スキップしてメイン コンテンツに移動
 

政治的な独裁と経済的な独占/寡頭

 強権的な傾向のある政治家などのことを、独裁を目指しているのか、と批判すると、大抵どこからか「そういうことが言えるのが独裁ではない証拠だ」という揶揄が飛んでくるものだが、実際に独裁が確立してしまったら、もうその時は手遅れで、○○は独裁的だ、なんて言えなくなってしまう

 これまでに「わたしは独裁者だ!」と自ら公言した独裁者はいただろうか。たったの一人もいなかった、かどうかは定かでないが、日本から見て最も身近な独裁国家・北朝鮮を見ても分かるように、独裁者が自ら私は独裁者だ!と言うことは殆どない。あくまでも国民に支持されて支配者になっているという体裁で独裁を確立し、その体制を維持しようとするものだ。つまり独裁は独裁の顔を隠して忍び寄ってくる
 付け加えると、侵略を行う者も、侵略行為が否定されていなかたった近代以前はどうか分からないが、侵略行為は恥ずべき行為だという認識が国際的に確立している現代においては、決して自らの行為を侵略とは言わない。ウクライナへ侵攻しているロシアもそうで、2/28に開かれた国連総会緊急会合において、各国から非難が集中する中で、ロシアの国連大使は「国連憲章で認められている自衛権の行使だ」と主張している。

ウクライナ大使「生きのびなければ、次に民主主義が陥落」国連で発言 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル

 ちなみに現在、日本の自民政府は、自衛という名目で敵基地攻撃能力の保持と称して、先制攻撃を正当化しようとしている。そんな国がロシアの侵略行為を非難しても説得力がない、ということは、2/24の投稿などでも指摘したとおりである。更には、ウクライナの危機に乗じて、非核三原則を無視して核保有を検討しろ、なんて言い出す愚か者も複数いる。80年前に犯した戦争の過ちを教訓として、憲法9条や非核三原則を先人が設けていて本当によかった。それらがなければ、今日の日本もロシアのような蛮行に及んでいた恐れが充分にある



 ロシアのウクライナ侵攻に関連して、マイクロソフトは、ロシアの国営メディア・RTとスプートニクのアプリをマイクロソフトストア(ウインドウズにおけるアプリケーション提供サービス)から削除することを発表した。

 マイクロソフトの検索サイト・bing でも、それらのメディアのサイトの検索順位を下げ、広告掲載も停止する、ともしている。グーグルは、android 向けのアプリ提供サービスである Google Play ストア からのアプリケーション排除は発表していないが、それらのメディアが同社のサービスを使って広告収入を得られないように対応するとしている。
 2/27にはEUが、RTやスプートニクがプーチン大統領の戦争を正当化し、EUを分断するための虚偽をこれ以上拡散できないようにすると表明しており、このような動きにはそれなりの妥当性があると言えるだろう。

 東京新聞の記事を見て思った。ロシアがウクライナへ侵攻する前から、RTやスプートニクは、2014年の一方的なクリミア併合などに関して、ロシアの侵略行為を正当化する政治宣伝・プロパガンダをやっていたのだから、今回の戦争が始まる前にこのような排除を行うべきだったのか、それともそれは行き過ぎた検閲にあたるのか、評価がとても難しい、と。

 現在、ネット上の情報を牛耳る存在として、しばしばGAFA:Google・Apple・Facebook(現Meta)・Amazon の名前が上がる。それらは、OSや検索サイト、SNSや動画サービス、ネット通販の分野において絶大な立場にあり、最早ある程度の国以上の影響力を持つ存在になっていることは間違いない。
 例えば、検索サイトに関してGoogleは、世界で9割のシェアを誇っており、それはつまり、Googleの検索結果から排除されたサイトは存在していないにも等しい状態になる、ということだ。同社はYoutubeを傘下に持つ企業でもあり、Youtubeは動画サイトとして絶大な人気を誇っており、Youtubeから締め出されたら、それは存在の否定にも等しいと言えるかもしれない。存在の否定は言い過ぎだとしても、他者がその存在を認識する可能性は著しく低下する。それはある意味で、Googleが排除を決めれば異端者にされてしまう、とも言えるのではないだろうか。ネット上の活動から収入を得たいなら、Googleのサービスに排除されることはかなり致命的だ。そんな意味で、Googleは利用者に関する生殺与奪の権を有しているとも言えるだろう。
 勿論、Googleが検索エンジンや動画サイトを運営するにあたって不適切なサイトや動画を排除したり、検索順位を下げるなどの対応は当然なされるべきなのだが、現在はその線引きを概ねGoogle内部で決めている状況であり、しかもその線引きはとても曖昧で、かつ不透明な適応基準で運用されているようにしか見えず、決して概ね問題のない状態とは言い難い。そしてそれは、Googleに限らずツイッターやフェイスブックなどのSNSや、Amazon、Appleのアプリストアなどでも同様であり(iOSではアプリストア経由以外のアプリインストールが認められていない)、そのような大手Webサービスの運営者は、ある意味で独裁的な地位を築いているとも言える状況だ。


 多くの人は、政治的な独裁や、独裁の懸念には敏感だが、政治とは別の経済的な独占・独裁・寡頭、いや、経済的な独占の皮を被った政治的独裁の手法・一見政治とは無関係を装った独裁の手法などには、結構鈍感なのではないだろうか。勿論、そのような懸念があるから、それらのサービスを一切ボイコットする、というのは現在の状況においては決して現実的とは言えないが、少なくとも、そのような懸念がある、くらいの認識は持っておく必要がある。
 独裁は決定に時間と手間がかかる民主制よりも早い決断が可能だが、しかし間違った決断を防ぐ仕組みがない。それは政治的なこと、独裁に限らず、どんなことにおいても独占や一元的な管理には間違いなく弊害が存在する。各分野の大手企業には透明性の高いサービス提供、利益最優先に偏らない運営を行って欲しい。


このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。