49回目の衆議院選挙が終わって数日が経ち、野党共闘、立憲民主党が共産党と共に選挙戦を戦ったことは失敗だ、という論調が一部、というか大手メディアの多くに見られる。確かに、与党・自民党にマイナス要素が複数ある状況だった今回の選挙で、立憲民主党は議席を減らした。それを考えたら立憲民主党の第49回衆議院選挙の戦略は成功だったとは言い難い。
しかし、立憲民主党が議席を減らした主な理由は共産党と選挙協力をしたから、と言える根拠はなんなのか。いまところ、結果から失敗と言っている記事や投稿しか見当たらない。議席を減らしたという結果は事実でも、それだけで共産党と選挙協力をやったから減った、とはならない。しかし、なぜ共産党との選挙協力が失敗だったのかを明確に示している主張は見当たらない。あるなら是非教えて欲しい。
時事通信の記事「立民・枝野氏の進退焦点 共産と共闘見直し論も:時事ドットコム」にはこう書かれている。
党内には、枝野氏が主導した共産党との共闘路線が「敗因」として、路線転換を求める声もある
誰がそう言っているのか書かれていないので、鵜呑みにするわけにもいかないが、もし本当に党内にそんな声があるんだとしたら、それは責任を負わせやすい党外、共産党へ責任転嫁しているに過ぎないのではないか。
なぜなら、今回の衆議院でも、共産党は立憲民主党候補への一本化を目的に22人を取り下げた。一方で共産党候補への一本化の為に立憲民主党が取り下げたのは3人だそうで、つまり立憲民主党は野党候補一本化の為に共産党に譲ってもらった側だ。譲ってもらった側が譲歩した側に責任を求めるなど傲慢極まりない。
更に共産党は、もし政権交代がなされても組閣に絡まなくてもよいことを選挙前から明確にしていた。つまり、候補擁立も譲り、更には協力はするが組閣に絡まなくても構わない、と言って最大限に譲歩していた側に責任を求めるんだとしたら、立憲民主党は信頼に値しない。但し、時事通信のような、誰が言っているのかも分からない記事は、野党第一党である立憲民主党の信頼が失墜した方が都合がよい誰かの意思、が絡んでいる恐れもあることを考慮しておく必要もある。
つまり、端的に言って、今回の選挙で立憲民主党が議席を減らしたのは、立憲民主党の責任でしかない。共産党との選挙協力がなければ、それによる票の積み増しがなければ、更に議席を減らしていた恐れがある、というのが実状だろう。
今回の選挙で議席を減らしたことの責任について、立憲民主党代表の枝野が辞意を示し、それに対して #枝野辞めるな というタグが話題になっているが、与党・自民党のマイナス要素が多くある状況での選挙で、候補一本化で譲ってもらった側であるにもかかわらず議席を減らした、その責任を誰かが負わねばならないのは当然のことではないのか。確かに枝野の'17衆院選の際に立憲民主党を立ち上げた功績は大きい。だがその後勢いを伸ばせていないのも事実だ。党の顔としての役割を果たせていない、という評価も妥当ではないのか。
掲げている政策の面で見ても、野党共闘、立憲民主党と共産党の選挙協力が失敗だった、とは言えない。何故なら、立憲民主党と共産党の政策はかなりの部分で重なっている。また選挙協力の為にどちらかが政策の重要な柱を覆す、のようなことはなかったからだ。旧民主党(民進党)は'17衆院選直前に分裂し、希望の党と立憲民主党に割れた。民進右派と都民のファースト会、つまり都知事小池の勢力が合流した希望の党は選挙で大敗を喫し、その後国民民主党へとなっている。もし、立憲民主党と共産党の選挙協力が失敗だったなら、共産党との連携に一定の拒否感を示している国民民主はもっと支持されているだろうが、そんな傾向は全く見られない。
その分を維新が議席を伸ばしてはいるが、立憲民主党と選挙協力を行った共産党やれいわ新撰組も僅かながら議席を増やしていて、また維新の増加分には、立憲民主党の議席減だけでなく自民党の議席減も多く含まれている。
共産党アレルギーということがしばしば言われ、確かにそういうことがある。自分も1980年代に子ども時代を過ごし、当時全盛期だったハリウッド映画をよく見た。ハリウッド映画の多くでソ連が悪者として描かれ、ソ連=共産党という印象を強く醸していて、それと同じ名称である日本共産党にもあまりいい印象はなかった。それよりも更に前に生まれた人達にとっては、アメリカを中心とした第二次世界大戦後の冷戦期の赤狩りを実際に目の当たりにしていただろうから、更に悪い印象があったんだろう。
でも、果たして共産主義は嫌悪すべきものか、と言えば、決してそんなことはない。共産主義と社会主義は厳密には違うが、広義では資本主義との対義語であり、税率が高い変わりに社会福祉制度が充実している北欧諸国などは、社会主義に近い構造の国だ。北欧諸国のような体制は社会民主主義と呼ばれている。厳密には革命や階級闘争などの要素を持つ思想が共産主義で、つまりは過激な社会主義推進というニュアンスなのだが、現在の日本共産党が革命、特に暴力革命を画策している、なんてのはかなり恣意的な見方だ。今の日本共産党が目指しているのは共産主義というより社会民主主義である。
因みに、選挙を目前に控えた9月に、TBSの情報バラエティ番組でレギュラー出演者の弁護士が「共産党はまだ暴力的な革命を党の要綱として廃止していませんから」なんて言ったが(9/11の投稿)、そのようなデマが共産党アレルギーを作りだしているし、前述の冷戦期のイメージを未だに引きずっている人に共産党アレルギーが少なくない。その種の人達にしてみれば、そんな共産党なんかと選挙協力をするからイメージが悪くなって議席を減らすんだ、ということなんだろうが、そんなのは偏見に基づいたレッテル貼りとしか言えない。
そもそも掲げている政策は立憲民主党と大きく違わないし、野党勢力が政権交代を果たしても組閣に絡まなくてよいと言っているのが共産党なのだから。どこから革命、しかも暴力革命なんて話になるんだろうか、良識を疑う。
共産党アレルギーを持つ人達には、もう一度よく考えて欲しい。ソ連や東欧諸国が失敗したのは、共産主義・社会主義だったからではなく、独裁政治・恐怖政治だったから、だ。独裁・恐怖政治は現実を見失う恐れが非常に高い。権力が一部に集中すると、権力を持つ者が自らやその行為を正当化する為に事実を捻じ曲げ始める。そうやって没落していったのがかつてのソ連や東欧諸国だ。社会主義だって民主制と組み合わせればうまくいく、ということを、ヨーロッパ、特に北欧諸国が如実に物語っている。
前首相が国会でヤジとして「共産党w」と言ったり、選挙の演説で「立憲共産党」などという表現を揶揄として用いる政治家が複数いる政党が如何に異様か、ということをよく考えた方がいいし、その党による政権下で公文書の捏造や隠蔽や改竄、汚職が横行している、ということもよく考えた方がいい。政治が現実を見失い、というか都合の悪い事実を隠し、汚職が横行するのは独裁や恐怖政治の国の様子そのものだ。
幸いにも、日本では今はまだ独裁や恐怖政治は確率していないが、その防壁となっている憲法をいじらせろ、と言っているのもその党だ。憲法を改定して大統領の権限を強化したトルコが今どうなっているか、を見れば、今の日本が瀬戸際にあることは明白だ。
トップ画像には、鎌と槌 ハンマー 鎌 - Pixabayの無料写真 を使用した。