東京ディズニーランドはスペースマウンテンとその周辺のリニューアルを発表した。と言っても、2024年までは現状での運用が続くそうだから、一旦姿を消すのもまだ少し先のことである。スペースマウンテンは1983年の開園から存在するアトラクションだが、調べてみたらこれまでにも何度かリニューアルが行われている。ただ次のリニューアルは、今までにない大規模改修のようだ。
【公式】東京ディズニーランドのアトラクション「スペース・マウンテン」および 周辺環境の一新について|東京ディズニーリゾート・ブログ | 東京ディズニーリゾート
画像は、リニューアル後のスペースマウンテンとその周辺のイメージで、これまでの姿と比べると、その違いがよく分かる。
【公式】スペース・マウンテン|東京ディズニーランド|東京ディズニーリゾート
スペースマウンテンは、東京ディズニーランドの中にいくつかあるテーマごとのゾーンのうち、未来都市がテーマのトゥモローランドにある。最初のトゥモローランドは、1967年にカリフォルニアのディズニーランドに設定されたそうだ。東京ディズニーランドには1983年の開園時から存在し、70-80年代の未来/宇宙/SF感に沿った無機質なデザインが特徴的だ。
【東京ディズニーランド トゥモローランド 非公式動画】TOKYO DISNEYLAND TOMORROWLAND UNOFFICIAL VIDEO - YouTube
3/25の投稿でも書いたように、自分が初めて東京ディズニーランドに連れて行ってもらったのは1986年のことで、しかしその時は駐車場が満車だった為に入園できず、実際に入園して遊んだのはそれから更に後、多分87年か88年頃だ。小学校中学年だった頃で、だんだんと、親に連れて行ってもらうのではなく友達同士で電車に乗って出かけるようになっていた頃である。
ガンダムが好きだった自分にとって、ディズニーランドで最も魅力的だったのはトゥモローランドやスペースマウンテンの未来的な雰囲気だった。マイケル ジャクソンの3D映像を楽しむアトラクション・キャプテンEOも好きだった。最初に行った頃にはまだなかったが、小学校中学校時代には何度か遊びに行っていて、1989年に新設されたスターツアーズもとても魅力的だった。1993年に登場し、現在のバズ・ライトイヤーのアストロブラスターが出来るまでそこにあった、360度スクリーンのアトラクション・ビジョナリアムも思い出深い。
Wikipediaのトゥモローランドのページには「『未来』という時代と共に変化するテーマの特殊性故、時代の経過とともに幾度かにわたって改装が行われて来た歴史がある。トゥモローランドはディズニーランドの中でも最も改装が多く行われており、未来というテーマを扱うことがいかに困難であるかがうかがい知れる」とあり、東京ディズニーランドの次期スペースマウンテン・トゥモローランドの改装改修も、それに沿ったものなのだろうが、個人的には今のレトロフューチャーなテイストが好きだし、思い出もあるので少し寂しい気もする。
昨夜の DOMMUNE は、"CHIRASHI" - Tokyo Punk & New Wave '78-80s チラシで辿るアンダーグラウンド・ヒストリー という企画で、1978年から1983年頃のパンク/ニューウェーブバンドのライブ告知ビラ・チラシを振り返るという内容だった。1980年のチラシには、当然のように1980という数字が頻繁に出てくるのだが、それを見ていて思った。1980って数字、古いのにどこか新しい感じがするのはなんでだろう。個人的な感覚かもしれないが、1990よりも1980のほうが新しい感じがする。もしかしたら2000よりも新しいかも、と。
自分は1970年後半の生まれなので1980年を体験はしているものの、まだその頃は物心ついておらず記憶はほぼない。だから1980年が節目、新しい時代の幕開け、みたいなことをリアルタイムで思ったことはない。そんな風に考えると、寧ろ1990とか2000の方が新しいと感じるはずでは?とも思うのだが、なぜか1980の方が新しい感じがするのだ。
今1980年代の映像や写真なんかを見ても、全然新しいという感じはしない。特に1980年代初頭は寧ろ古臭い感じの方が強い。自分が生まれた頃の写真を見ると、ド昭和、つまり1950年代とあまり変わらないような印象がとても強く、自分にとって1970年代はとても古い印象がある。1980年代になったらそれがいきなり変わるか?と言われたらそんなことは全然ないし、1980年代初頭は確実に1970年代と地続きだ。
自分にとって1980が1990や2000よりも新しいイメージがあるのは、多分その年代に経験したことの影響が大きく、また社会の雰囲気も大きく影響しているんじゃないかと思う。
