食い違い・相違を意味する英単語の Discrepancy の語源は、ラテン語の Discrepare なのだそうだ。dis は乖離を意味し、crepare は ひびが入る、転じてカタカタと音を立てる、の意だそうで、これを合わせた Discrepare は、異なる音を立てる/違って聞こえる という意味らしい。
Discerepancy をトップ画像に用いたのは、田中 康夫がこんなツイートをしていたからだ。 隠れ待機児童という表現が用いられているが、隠れ待機児童と言うと、本来は待機児童なのに、あたかも児童やその保護者が能動的に隠れている、のように聞こえてしまう。実際は、本質的には待機児童なのに、県や市など自治体の不適切な調査や数え方によって隠された待機児童だ。自治体や政治家等が落ち度を追及されない為に、もしくは待機児童の問題は解決した・解消したという雰囲気づくりの為に、矮小化の対象にされた待機児童 と言ってもいいだろう。
と言っても、この隠れ待機児童という表現については、決して田中 康夫の落ち度ではない。隠れ待機児童は大手メディアでも頻繁に用いられている表現だし、一部辞書でも解説されている。
待機児童問題「見える化」プロジェクト:朝日新聞デジタル
このように、隠れ待機児童という表現は、概ね待機児童問題は解消したかのように演出したがる自治体や国、政治家を批判する目的で使われているのだが、その表現自体が正確とは言えず、消極的に矮小化に加担している側面が確実にある。
数日前に、元ロイター記者で現在は国際人権NGOで活動してる笠井 哲平のこんなツイートも目に付いた。
文法的にな解説にはやや難があるとリプライで指摘されているものの、言わんとすることには賛同できる。前者の「ミャンマー軍の弾圧が続き、1500人以上が死亡」よりも、後者の「ミャンマー軍が1500人以上の市民を殺害した」の方が、明らかに実状を正確に伝える。前者の表現では責任の所在を曖昧にしているように見える。
前者の表現の方が中立的と解釈する人もいるようだが、ミャンマー軍によって非合理に殺害された人の墓の前で、遺族の前でもそのように胸を張って言えるだろうか。もしそれが出来るのだとしたら、人の心を失っているとしか言いようがない。事実を正確に表現することこそが中立公平な伝え方ではないのか。
これもやはり、”違って聞こえる” の例だと言えるだろう。
このような表現は、そこまで深く考えずに用いた場合は「誤解を招く表現」と言えるだろうが、あまりにも無頓着に、若しくは矮小化を目論んでこのような表現を用いれば、それは「誤解を招く表現」では決して済まされない。しかし今の日本では、そのような「誤解を招いた」があまりにも濫用され過ぎている。
また、前者の隠れ待機児童という表現は、3/3の投稿で指摘したことと似ていて、分かりやすくしようとした結果、表現が不正確になっている例でもある。