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差別や蔑視が当たり前の国

 日本のプロサッカー・Jリーグが始まったのは1993年のことだった。バブル崩壊は1991年と言われているが、当時はまだバブル景気の余韻が残っていた。ちなみに就職氷河期が流行語になったのは1994年のことで、つまりバブル崩壊の一般社会への影響が如実に表面化し始めるのはその頃からだ。

 Jリーグが始まったのは1993年と言っても、93年にいきなり始まったわけではなく、当然数年前からその開設は決まっていて、参加チームなどはバブル絶頂期から準備を進めていたわけだ。だから当時、ジャパンマネーにものを言わせて?ワールドカップや欧州各国のプロチームなどで活躍した選手が日本のチームにやってきた。リネカー、リトバルスキー、ストイコビッチ、スキラッチ、レオナルド、ドゥンガ、ディアス、ブッフバルト。
 中でも鹿島アントラーズがブラジルから呼び寄せたジーコは、まさにJリーグ初期の補強外国時選手の代表格だが、そのジーコと共に、初期の鹿島アントラーズを支えた外国人選手がアルシンドだった。アルシンドはフランシスコ ザビエルのようなヘアスタイルと、人懐っこいキャラクターで一躍人気者となった。

 そしてそのハゲ頭に注目した増毛・育毛サービス・アデランスは、彼をテレビCMキャラクターに起用し、電車の中で髪が薄くなりかかっている男性をアルシンドが見つけて話しかける設定で、そこで彼が発したセリフ「アルシンドになっちゃうよ~」や、トップ画像でも使った「トモダチならアタリマェ~」は、ポルトガル語訛りが印象的だったこともあって、当時はもじったりして真似されることも多く、アルシンドの人気を更に確立させた。

 アルシンドは1995年にベルディ川崎、1996年はコンサドーレ札幌に移籍したのだが、このCMについて調べていたら、コンサドーレの応援ソングとして、友達ならあたりまえ! というタイトルの曲をリリースしていることも判明。音源を見つけることは出来なかったが、シングルCDのジャケットは見つかった。

リンク先のタワーレコードのCDリリース情報によると、レーベル名がジーコになっている。ジーコのWikipediaには、このジーコ レーベルに関する記述があって、それによると、ポニーキャニオン系のジーコの名を冠したレーベルのようだ。


 自分は、この当たり前という言葉があまり好きではない。アルシンドのCMのような、自分にとってそれは当然だ、当然のことをしたまでだ、などのポジティブな用法がある反面、ネガティブな用法もあるからだ。
 当たり前、当然の基準は、それぞれの社会やそれよりももっと細かいコミュニティでも異なる。たとえば、エスカレーターのどちら側を開けるかは関東と関西で異なる。そしてエスカレーター製造会社や鉄道会社などは、そもそもエスカレーターを駆け上がることを推奨せず、2列で乗れと言っている。つまりエスカレーターの当たり前にもいろいろある。また、日本では子どもの頭をなでるのは愛情表現と捉えられるが、東南アジアなどの一部では、頭頂部をなでるのは神聖な部分を穢す行為と見なされる場合があるそうだ。
 更に言えば、同じ社会やコミュニティの中であっても、個人個人それぞれでも当たり前は微妙に違う。目玉焼きはソースだと言う人もいれば、醤油だと言う人もいるし、トマトケチャップだと言う人もいる。それなのに、自分の当たり前を他人に押し付けようとして、目玉焼きにはソースをかけるのが当たり前だとか、牛丼に卵をかけないなんてあり得ない、紅しょうがを貰ってこないなんてどうかしている、みたいなことを平気で言う人がいる。
 だから自分は当たり前という言葉があまり好きじゃない。付け加えると、普通も嫌いだ。誰かの普通はその人の普通であって、絶対的な普通なんてあり得ない


 そうは言っても、社会全体における最低限の共通認識みたいなものはあるし、それを当たり前、当然、普通と表現するのは何もおかしいことじゃない。ただ、当たり前とか、当然、普通の中には、それが当たり前なのはおかしいよね? ということも少なくない。だからしばしば、当たり前を疑え、なんて言ったりもする。逆に、これが当たり前じゃないのはおかしいよね? なんてことも結構あったりして、当たり前を当たり前に(しよう) なんて話も結構耳にする。

 なぜ当たり前について書いているのかと言うと、こんなツイートが目に付いたからだ。

 今は北京オリンピックの開催期間中だそうなのだが、テレビはほぼ見ないので何がどうなっているのかはよく知らない。どこの開催かに限らずオリンピックには嫌悪感しかないので、知りたくもない。しかしそれでもツイッターのタイムラインには時折オリンピック関連のツイ―トは流れてくる。その1つが、この「ロシアではドーピングが当たり前になっているのではないか」というツイ―トだった。
 このツイートを見て思った。国連などから改善を勧告されても、日本が蔑視や差別を止めずに、同性婚や選択的別姓制度を作らないのも同じなのかもしれない。日本人は差別や蔑視を自国の文化と思っていて、だから変える必要はないと思っているのかもしれない、と。

 昨年・2021年の11月、現在の岸田自民政府は、オミクロン株に対する水際対策と称し、外国人の入国を一切禁じるという差別をやった。外国人入国者だけでなく帰国者もオミクロン株に感染している恐れがあり、国籍で入国の可否を分ける合理性はない、必要なのは万人に対する厳密な隔離や検査などの検疫だとWHOから改善勧告を受けても改めなかった。しかも岸田自民政府の水際対策とやらはザルで、PCR検査ではなく抗原検査をやっていたし、在日米軍は検疫の対象外で、日本のオミクロン株感染拡大は米軍基地のある地域でまず始まり、そして今の過去最高の感染拡大となった。

 しかし、メディアや市民の間で、この政府による外国人差別に対する批判は強まっていない。そして、日本の有権者は、もう何年も同性婚や選択的別姓を否定し続ける政党を与党に選び続けている。同性婚の件については、まさに昨日の投稿でも書いたばかりだ。つまり、やはり日本人にとっては、蔑視や差別はするのが当たり前、あって当然なのだろう。


 自分は、自分の住んでいる国では差別や蔑視が当たり前という状況は、国連等からどんなに改善勧告されても頑なに同性婚や別姓制度を設けないのは、とても恥ずかしくて我慢ならない。外国人差別や警察や入管などによる人権無視も未だに平然と行われている。だからこうやって、頻繁にそのおかしさを指摘し批判している。誰かが差別や蔑視の対象にされたら、周りが助けるのが当たり前の国に変えたい


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