昨日の投稿でも一昨日の投稿でも、戦争に関することを書いている。それは、ロシアがウクライナへ侵攻するという緊張感がこれまでで最高に高まっていて、また日本の国会周辺で、先制攻撃を自衛の為の敵基地攻撃能力の保持と歪曲して正当化しようとする動きが活発化しているからだ。どちらもまさに、近づいてくる軍靴の足音、戦争の足音だ。
懸念として当然大きいのはウクライナ・ロシア情勢の緊迫であり、日本の政治の動きはまだそこまでの緊迫感はない。しかし、摘める芽は早いうちに摘んでおかなくてはならない。それは戦争の芽に限ったことではないが、大したことないと放置すれば、それがウクライナ・ロシア情勢のような深刻な事態に繋がりかねない。
千丈の堤も蟻の一穴より崩れるとは、堅固な堤も小さなアリの穴が原因となって崩壊することもある、小さな誤りやわずかな油断に起因して、深刻な事態になったり失敗したりすることもある、ということを例えた言い回しだ。
新型コロナウイルスの感染拡大に関しても、当初日本では副首相までが、5月か6月には自然に収まるなんて言っていた。そのような油断・傲りが、少なくとも東アジアでは最も深刻な日本の現状を生んだのだろう。2011年の東日本大震災における津波被害とそれに伴う原発事故についても、事前にその規模の津波を想定した対策を訴えた人たちがいたようだが、当時の政府がそれを真剣に受け止めなかったために対策はなされなかった。そして実際に災害や事故が起きたら、政治家もメディアも想定外想定外と言い張っていた。
やはり何事も、摘める芽は早いうちに摘んでおかなくてはならない。だから3日も続けて同じことをこうやって書いている。
敵基地攻撃能力、防衛相の答弁は「あらゆる選択肢を排除せずとの趣旨」 岸田首相の書面回答詳報:東京新聞 TOKYO Web
あらゆる可能性について考える、あらゆる選択肢を排除しない、というのは、一般論としては妥当だろう。あらゆる可能性について考えず、最悪のケースを想定した選択肢を排除したて判断を下した為に、新型コロナウイルスの感染拡大について日本は東アジアでも最も深刻な状況に陥っているんだろうし、東日本大震災による甚大な津波被害とそれに伴って原発事故という最悪の事態が起きたんだろう。
しかしこの記事の、あらゆる選択肢を排除しない、はそれとは話が確実に異なる。
現在の防衛大臣・岸や、首相の岸田が言っている「あらゆる選択肢を排除しない」のあらゆる選択肢とは、敵国による日本への攻撃の懸念が深刻に高まった場合に、攻撃を受けるよりも先に相手国を爆撃するという選択肢、を想定したものである。これは排除しないのは明らかにまずい。
なぜなら、たとえば、強盗が自宅へ押し入る懸念が深刻に高まった場合、強盗に押し入られる前に、強盗宅へこちらから押し入って暴力で制圧する、場合によっては事前に殺害することで強盗を防ぐ、という選択肢を防犯対策として排除しない、なんて話は、誰がどう考えてもおかしい。そんなのは過剰であり、罪にも問われるような行為だ。そんな選択肢は排除するのが当然だ。しかし現在の自民政府は、それを排除せずに検討する、というか、それを正当化したいと言っている、正当化しようとしているのだ。そんなのは正気の沙汰ではない。
在日ウクライナ人がロシア大使館前でデモ 「日本政府は厳しい経済制裁を」:東京新聞 TOKYO Web
この記事は、在日ウクライナ人たちがロシア大使館前でデモを行い、「日本政府はロシアの経済に打撃を与えるような厳しい制裁を科してほしい」とも訴えている、という内容だ。
自民政府にロシアへの抗議を求めてもあまり意味はない。というか、今の自民政府がロシアのウクライナをめぐる姿勢に抗議したところで説得力がない。それは、ウクライナの同胞を支援する為、秩序と平和を維持する為に同地域へ侵攻するというロシア当局と、憲法を無視して敵基地攻撃能力を欲しがり、自衛の為と称して先制攻撃を正当化しようとしている自民政府は似た者同士だからだ。
在日ウクライナ人たちの気持ちはよく分かる。勿論完全に理解はできないかもしれない。だけど自民政府にすら救済を求めたくなる立場は理解できる。問題があるのは、ロシアへ抗議しても何の説得力もない自民政府であり、そしてそれを約10年も容認し続けている日本の有権者だ。自分の住んでいる国の政府が、ロシアのウクライナ侵攻・一方的な武力による現状変更に抗議しても説得力がないことがとても恥ずかしい。
ウクライナ東部2州の親ロシア派武装勢力、プーチン大統領に軍事支援を要請:東京新聞 TOKYO Web
こんな報道もあって、これを見ていると、先制攻撃を正当化しようとしている自民政府のままだと、その内日本も「○国の日系人が軍事支援を要請している」と主張し、これは同胞保護、つまり自衛と平和維持の為の武力行使だ、と言って、プーチンと同じ事をやり始めかねない、もしくはそれをちらつかせかねない、と思えてくる。かつての日本が朝鮮の保護を口実に日清戦争をやって朝鮮を一方的に併合したように。同様に地域の保護を口実に傀儡国家・満洲国を建てたように。そんなのは考え過ぎだとか、荒唐無稽だという人もいるかもしれない。しかし、前述したように、日本はにはそんなことを実際にやった過去がある。
そして、戦争は大抵平和や秩序の維持を大義名分にして起こる。現在のロシアも、ウクライナ領内のロシア語話者保護・親露派保護を口実にウクライナへ侵攻しようとしている。それは、それだけ見れば世界的には規模の小さい地域紛争かもしれない。だが、第一次世界大戦の引き金は直接的にはサラエボ事件とされるが、その背景にはバルカン半島におけるオーストリアハンガリー帝国とロシアによるバルカン半島における勢力争いと紛争があって、その紛争のきっかけはオーストリアハンガリー帝国が、オスマン帝国領だったボスニアヘルツェゴビナを1878年に占領し、1908年に正式に併合したことにある。
日本が日中戦争を始め、そしてそれが太平洋戦争に発展した背景には、確実に日本による満洲建国がある。太平洋戦争だけに注目しても、日本は自国防衛の為と称して仏印進駐や真珠湾攻撃をやり、太平洋戦争を始めた。そんなことが金輪際起きないように、小さな芽でも摘み取ることこそが、過去のあやまちを教訓にする、ということであり、だから先制攻撃を自衛のための敵基地攻撃なんて歪曲して正当化しようとする政治は絶対に許せない。
ウクライナをめぐる情勢については、それ自体に目を向けて間違った行為には断固とした非難と批判を示す必要がある。それとともに、ロシアを反面教師として、プーチンと同じ事をしようとする輩、同じ事が出来るようにしたい輩を日本の政治から退場させなければならない。