1980年代の印象は、冒頭でスペースマウンテンやディズニーランドのトゥモローランドについて書いたようにレトロフューチャーだ。今でこそレトロフューチャーだが、当時はレトロなんて全く思っていなかったし、未来感に溢れていたように思う。1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式ではジェットパックで人が飛んでいた。また翌年・1985年のつくば万博・国際科学技術博覧会でも同じものが披露された。そのつくば万博も1980年代が未来を感じさせる大きな要素の一つだろう。また、大友克洋のAKIRAの連載が1982年に始まり、1988年にはアニメ映画にもなった。
AKIRAだけでなくマンガの革新も確実にあり、鳥山 明や江口 寿史などポップな画風の作家が頭角を現したのも1980年代だ。そのポップさは、現在再び注文を浴びているシティポップの文脈ともつながりがあって、日本の音楽で言えば、YMOが流行ったのも1980-83年頃だ。このように、1970年代のどこか野暮ったいイメージが大きく変わっていったのが1980年代で、だから1980に新しさを覚えるのだろう。
一方で1990年代や2000年代がどうかと言うと、実質的に言えば、1990年代は1980年代と比べれば確実に現在寄りだし、1980年代の自分が1990年代後半を見たら、携帯電話だとかパソコンだとか、インターネットだとか、絶対に未来を感じたはずだ。しかし、当時の自分は、1990年代になった頃、当初は新しい時代の到来を期待していたのに、実際は1980年代との違わなさに大きく落胆したものだ。たとえば1990年代初頭に既にバーチャルリアリティーという言葉が一般化し、一部ではヘッドマウントディスプレイも登場したが、中身は全然子供だましのおもちゃだった。自分が当時想像したVRやHMDが実現したのは、オキュラスリフトが登場してから、つまり今からたった数年前の2010年代のことだ。また、ケンイシイのアルバム・ジェリートーンズの初回限定版にはCD-ROMが付いていて、PCでMVが見られるというのでCD屋を何軒も回って探したが、いざ再生してみたら、かなり低い解像度の映像が小さく表示されたことに落胆したのもよく覚えている。
つまり、当時の自分は1990年代の先進性に対してあまりにも大きい期待を持っていて、それが大きく裏切られたことが1990年に未来感・先進的な印象が持てない理由だろう。でも、それも決して無理もないのではないか。日本の1960年代から1970年代、そして1980年代への変化はあまりにも大きく劇的過ぎた。そして1980年代には、その劇的な変化が今後も同じように続くと誰もが信じて疑わなかった。そして、1980年代後半はバブルの絶頂で、1990年代になるとすぐバブル崩壊を迎えるという落差もとても大きかった。また、1990年代には阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件などもあり、決して明るい未来が見えるような10年ではなかった。
2000年は、20世紀から21世紀へという大きな節目であったが、明らかに1990年代の雰囲気を引きずっていて、21世紀への期待感は、そのリアルタイム2000年よりも1980年代の方が確実に大きかった。つまり2000年は21世紀を迎えたにもかかわらず、1980年代よりも未来感に乏しいという状況だったように思う。インターネットが一般化して携帯電話でもメールやWebサイトが利用できるようになるという、1980年代には想像もできなかったことが現実になっていたにもかかわらず。
また、2000年代はまだ自分にとってはそんなに古い時期ではなく、2000年代の延長線上に現在・2020年代があるというイメージであり、2000年代は今と比べたら確実に古臭く感じる時代でもある。実際には1980年代も同じなのだが、ある種の思い出補正と、1970年代以前と1980年代の差の大きさなどから、1980年代が先進的で未来感のあった時代に感じられるのだろう。
これは、自分が1980年代に少年期を過ごしたから感じることかもしれないが、しかし決してそれだけが1980に未来感を覚える理由ではなく、当時流行った色使いやデザインテイスト、そして明るい未来が今後も続いていくと信じて疑わなかったポジティブさなどが、そう感じさせているのだろう。
最後に思い出したが、当時の電化製品・特に1980年代後半のラジカセやコンポなどAV機器の、無駄とも言えるほどの多機能さやデザイン性も、1980に先進性や未来感をイメージする理由の1つかもしれない。
トップ画像には、vintage gray game console and joystick photo – Free Retro Image on Unsplash を使用した。