スキップしてメイン コンテンツに移動
 

日本政府/日本の電力会社に原発を管理運営させるのは、気違いに刃物

 気違いに刃物、という表現は、気違いが差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に、馬鹿と鋏は使いよう、という慣用表現をもじった、馬鹿に鋏は持たせるな、が使われ始めたのではないか? という話を2019年8/14の投稿で書いた。但し、気違いに刃物は辞書にも掲載されている慣用表現であり、個人的には使用を全否定すべき表現とは考えていない。

 何はともあれ、気違いに刃物という慣用表現は、刃物は人の生活に欠かせない道具だが、分別のない者や正しい判断ができない者に刃物を持たせると、適切に使わずに人に危害を与えることに使いかねない、の意であり、非常に危険であることを示す。英語の慣用表現に、The Lunatics Are in Charge of the Asylum. というのがあるそうで、直訳すると、狂人が精神病院を管理している、という意味なのだが、これも気違いに刃物と同様に非常に危険なことを示す表現だそうだ。
 気違いに刃物、馬鹿に鋏を持たせるな、そして The Lunatics Are in Charge of the Asylum. はどれも、使いこなす能力のない者、悪用しかねない者に大きな力を与える、任せるのは非常に危険だ、ということを示している。


 結論から言えば、日本政府や原子力関連の組織、そして日本の電力会社には原子力発電所を管理する能力に欠けている。言い方を変えれば、日本政府/日本の電力会社に原子力発電所を管理させるのは、気違いに刃物、馬鹿に鋏を持たせるな、そして The Lunatics Are in Charge of the Asylum. である、ということだ。

東電の男性社員2人が放射性物質吸い込む 福島第一原発で作業中、適切な防護措置されず:東京新聞 TOKYO Web

 これは昨日の東京新聞の記事だ。しかしこの件だけを理由に、日本の電力会社には原子力発電所を管理する能力に欠けているとか、日本政府/日本の電力会社に原子力発電所を管理させるのは、気違いに刃物、馬鹿に鋏を持たせるなだ、と言っているのではない。

 2021年だけ、そして自分がメモを残していただけでも、こんなに多くの杜撰、いい加減、非合理な原発関連事案が出てくる。おかしなことをやっているのは原発事故が起きた東京電力だけでなく、他の電力会社でも、原子力政策に関わる団体や組織、そして関連自治体でもおかしなことが起きている。
 庶民が知ることができるのは恐らく氷山の一角だろう。2021年に限っても氷山の一角だけでこの件数で、そして2020年以前も含めれば、明るみになっている事案だけでも更に枚挙に暇がない。そして、原発に関連した不都合な事故事案の隠蔽やデータ改竄は、福島原発事故以前にも複数あった。

 日本は地震が多発する国であり、どんなに安心安全を謳おうが、常に想定を上回る地震や火山などに関連した災害が発生する恐れがつきまとう。そして近年は○○年に1度という規模の豪雨災害や水害が度々発生するようになっており、今年は熱海で大規模な地滑りが発生した。日本はただでさえ自然災害の懸念が高いのに、それに加えて管理運営する側が杜撰でいい加減では、安全安心なんて夢のまた夢だ。

 だから日本の電力会社には原子力発電所を管理する能力に欠けている、日本政府/日本の電力会社に原子力発電所を管理させるのは、気違いに刃物、馬鹿に鋏を持たせるなだ、と言っているのだが、どうも日本の有権者の多くは、10年も経たないのにあの悲惨な原発事故のことをもう忘れてしまったようで、原発再稼働推進を公言する自民党に政権を預けることを選んでいる
 ハッキリ言って正気の沙汰ではない。



 トップ画像には、廃墟 破壊 病院 - Pixabayの無料写真放射性 グラフィック 原子力発電所 - Pixabayの無料画像 を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。