在の日本では、水が低いところに流れるように、市民は思いやりのある政治や指導者に流れる、のではなく、水が低いところに流れるように、市民は攻撃し易いところを攻撃する、という風潮で、孟子の言葉より攻殻機動隊における用法の方が説得力に溢れる、という状況である。
 このような主張に対して、考え足らずである、という反論も決して少なくはない為、日本市民全てがこのような酷い風潮とは言えないものの、この8年間選ばれてきた自民党政権の姿勢は、このような醜悪な人達に明らかに近いものであり、それを市民・有権者が選んできたのだから、概ね日本はそのような酷い風潮にある、と言っても間違いでない。

 為末の主張は、一見ひどいようには見えないものの、ワクチン接種を受けられない中で残飯処理をさせられ、感染リスクが高いという記事の趣旨を殆ど勘案せずに、選手らが食べかけ・飲みかけを捨てることを正当化しようとしている、という点で的外れだし、記事の訴えを軽視して話を逸らしているという点では醜悪だ。
 そもそも、捨てることを正当化しようとするのもおかしい。食べかけ・飲みかけの管理を信頼する者に託せば捨てる必要などないのに何を言っているのか。それともスポーツ選手はチームスタッフさえ、自分以外は誰も信用しないのか。貴重品などを競技中も肌身離さず持っている?保管庫を用意すれば解決できるのに、捨てることを正当化するのは無理筋過ぎる。馬鹿馬鹿しいにも程がある。また、オリンピックでもSDGs・持続可能性を重視していることをアピールしていたのに、食品や飲料を無駄に捨てることをどうやって正当化できるのか
 そしてオリンピック開催前に、ソウル五輪の金メダリストで元スポーツ庁長官の鈴木大地は、スポーツ選手はルール違反しない。守ります、と言っていたが(6/17の投稿)、他人のペットボトルに異物混入してはいけない、というのはスポーツ以前のルールだ。しかしスポーツ界では、相手がルール違反してくる前提で考えろ、と教えている、ということになる。オリンピック開催に関して散々、スポーツの力、だのと喧伝していたが、スポーツの力なんてそんな薄汚いものでしかないのだろう。


 最低賃金に近い低賃金で働く人の割合が最近10年で倍増している、最低賃金では最低限の生活さえ苦しい、という内容の記事を東京新聞が掲載している。これも、その間10年政権に選ばれてきた自民党の支持率が、今も全政党中もっとも高い、ということと合わせて考えることで、孟子の説よりも攻殻機動隊の「水が低い方へ流れていく」のニュアンスの方に説得力がある、と言える理由だ。

 最低賃金では最低限の生活さえ苦しい、という話から思い出すのは、小学生の頃に習った朝日訴訟のことだ。朝日訴訟は、憲法第25条の規定、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利・生存権と生活保護の内容について争った行政訴訟である。小学生当時衝撃だったのは、2年間で肌着1枚、1年間でパンツ1枚、タオル2枚、下駄1足、湯飲み1個などという、1980年代の感覚で明らかに最低限度を下回る内訳の保護費の支給さえ、行政が打ち切ったという点だ。

 朝日訴訟が始まったのは1957年のことで、今から64年前のことだし、自分がそれを小学校で習ったのは1980年代後半で、その時点でさえ30年以上も前だ。1957年は所謂55年体制成立直後であり、その後1993年まで続く。つまり現在だけでなく、日本では前世紀でも思いやりにかける政治が選ばれ続けた。また、最低賃金で最低限の生活ができない現在の状況を考えると、少なくとも30年前には既に小学校で教えていたくらいの、「最低限度の生活」に関する社会問題が、今も解決せずに、同じ様な状況が続いている、とも言えるだろう。

 ごく短い例外の期間もあったが、どの時代も基本的に自己責任論が跋扈し、思いやり深い政府や指導者よりも、弱者に冷たい政治が選ばれ続けているのが日本、と言っても過言ではないだろう。しかも今取り沙汰されている自民党総裁選には、生活保護受給者を「さもしい」と言い、嫌悪を煽る犬笛を吹いた政治家が立候補しており、前首相 安倍がそれを支持しているそうだ。先週末の世論調査では、そんな自民の支持率、前安倍政権を継承する現政権の支持率が回復傾向だったそうで、まさに世も末だ、という感しかない。



 トップ画像には、A General View of the Falls of Niagara by Alvan Fisher - Artvee を使用した。

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