スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

 

井崎 脩五郎の競馬予想に自分の家を賭けるようなもの

  偏向 とは、考え方がかたよっていること、もしくはその傾向のことである( 偏向とは - コトバンク )。  元々は偏る方向性に関するニュアンスは帯びていなかったのだが、この10年ぐらい、自称保守の人達が偏向報道という表現を多用しており、彼らは気に入らない報道について偏向報道とすることが多く、所謂リベラル傾向の強い報道や、自民政権への異論となる報道をそう呼ぶので、偏る方向性に関するニュアンスを帯び始めているようにも思える。

やめられない とまらない

  やめられないとまらない 、はカルビーの定番スナック菓子・かっぱえびせんのCMコピーである。かっぱえびせんから独立して「 やめられない、とまらない 」単独のページがWikipediaにある程有名なコピーだ。当然、かっぱえびせんが美味しすぎて食べるのをやめられない、手をとめることができない、の意である。

保守主義 ≠ 差別主義

 「真摯」「丁寧」「誤解」「印象操作」など、現自民政権下で与党政治家らの濫用によって、本来の意味とは異なる意味、場合によっては360度正反対の意味すら付加されてしまった日本語は枚挙に暇がない。00年代以降、その意味が変容している、いや、実際は誤用が常態化しているだけで、本来の意味が失われたわけではないので、変容は少し違うかもしれないが、 本来とは異なる用いられ方が甚だしい言葉に「右翼」「保守」がある 。

自分の責任について、専門家の意見を仰ぐという首相

 仏教では、お経を唱えるだけで救われることになっている。地域によっては、マニ車を回せばよい、とされているような場合もあるが、マニ車にもお経が書かれていて、マニ車も結局は「お経の代わり」だ。  そのようなことから、同じ文言をただただ繰り返すだけの様子を、 呪文か念仏を唱えるかのように 、と揶揄することもあるし、実行性の伴わないことや心にもないことを言う口先三寸な様子を、 空念仏 ・ 空念誦 と言ったりもする。

人権軽視オリンピックで世界が一つになる?

  協調性 という言葉の呪いについて、「 クラスみんな仲良く 」という、日本の学校教育の中で頻繁に用いられる話を例にして書いたのは5/20で、ほんの1週間前のことだった。その投稿「 協調性という呪いのことば 」でも、オリンピックについても触れたが、もっとがっつり触れないといけない話がまた出てきた。

普遍的で根本的な倫理規範の尊重

  オリンピック憲章 の前文の次の項である「オリンピズムの根本原則」にはこんな文言がある。

本文も読まずに批判するな、のおかしさ

  トップ画像に用いたのは、実はヒレカツの写真ではなくメンチカツの写真 だ。ヒレカツ定食のメニュー写真にメンチカツの写真が使われていたら、メンチカツをヒレカツと偽っているのだから、それは間違いなく嘘である。但し、注目して実際に出てくるのがヒレカツ定食であれば、9割の人は文句を言わないだろう。