スキップしてメイン コンテンツに移動
 

民主制は非効率的、徐々にグラデーションを高めていくしかない

 季節というのは、いつからこんなにもスイッチを on/off するかのように変わるようになったのか。自分が普段乗っている車はマニュアルエアコンで、つい数日前までクーラーをつけっぱなしだった。それでも、もう10月も後半になるのに、晴天の日には背中や尻が汗ばむくらいだった。なのに今朝は寒くてヒーターをつけずにはいられなかった。

 トップ画像の上半分は従来の季節のイメージで、下半分は今年の、まるでクーラーを切ってヒーターをつけたかのような季節感、をデフォルメして表現したものだ。8月の猛暑に比べたら、10月以降は確実に暑さは酷くはなかったが、それでも東京で最高気温が25度を超える夏日が10日も結構あった。30度越えの真夏日も1日、28度越えで真夏日に肉薄する日が6日もあった。
 次の画像で、1981年の10月の気温と、2020年、2021年を比べてみたら、40年前より確実に10月の気温は上がっているし、今年は去年と比較しても確実に暑い10月だった。

東京の過去の天気 2021年10月 - goo天気

 去年と今年の差は温暖化とは別の要因が強く影響しているかもしれない。しかし40年前との差は2020年の気温でも明白で、温暖化が進んでいるんだろう、と言わざるを得ない。このままでは、温暖化、つまり気候の極端化が進んで、日本から四季、季節のグラデーションがなくなってしまうのかもしれない。


 今日の投稿のテーマはグラデーションだ。今日から49回目の衆院選が正式に始まった。衆院選の際には最高裁裁判官の国民審査も共に行われている。最高裁判所裁判官は、任命後初めて行われる衆院選の際に国民の審査を受け、その後は10年経過毎に、衆院選の際に再審査を受けることになっている。

 今回の衆院選における国民審査で注目されているのは、現在の最高裁裁判官のうち、誰が選択的別姓制度がないことに異論を唱えているかだ。現在15人いる裁判官のうち、夫婦に同性を強制する日本の現在の制度を合憲とした裁判官は11人で、違憲としたのはたった4人だ。

最高裁、夫婦同姓は「合憲」。各裁判官の判断は?4人は「違憲」とした【一覧表】 | ハフポスト

 現在、法律で夫婦同姓を強いている国は日本だけだそうだ。且つては他にもあったようだが、それは既に過去のものになっている。日本は国連から何度も女性差別撤廃の観点による是正を求められている。

 自分は、夫婦同姓の強制を合憲と言っている裁判官全員にバツをつけるつもりだ。今回審査対象となるのは全15人のうちの11人で、自分の判断基準でいけば、宇賀/三浦/草の3人以外は全てバツだ。宮崎も数少ない違憲判断判事の1人だが、今回の審査対象ではない。

 これまで同制度によって罷免された裁判官は1人もおらず、その傾向が今回劇的に変わるとは考え難い為、国民審査で夫婦同姓強制を合憲と判断した裁判官にバツをつけても、恐らく彼らをその職から追うには至らないだろう。しかし、だからバツを付けるても無意味か、と言うとそうでもない。バツが付いた数は確かな事実としてそこに残る。それは少なからず今後の司法判断に影響する。何ごとも千里の道も一歩からであり、 意思表示はその大事な一歩だ。
 たとえば、何千万人もいる有権者のうちの誰か1人だけがバツをつけてもそれは焼け石に水だろうが、全ての有権者がそれぞれ1票しか持っていないのだから、誰もが1票では焼け石に水だと思ったら何も始まらない。1票を積み重ねて、異論のグラデーションを徐々にでも高めていくことが重要だ。それは民主制の大前提でもある。

 今日はこんなツイートも目に付いたのだが、怒る人がいたから奴隷は解放されたし、封建制は倒れたし、普通選挙が認められ、アパルトヘイトは終わった。それらに憤る人がいなかったら、今も中世のような社会が続いていたはずだ。
 またもっと身近な例で考えても、怒る人がいたから、昭和以前は平然と行われていたセクハラは、アウトという社会認識が形成されてきたし、同性愛は病気・性的倒錯なんて差別的認識や偏見もやっと薄くなってきた。 怒りには、いや怒りだけでなく、喜怒哀楽全ての意思表示には確実に意味がある。宝くじは買わないと当たらない。理不尽や不公平には怒りや嘆きをしっかりと表現しなければ何も変わらず、これまでと何ら変わらない毎日がずっと続いていく

 怒ってもしょうがない、なんてのは、今のままがずっと続いて欲しい人の詐術でしかない。だが勿論、効果的な怒り方もあれば、非効率的な怒り方もある。怒りとは感情の1つなので、完全にコントロールするのは難しいだろうが、上手く怒る技術を身に着けるべきである。怒るな、というのは一種の感情の否定でもある。感情は人間が人間である要素の1つだ。極端に言えば、怒っても仕方がない、は人間性の否定だ。
 当然怒ったら劇的に何かが変わるか、と言えばなかなかそんなことはない。奴隷が解放されるのには、普通選挙が認められるまでには、アパルトヘイトが終わるまでには、かなり長い年月と努力が必要だった。いや、努力ではなく怒力だったかもしれない。


 結局、民主制は非効率的な制度なので、何ごとも徐々にでもグラデーションを高めていくしかない。安斎先生も言っていた。「あきらめたら そこで試合終了ですよ…?」と(2020年5/11の投稿)。


このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。