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ロシアによるウクライナ侵略とアイヌ

 昨日は一日事務仕事だったので、アニメ版のゴールデンカムイをBGV、というかBGMがわりに流していた。ゴールデンカムイは2014年にヤングジャンプで連載が始まり、先月・2022年4月に完結したばかりのマンガだ。日露戦争直後の北海道や樺太が舞台の中心で、アイヌの隠し財産とされる金塊をめぐる争奪戦が描かれている。歴史上の人物も何人か登場するがフィクション作品だ。

 同作品の主人公は、日露戦争を生き抜いた元日本軍の兵士とアイヌの少女で、同作品は当時のアイヌ文化にも多く触れている。アイヌ語研究者で千葉大学教授の中川裕が、同作品のアイヌ語/アイヌ文化描写を監修しているそうだ。


 自分は初めて見るアニメや映画を片手間に見るようなタイプではない。アニメ版のゴールデンカムイも、これまでに製作された分は既に視聴済みで、なので昨日は作業の片手間にBGVとして流していた。ゴールデンカムイはマンガ版もいいが、アイヌ言葉のイントネーションや発音まではよく分からないので、アニメ版の存在意義が他のマンガ/アニメよりも大きい。


 普段なら作業のBGMには、Youtubeで公開されているテクノやハウスなどのDJミックスを流す。だが昨日、アニメ版のゴールデンカムイをBGVというかBGM代わりにしたのは、一昨日の DOMMUNE が、アイヌがテーマのドキュメンタリー作品に関する内容だったから。

「チロンヌプカムイ イオマンテ」アイヌ民族の幻の祭祀を記録した北村皆雄監督の映画『チロンヌプカムイ イオマンテ』公開記念 「死と再生の儀礼プログラム」The ritual of death and rebirth - DOMMUNE

 北村 皆雄監督作品・チロンヌプカムイ イオマンテが番組のテーマで、同作品では、イオマンテという、動物を殺してその魂を神々の住むところ (カムイモシリ) に送り帰す祭・儀礼の様子が映像化されている。チロンヌプとはアイヌ語でキタキツネを意味し、カムイは神とか精霊のようなニュアンスだ。

 今日のトップ画像は、平沢 屏山が1875年に描いたイオマンテ後の祝宴の様子で、そのイオマンテで送られているのはヒグマである。左側の祭壇のようなところに、ヒグマが横たわっているのが分かる。

 番組はイオマンテのことを中心に、それ以外の北海道アイヌ文化などにも触れながら進められた。DOMMUNE での配信だったのでトークパートの後にはDJパートがあり、TEA YOUNG DAY と BUSHMIND による、北村 皆雄監督作品のサウンドトラックをアレンジしたトラックによるDJ ミックスが披露された。

チロンヌプカムイ イオマンテが番組のテーマだったので、当然アイヌ語の歌も多くミックスにフィーチャーされており、それを聞いていて、アイヌは確実に大和民族と異なる民族/文化圏と実感した。琉球民謡を聞く時に感じるのと同じ感覚だった。

 それでアイヌ語のことを少し調べたくなってWikipediaを見ていたら、そこに、かつてのアイヌ語分布という地図があった。

 この地図に示されているように、以前は北海道だけでなく樺太(サハリン)や千島(クリル)列島にもアイヌ語が分布していたこと、つまりアイヌ民族が広く居住していたことが分かる。この地図が意味するのは、アイヌもアフリカの諸民族やクルド人同様、帝国主義の中でロシアと日本に分断され翻弄されてきた、独自の国を持たない民族である、ということだ。


 近代以前、北海道は江戸時代から蝦夷地として、松前藩の影響が及ぶ地域だったり、1800年頃からは幕府の直轄地になったりしていたが、樺太、千島列島は日本のものでもロシアのものでもなかった。江戸末期に幕府とロシアとの間で日露和親条約が結ばれ、北海道と千島は択捉島と得撫島との間が境界とされ、北側がロシア領、北海道側が日本領となる。樺太はその時点では日露混住の地とされたが、近代に入るとこのようなアイヌ分断の歴史が始まった。

 そして日本では1868年に江戸幕府から明治新政府へと体制が変わり、それから数年後の1875年、日露間で今度は樺太・千島交換条約が結ばれる。日露混住の地とされた樺太で日露の紛争が頻発するようになった為、カムチャッカ半島以南の千島列島全てを日本領とする代わりに、樺太はロシア領とする取り決めが行われた。

 さらに1905年には、日露戦争の結果として、日露講和条約、所謂ポーツマス条約が結ばれ、樺太の南半分が日本領となる。これによって、前述の地図のアイヌ語分布地域の殆どが一時的に全て日本領となった。

 しかしそれも数十年の束の間で、1941年に日本は米国を始めとした連合国を相手に太平洋戦争を起こす。ロシアは1922年にソ連へと体制が変わっており、太平洋戦争時ソ連も連合国側の国だった。ただ、日本は1941年にソ連との間に日ソ中立条約を結んでおり、太平洋戦争が始まってもソ連は対日戦に参加しなかった。というか、西側でドイツからの攻撃に晒されており、それどころではなかった。
 ちなみにソ連軍は第二次世界大戦で最も多くの犠牲者を出しており、日本軍の犠牲者は200-300万人と言われているが、ソ連軍の犠牲者は1000万人超とされている。

 しかし、1945年5月にナチスドイツが崩壊しヨーロッパにおける第二次世界大戦が終わると、ソ連は兵力を極東に向けた。そして同8月にソ連は日本のポツダム宣言拒否などを理由として宣戦布告し対日戦に参加した。日本がポツダム宣言受諾した8/15、または日本が正式に降伏文書に調印した9/2までに、樺太と千島列島の全部、そして所謂北方四島を占領し、現在も実質的には、樺太と北海道の間、北方四島と北海道の間に日本とロシアの境界線がある状態になっている。

両国の実効支配領域の変遷

1875年:樺太・千島交換条約 1905年:ポーツマス条約 1945年:第二次世界大戦の終結


 現在もこの結果として、日露間には北方領土問題があるが、本来は北海道も樺太も千島列島も、日本のものでもロシアのものでもなく、そこはアイヌの住む土地だった。このことから思い出されるのは、現在もロシアによる侵略がウクライナで続いているが、現在の戦争の発端となっているのは、2014年にロシアがウクライナのクリミア半島などに侵攻したことで、そのクリミア半島も、元々はロシアのものでもウクライナのものでもなく、元来はクリミアタタール人が住む土地だった、ということだ。そのことについては2/1の投稿でも触れている。

 長く続くイスラエルとパレスチナの関係や紛争だって帝国主義の悪影響によるもので、クリミアの問題やアイヌの分断と根本的には同質の問題だ。日本人の多くは、自国にもアイヌの分断という同種の問題があるのに、そのことには殆ど目を向けない。
 もちろん現在アイヌの人たちが日本からの独立を強く求めているわけではないが、日本人の中には、アイヌは先住民ではないと言う人がいたり、中にはアイヌなどいないとさえ言うバカもいる。そんなバカをこれ以上生まない為にも、日本人は自国内にも民族問題があることを認識しておかなくてはならないし、風化させないように語りついでいかないといけない。
 何事においても、過去を省みず、過去を忘れれば、再び同じ過ちを繰り返すことになるから。



 トップ画像には、File:Ainu-iomante-bear-spirit-sending-ceremony-by-Hirasawa-Byozan-1875.png - Wikimedia Commons を使用した。

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