今は新型ウイルスの影響で下火何だろうが、少し前に、大人の社会科見学なんて言って、工場見学などがブームになっていた。大きな工場における流れ作業を見るとワクワクするのは分かる。自分は小学校の頃にパン工場と自動車工場に社会科見学に行ったきりだが、数年前まで、CSのドキュメンタリー系チャンネルで世界の巨大工場的な番組をよく見ていた。
CSチャンネルは、どこもWebに押されて斜陽気味で、元から主に再放送番組で構成されていたにも関わらず、最近はどこも新作がほとんど出てこず、それで殆ど見なくなった。ナショナルジオグラフィックチャンネルやディスカバリーチャンネルでは、主に、自然、宇宙、歴史、テクノロジー、そしてクルマやバイクに関する番組で構成されている。有名なブランドの工場を紹介する番組はテクノロジー関連の番組に該当するだろう。
工場紹介番組で最も多かったのは、自動車工場の紹介だった。自動車工場にテーマを絞ったシリーズの方が多かったかもしれない。テクノロジー関連番組目当ての視聴者と、クルマバイク関連目当ての視聴者の両方を獲得、または満足させられる企画だったからだろう。
自分はまさにその両方に興味のあった視聴者で、自動車工場紹介シリーズを楽しみにしていた。自動車工場なんて大体どこも似たり寄ったりで、番組内容は大して変わらない。そりゃあロールスロイスやフェラーリのような高級車の工房と、トヨタやGMのような大衆車の工場では異なる点もあるが、細かくオーダーメイドで作られる高級車の内装工房などを除けば、今はほぼどこもライン生産、工業用ロボットによる自動化が当たり前で、やっていることに大差はない。
でもそれでよかった。水戸黄門や戦隊ヒーローものなんかも敵が変わるだけで、毎回ほぼ同じタイミングで戦いに発展したり、変身したり、敵が巨大化してロボットで応戦したり、助さん格さんが印籠を出したり、流れはほとんど変わらない。でも見ている人はそれで満足する。自動車工場紹介モノも似たようなもんである。
自動車工場紹介番組には必ずと言っていい程マリアージュというワードが出てくる。それまで別々のラインで組み上げられてきたボディとエンジンが、1つのラインに集められ組合せて一体化される工程のことをそう呼ぶ。
アルファロメオの工場訪問について書かれたWebCGのこの記事にも、見学の締めには車体とエンジンを合体させる、自動車用語で言うところの「マリアージュ」(結婚)を見せてもらった、という記述がある。
第587回:イタ車はかくしてつくられる! “アルファのゆりかご”カッシーノ工場を訪ねて 【エディターから一言】 - webCG
この記事で書かれているのはアルファロメオの工場、つまりイタリアの工場訪問についてだ。だが、イタリア語で結婚は Matrimonio(マトリモーニオ)である。ちなみに英語だと Marriage(マリッジ)で、mariage(マリアージュ)はフランス語である。しかし、前述の自動車工場番組でも、ドイツ車の工場だろうが、アメリカ車だろうが日本車の工場だろうが、ボディとエンジンを合体させる工程はすべてマリアージュと言っていた。勿論音声は英語だ。日本語字幕はマリアージュだったりカッコつきで "結婚" だったりしたが。
日本の自動車工場でマリアージュと呼んでいるかは別にしても、欧米ではどこの国でもその工程を概ねマリアージュと呼んでいるんだろう。
Wikipedia のマリアージュのページにおける解説によると、フランス人はしばしば、もともとふたつで別々だった存在があたかもひとつの存在のように調和した状態になることを、詩的に(メタファー的に)「mariage マリアージュ」と言うのだそうだ。マリアージュは本来結婚を意味するが、確かに、たとえば料理とワインが調和することをマリアージュと言ったりもする。
そして英語のマリッジは、フランス語のマリアージュから派生したもの、と言われているようで、つまり欧米人が結婚に抱くイメージは、他人だった2人が1つの家族になる、のようなイメージなんだろう。
しかしどうも、日本における結婚とはそうではないようだ。同性婚を認めないのは婚姻の自由を保障する憲法に違反するなどとして、全国の同性カップルらが国に損害賠償を求めている訴訟はこれまでに複数起こされているが、東京地裁での訴訟の中で国は、「男性と女性が子を産み育てながら共同生活を送る関係に対し、特に法的保護を与えること」(自然生殖可能性のある関係性の法的保護)が婚姻制度の目的と説明したそうだ。だから生殖可能性がない同性婚が認められないのは違憲ではない、という論理のようである。
婚姻の目的は「生殖」なの? 国側の主張に「差別的」と原告が批判 同性婚訴訟、提訴から3年:東京新聞 TOKYO Web
もし婚姻制度の目的が生殖であるなら、子どもを作る意思がない人たちも婚姻制度で優遇措置を受けるに値しないということになる。いや、国の言い分だと、その時点で意思がなくても後に意思が生じる可能性はあるかもしれないから、生殖能力があれば婚姻制度の対象になりえる、ということになるんだろう。では、生殖機能に障害を持っている人たちはどうか。
先天的に生殖機能に障害を持っている人はいるし、勿論後天的に障害を負う人もいる。また、何かの理由で生殖機能を手術等で除去する人もいる。国の説明に照らして考えれば、そのような生殖機能を有さない人たちも、異性婚であっても婚姻制度の対象にならない、しないのが妥当なはずだが、現在の制度にそんな線引きはなく、単に男女で線を引いている。これは全く合理性のある説明とは言えない。
率直に言って、婚姻制度の目的が生殖であるなら、異性愛者だとしても生殖機能に障害を持っている人は婚姻する権利を有しない、ということになる。そんな話を差別と思わないならどうかしているし、同じことは同性婚にも言える。東京新聞の記事の見出しの通り、原告側は「こうした国の主張こそが差別や偏見を助長する」と言っているが、まさにそれ以外の何ものでもない。
一体これまで何度、高齢男性国会議員などによる、
- 子供を一人も生まない女性を税金で面倒みろってのはおかしい
- 女性は子を産む機械
- 子供を2人つくることは最低限の義務
- 子供をつくることで国家に貢献してくれ
- 4人以上生んだ女性を表彰しよう
- LGBTには生産性がない
そんな馬鹿げた主張が繰り返されてきただろうか。
麻生副総理:「またか」…政治家「出産」巡る発言 麻生氏「産まないほうが問題」 | 毎日新聞
前段で紹介した東京地裁での訴訟における国の暴論は、昨年・2021年10月に示されたもので、つまりこの国は、これらの発言とそれが受けた批判から何も学んでいない、ということだろう。これで差別はダメとかいじめをなくそうなんて大人が言っても、子どもがまともに聞くはずがない。そしてそんな子どもがいずれ大人になって、同じ様なことを繰り返す。こんなことを言う政府を黙認するような態度も、最早差別を助長していると言えるだろう。沈黙は決して中立ではない。でも日本の有権者の大半は、今の自民政府を選び続ける。
こんな状況なのだから、昨日のトップ画像の為にコラージュしたような、バカに効く薬でも出来ない限り、この国がよくなることはなさそうだ。
トップ画像は、grayscale photo of vintage cars parked in front of building photo – Free Grey Image on Unsplash を使用した。