日本の自殺者が、2020年7月以降前年同月比で増加に転じたことについて、新型コロナウイルス流行下で「(国民への)財政支援削減に伴い自殺者が増えた」と、カナダ・トロント大の研究グループが医学誌で発表した論文の中で指摘したそうだ。
日本、コロナ「支援減で自殺増」 カナダのグループが指摘 | 共同通信
この件を報じているのが共同配信(とその配信記事)だけなのはどういうことか。他のメディアは信憑性の低い論文・指摘と判断したのか、それとも取るに足らないことで報じる必要はないと判断したのか。もしくはなんらかの忖度で敢えて取り上げていないのか。
9/22に論文が発表されたそうで、その評価はこれから出てくるんだろうが、即評価できそうなことですら、○○が○○しました、とか、○○と言いました、とだけ平気で速報する日本の大手メディアなら、そのような重大な指摘がなされた、と評価を待たずに報じても全くおかしくはない。寧ろ報じるのが自然だ。だが共同以外どこも触れていない。
現在日本のメディアは自民党総裁選祭りを開催中である。どこからか、それに水を差すな、という指示や圧力でもあるんじゃないだろうか。そう邪推したくもなる。
国の支援が足りないから自殺者が増えた、という指摘はかなり重大だ。しかし、7月の感染爆発によって起きた医療崩壊の影響で、必要な診療や治療を受けられない人が10万人を超え、しかもその中から複数の死者が出ていたにもかかわらず、日本は他国よりも死者が少ない、などと政府や首相としての対応を正当化しようとした菅なら、批判は当たらない。1998年から2011年の自殺者が3万人を超えていた時期に比べれば、増加したと言っても2020年の約2万1100人はまだまだ少ない。などと言って軽視しそうだ。
2020年の自殺者11年ぶり増加。2万1081人の性別や年代で見えてくること | ハフポスト
2020年の自殺者数は、自殺者が多かった時期と比べればその2/3程度だが、多かった時期と比べて少ないと言い張るのは人道に反する。自殺している人が増えたことは間違いなく政治的な問題性を孕んでいる。月別の数値をそれまでの数年間と比べれば、2020年だけ傾向が異なっていることは明らかであり、2020年は新型コロナウイルス感染拡大元年だったことを考えれば、その影響でこれまでと異なる自殺者数の傾向が出たと推測することが自然だ。
本来はそのようなことが起きないように対策するのが政治の役割だ。日本では基本的人権、つまり人が生まれながらにして持つ権利が認められており、基本的人権には生存権も含まれている。生存権とは人が人らしく生きる権利である。
倫理的に自殺はよくないこととされるが、個人的には、人には自殺する自由もある、自殺する権利も持つと考える。しかし、人間、いや生物には生存本能がある。基本的に死にたくない。つまり人間を含む全ての生物にとって死はリスクだ。だが、死よりも生のリスクが上回ると人は自殺する。自殺者が増えたということは、生のリスクの方が死のリスクより高い人が増えたということだ。
生のリスクが死のリスクよりも高い状態は、明らかに生存権が脅かされていると言える。つまり、個人の自由によって自殺を選ぶケースよりも、権利を侵されたことによってやむをえず自殺を選ぶケースの方が、確実に多いはずだ。
日本では(日本だけという意味ではない)恒常的に自己責任論が蔓延っていて、90年代以降それが更に顕著になった。生活保護は甘え、鬱は甘え、不健康は不摂生による自業自得など、とにかく、何かにつけて自己責任論が湧いて出てくる。そんな社会に対するこんなツイートがあった。
10年前に誰かが2chに書いた言葉。
— むーとー (@Mootod) September 23, 2021
ビックリするくらい的確だった。 pic.twitter.com/5E0pb7Y7zx
日本は特に内需で成り立ってきた国だ。内需を基盤に、輸出が好調だった時期に高度経済成長期や絶頂期のバブル景気があった。つまり庶民の購買力が下がれば大多数の企業は業績が伸びず、輸出で儲けられる大企業など一部を除いて業績が下がる。それは海外市場で韓国・中国勢に押され見る影もなくなった電気機器産業が物語っている。
そして、自分は苦しくないからと言って、苦しい状況にある人が自業自得と切り捨てられているのを見過ごした結果、今日本がどんな社会になったかを考えると、これはニーメラーの詩にも通じる話だ(2020年10/7の投稿)。
1998年にそれまでと比べて30%以上も自殺者が急増した背景には、経営状態の悪くなった金融機関による貸し渋り・貸し剥しが起こり、中小零細企業の破綻の引き金になったことがある。それが自営業者の自殺の増加に大きく影響したと言われている。そこから自殺者年間3万人越えが2011年まで続いた。東日本大震災直後の2012年から急激に自殺者が減っているのにはやや違和感もある。庶民の実質賃金は増えていないし、消費税は倍になったが福祉の恩恵は決して増えていない。昨今の政府による捏造隠蔽の多さを見ると、自殺者の数え方など、何かしらのからくりがあるんじゃないか?という疑問も感じる。
現在の自民政権の低福祉傾向、そして新型コロナウイルスへの対応の杜撰さに鑑みれば、今後も自殺者は増えそうだし、これまで自民政権がGDP算出方法を変更して景気回復を演出したこと、新型コロナウイルスに関しても感染拡大が起きると濃厚接触者の定義を変えて検査を絞ってきたことなどを考えると、自殺者が増えても捏造隠蔽をやりそうな気がしてならない。厚労省には裁量労働制のデータ捏造・隠蔽という直近の前例もある。
この投稿で言いたい事は2つある。一つは、自己責任論は確実に自分に跳ね返ってくる。自己責任論を唱えれば自分が苦境に立たされた際に、確実に誰も助けてくれない。もう一つは、統計や発表に全く信頼性のおけない政府・政権を続けさせることは、明らかに社会全般の状況悪化を招く。政治は信頼性の上に成り立つ。信頼性がなくなれば、誰も言うことを聞かなくなる。その結果社会は不安定な状況に陥る。
トップ画像は、Statue of Liberty photo – Free Grey Image on Unsplash を使用した。