いいね は必ずしも肯定ではありません、いいね はブックマークとして利用しています、そんな注釈を、プロフィールに乗せているTwitterアカウントをしばしば見かける。個人的には、そんな注釈には何の意味もないと思っている。いいね は いいね であり、肯定以外の何ものでもない。第三者にとっては肯定にしか見えないからだ。
たとえば、誰かに「このアホバカ!」と言っておいて、「私のアホは高評価、バカはスゴイ!の意味の場合もあり、必ずしも否定でない」なんて言っても通用しないのと同じだ。気心知れた仲とか、それ以前にそう受け止められる相応の文脈があれば通用することもあるが、単に「このアホバカ!」と言っても肯定と受け止める人はほとんどいないだろう。そんなことを言えばトラブルになる恐れが高い。
まずTwitterには いいね とは別にブックマーク機能が用意されている。なぜそれを使わずにわざわざ いいね をブックマークにする必要があるのか。そして、誰かのツイートを読む際に、みんながその人のプロフィールを読むとは限らない。いいね機能は、以前は お気に入りという名称の機能だった。お気に入りとは、インターネットエクスプローラーがブックマーク機能につけた日本語の名称でもある為、その意味では元々はブックマークのようにも使える機能だった。だが、Twitterでは2015年11月に お気に入り/Favorites は いいね/Likes に名称が変更された。今はもうそれから6年以上が経過しており過渡期とはどうやっても言えない。いいね/Likes という名称なのだから、それを使ったら、肯定的に捉えている、と考えて当然だ。もし肯定的でない反応を示したいなら、引用リツイート機能がある。ブックマーク機能も別にある。
当事者が 肯定でないつもりで いいね しようが、いいねという名称の機能なのだから、それを見た人は、肯定を示している、と認識するのは当然だ。
全面的な肯定でない場合、この部分には賛同できないな、という部分がある場合にも いいね を付けることもあるだろうが、それでも、概ね肯定しているということには違いない。全く肯定できない投稿に いいね を付けるなんて話は不自然でしかない。
また、大きな災害が起きましたとか、事故で人が亡くなりましたとか、そんな内容の記事を紹介する投稿に対して いいね を付けることもあるが、それは災害が起きて いいね とか、人が死んで いいね という意味ではなく、そのようなことを報道する、伝える、という行為への、つまり投稿・ツイート自体への いいね である、という話はありえる。だが、○○を殺せ、○○は売女など、投稿者が主体的に暴力助長や中傷をしている場合、内容ではなく意思表示すること自体に いいね した、という話はありえないだろう。
「裁判所がセカンドレイプ許しているよう」伊藤詩織さん、杉田水脈議員への損害賠償請求棄却で会見:東京新聞 TOKYO Web
- 中傷ツイートへの「いいね」に名誉侵害は認めず 伊藤詩織さんが杉田水脈衆院議員に敗訴、東京地裁:東京新聞 TOKYO Web
- 杉田水脈議員が中傷ツイートに「いいね」、不法行為認めず 伊藤詩織さんの訴え棄却 - 弁護士ドットコム
伊藤 詩織が、自身を誹謗ひぼう中傷するツイッター投稿に いいね をされたことで名誉を傷つけられたとして、自民党の衆院議員 杉田 水脈に計220万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は名誉棄損にはあたらないという判断を示した。
裁判官は、「いいね」は肯定的・好意的な感情を示す以外の目的で用いられることもあるうえ、それ自体からは感情の対象や程度を特定できない、という認識を示し、名誉棄損にはあたらないという判断の根拠としたようである。しかし、杉田は、伊藤を批判するブログや動画も作成しているし、ハニートラップ・枕営業などと伊藤を中傷するツイートに約100件も いいね をしている。なのに裁判官は、伊藤側が求めた杉田の尋問申請も認めなかった。その上でこんな判断を示した。果たしてこの判断はまともと言えるだろうか。
昨年・2021年12月に、伊藤を中傷するツイートをした漫画家のはすみ としこや、はすみのツイ―トをリツイートした者に対して、名誉棄損に当たる、という判断を、東京地裁は示している(2021年12/2の投稿)。リツイートはNGでいいねはOK? それはどう考えておかしい。リツイートは共有したツイートに対して必ずしも肯定とは言えない。「こんなひどいことを言っている人がいる」という、否定的な意味でのリツイートだってあり得る。しかし裁判所がリツイートを名誉棄損認定したということは、その背景、例えばリツイートした者が前後にどのようなツイート/リツイートをしていたかなど、前後の振舞いを加味して判断した、と言えるだろう。
なのになぜ、今回は同時期の振舞いを加味せずに、「いいね は肯定的・好意的な感情を示す以外の目的で用いられることもあるうえ、それ自体からは感情の対象や程度を特定できない」なんて言い出したのか。整合性に欠けている。しかもそもそも いいね は いいね であり、リツイートよりも確実に肯定の意味を持っているのに。
100歩譲って「いいね」は肯定的・好意的な感情を示す以外の目的で用いられることもある」を認めるとしても、ならば懸案の いいね に関連して、当事者がどのような振舞いをしていたかを調べたら、肯定・好意なのか、そうでないのか、判断はつくはずだ。伊藤側がそれをしようとしたのにそれを認めずに判決を示したのは、裁判官の怠慢でしかない。厳しい言えば恣意的な判断とすら言えるだろう。
この東京地裁判断について、リツイートは他者のツイ―トをフォロワーに広める行為だが、いいね はそうではないから、リツイートは名誉棄損、いいねは名誉棄損とは言えない、という判断も妥当ではないか? という主張を見かけたが、いいねについても「○○さんがいいねしました」とフォロワーのタイムラインに表示されるのがツイッターの仕様であり、その話は、ツイッターの仕様を理解していたら出来ないはずだ。
この件について、立憲民主党の塩村 あやかが次のようにツイートしていた。
塩村は、例えば「朝鮮人を殺せ」というツイートを読んだ際にも、読んだという意思表示をして いいね をするのだろうか。「読んだツイートにはいいねを押さないと!」と市民に言われるからという理由で、そんなツイートにも いいね するようなら、そんな政治家は全く支持できない。杉田が伊藤に対してどんなことをしていたか、をよく考えもせずに「でもこの件は難しかったのかなと思う」だなんて、その口でよくも「伊藤さんを応援しています」なんて言えたものだ。
”いいね” したが 肯定ではない と言い出したら、その人はもう「募ったが募集してない」の安倍、それを否定も批判もしない自民党と同レベルだ。つまり、判決を出した裁判官、そして塩村のようなことを言う者、この判決を支持できる人は、皆安倍と同レベルである。特に裁判所が「募ったが募集してない」を容認するような判断を示したことには、世も末感が漂っている。
トップ画像には、Youtubeように Facebookのような お気に入り - Pixabayの無料画像 を使用した。