スキップしてメイン コンテンツに移動
 

目先の事だけにとらわれた物の見方

 小学校高学年頃から目が悪くなり始め、中学を卒業する頃には眼鏡かコンタクトがないと生活に支障が出るような状況だった。近視だけでなく乱視も酷く、裸眼で満月を見ると、ブレまくって3倍くらいの大きさに見える。裸眼だと、1m前にある24インチモニターの大きめのフォントすら読めない。裸眼でそれを読むには20㎝くらいまで寄る必要がある。

 近くのものしか見えないことを近視と言い、逆に近くのものが見え難いことを遠視と言う。近視眼とは近視と同じ意味だ。あまり耳慣れないが、遠視も遠視眼とも言うそうだ。近視眼的という慣用表現があって、目先の事だけにとらわれた物の見方のことを言う。短絡的とも似たようなニュアンスである。

 近視眼の項目にも、近視眼的と同様の解説があり、近視眼だけでも目先の事だけにとらわれた物の見方という意味で使われるそうだ。一方で遠視眼には視野が広いという用法はないし、近視眼的とは言うが近視的とは言わない。


 公明党が、今年の衆院選の公約として、18歳以下に一律10万円給付、と言い出した。新型コロナウイルスの流行長期化で、食費や通信費などの負担が増加している子育て世帯を支援する必要がある、との観点での公約らしい。

18歳以下に一律10万円給付 衆院選へ子育て公約発表―公明:時事ドットコム

 与党支持者らはこれを評価しているようだが、なぜ選挙前になるまでこういうことをやってこなかったか、言わなかったのか、という視点が欠如しているとしか言いようがない。公明党は自民と連立を組む与党であり、野党よりも法案・政策を通しやすいはずだ。なのにこれまでそれをやろうとしなかったのは何故か。端的に言って、政治的なカードとして10万円給付と言い出したに過ぎない。そうとしか評価できない。そんな公約を評価するのは近視眼的としか言いようがない。
 また、2017衆院選の与党・自民党の公約を覚えているだろうか。選挙前/選挙中、自民は、全ての子どもを対象にした保育の無償化、を声高にアピールしていたが、選挙が終わるや否や、認可外は対象外と言い出し、全ての子どもを対象にした、という話を反故にした2018年6/2の投稿)。公明は自民ではない。しかし今の自公連立では明らかに自民に主導権があり、つまり公明が公約を掲げても、自民がYesと言わない限り実現しない。全ての子どもを対象にした、という前衆院選での公約を反故にしている連立与党の同種の公約は信頼に足るだろうか。この公約を評価するにはそのようなことも加味して考える必要がある。

 こんなツイートも話題になっていて、目先の10万に釣られるのは近視眼的だ、と感じた。年収300-400万円の人なら、消費税税率10%だと年間およそ20万円程度を消費税として納税する。5%なら半額の10万円程度であり、1年単位で受けられる恩恵は10万円給付同じだ。しかも消費税の場合は税率が変更されない限り毎年、18歳未満の子どもがいる家庭だけでなく、全ての人に恩恵があり、その分からいくらかが消費に回れば、経済にもよい循環が生まれる可能性がある。恩恵を受けられる人が多いのだから、消費税減税の方が1度の10万給付よりも経済的な好循環につながる可能性は確実に高い

 そんなことを考えていたら、共産党はその両方を公約にしていた。立憲民主党も、時限的という条件付きではあるが、消費税5%への減税、そして低所得世帯に1人10万円給付の両方を主張している。

困窮者に一律10万円給付 共産、衆院選の経済政策発表:時事ドットコム

現野党がこのような主張をすると、評論家ぶりたい与党支持者が「財源は?」と言ってくる。しかし、自民政権の大企業優遇によって、この数年毎年のように企業の内部留保は史上最高となっている。大企業が潤えばその潤いが労働者などにも流れる、という説明で法人税減税が行われてきたが、8年以上もその路線を続けても、庶民の暮らしは全くよくならないし、賃金も2000年の水準をずっと下回ったままだ。新型コロナウイルス危機以前、世界的には経済は上向きだったのに。つまり、大企業優遇は大企業優遇にしかならないことは最早明白で、「財源は?」という話には大企業優遇を止めるという話で充分だろう。


 8年にも及ぶ自民政権の経済政策に鑑みれば、大企業優遇は大企業優遇にしかならないことは最早明白なのに、自民党総裁候補で現在最も有力らしい河野 太郎は、法人税減税は賃上げにつながると主張している。

8年も続けて上手くいかない路線が、多少の変更で果たして機能するだろうか。機能するんだとしたら、今まで一体何をやっていたのか、ということにもなる。そしてそもそも、自民党は選挙前になると美味しいことを言うが、選挙が終わった途端に反故にするような党だ。そんな党の言うことがそもそも信用に足るのか。

 世論調査で、政権支持理由について相変わらず、自民党による政権だから、と答える人がいるようだが、それこそまさに近視眼的の典型的な例だ。



 トップ画像には、交通機関 トラフィック 建物 - Pixabayの無料写真 と 眼鏡 フレーム アクセサリー - Pixabayの無料ベクター素材 を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。