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4月, 2017の投稿を表示しています
 

似ている表現と印象の差

 珍しいもの・一般的ではないものを表現するときに”変”という漢字を使った表現をすることがある。”変な”とか”変わった”ナントカのような使い方だ。この変という字には可も不可もなくただ単に一般的ではないということを意図する場合と、おかしい・誤っているというようなニュアンスを含めてネガティブな意味合いで使う場合とがあると思う。”変な”も”変わった”も共にどちらの意味合いでも使われることがあるが、個人的には”変な”の方がよりネガティブなニュアンスが強調される特徴があると感じる。例えば「変わったクルマに乗っているね」と言われたら、単にあまり見かけない珍しい車種というように感じる人が多そうだが、「変なクルマに乗っているね」と言われたら、そんなクルマに乗るなんて滑稽だね、もしくはみすぼらしいねと言われていると聞き手が感じる確率が、”変わった”クルマと言われるよりも数段高くなると思う。人とは違うモノを良しとするマニアの中には、逆に”変な”クルマと言われることに喜びを感じる人もいるだろう。珍しいものを表現する際に”変な”という言葉を使うべきではないという話ではない。言葉の持つ微妙なニュアンスの違いに気をつけて、時と場所を考慮した上で適切に自分の心情を表現し、且つ相手にそれが出来るだけ有りのまま伝わる言葉を選ぶのが、上手いコミュニケーションのとり方だということだ。

高等教育を無償化する為に憲法改正が必要か

 5/3は憲法記念日だ。日本国憲法は1946年の11/3に公布され、翌5/3に施行された。憲法改正に意欲を見せる安倍政権が成立してから、テレビや新聞などもそれについて話題に話題にすることが多い。5/3を目前にTBSの報道特集でも 憲法改正の話題 を扱っていた。番組が取り上げていたのは、高校・大学などの 高等教育を無償化する為に憲法改正が必要 だと訴える政治家の存在だった。番組が注目していたのは元文科相の自民党・下村議員と、憲法改正私案を公表し、執行部を辞任した民進党・細野議員だ。二人とも 高等教育無償化の実現には必ずしも憲法改正が必要だとは言えないが 、高等教育の無償化も現在の義務教育と同じように憲法に盛り込むことにより、その機運をより高めることが見込め、実現の為に近道だとしていた。

長時間労働と部活動

 明日からゴールデンウィークということもあり、今週は複数のニュース番組でゴールデンウィークは何日休めますか?という企画を目にした。どの番組のアンケート調査でも1,2日に有給を取って9連休という人は少数派で、カレンダー通りという選択肢が最も有力だった。しかし思った以上にと言うか、自分の過去の経験から考えれば思った通りなのだが、土日のみという回答も少なくなかった。日本は先進諸国の中で有給取得率が最低であるが、祝日の数は最多らしい。とは言っても自分の経験では日本の建設業界では大きな会社は土日祝日を基本休みにしているものの、小さな会社では建前では土日祝休みを謳っているが休日出勤が常態化し代休も取れないなど、ほとんど無視しているところが多かった。以前働いていた小売業界などでは当然のように土日祝日なんて関係なかったし、週1で休みがあるかすら怪しかった。

失言と驕りと難民

 今村復興大臣が4/25に行った講演の中で、震災の被害について「これは まだ東北で、あっちの方だったから良かった。 これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な被害があったと思う」という誤解を招く恐れが非常に強い発言をしたことで、大臣を辞任することになった。この件については多くのメディアが報じており、そのいくつかから推察するに、今村氏の発言は、決して”震災が東北で起こってよかった”と言ったのではないと思えるので、この件だけであれば辞任に値するような失言ではないと考えられる。しかし昨年末に被災地産品への風評被害について、生産者に責任があると言っていると思われかねないような「 生産者の努力が必要だ 」という発言をしたり、4/4の会見で自主避難者に対して「 本人の責任 」「 裁判でも何でもやればいい 」など、およそ復興大臣の発言とは思えない被災者に対する配慮を欠いた表現を複数回している為、しかも4/4の件に関しては質問をした記者に対して激昂し、高圧的な態度を示すという嬉しくないオマケまで付いているので、この件で辞任に至るのも仕方がないというか、当然だとしか思えない。個人的には大臣だけでなく、国会議員としても適正があると思えないので、大臣の辞任だけでなく議員辞職をするべきだと思う。不倫・ストーカー認定・重婚疑惑など女性問題で議員辞職も必要という声もある中川議員よりも個人的には許容し難い。

悪しき伝統の継承

 保護者と教職員による社会教育を念頭に置いた団体であるPTAは、日本の多くの学校で組織されている。年初辺りから任意であるはずのPTA加入が半ば強制されている実態について、PTAに加入しないことを公言したりPTA自体の存在意義を疑問視するブログ・ツイートなどが脚光を浴びている。4/24、 朝日新聞 はあるPTA役員を引き受けた女性によって書かれたブログを取り上げていた。記事によると、女性は「 役員をやらずに、文句だけ言うのは無責任 」と役員を引き受け、PTAに対する不満を改善しようと、入退会の自由の明確化、役員数を減らすなどの組織スリム化などの改革案を提案したところ、役員経験者から「 来年から楽になるなんてずるい。役員をすませた私たちがバカをみたようだ 」、「 何の権利があってPTAを変えるのか 」などの声が上がり、結局前述のような改革案は否決されたらしい。この記事を読んで頭に浮かんだのは、” 軍国主義に端を発する、理不尽さを我慢することを美徳とするような、所謂、昭和的な体育会系原理主義的思考 ”と完全に 勘違いとしか思えない公平感 が未だに日本には蔓延っているということだった。

本を”読んだほうがいい”理由

 「 本を読まなければならない理由は? 」というとあるトピックがツイッターなどで話題になっている。この件について、本質である” 本を読むべきかどうか ”ではなく、 ○○すべき・しなければならない という表現について疑問視する人もいるようだが、個人的には反抗期の中学生的な発想の難癖としか思えない。考え方・受け止め方hは個人の自由なので全否定するつもりはないが、この件の話の本筋とは確実にずれている。それでもそんな主張に配慮して、 本を”読んだほうがいい”理由 は何かと問われれば、それは知識を得る為でも仮想体験が出来るからでもない。そんなのは映画でもテレビでもネットでも代用出来る。自分は 本=言語表現(日本語表現)の教科書 だから本を読んだほうがいいと考えている。

政党と議員

 都議会選挙を控え、民進党からの離党者が続出していることが話題になっている。都議会では離党者を出しているのは民進党だけでなく議会最大勢力の自民党も同様なのだが、離党のタイミングなどから現在は民進党の方がこの件で大きく扱われている。また民進党は同じタイミングで国政レベルでも離党者や党の中央から距離を置く人が出ていることもあり、よりクローズアップされているのだろう。民進党を離れる議員・候補の多くは小池都知事が中心となる都民ファーストの会に合流するようだが、率直に思うのは、選挙寸前に不利と見られる勢力を見限り、有力とされる勢力に鞍替えすることは、日和見主義的で結局政策だとか主義だとかより、自分の当選だけが重要だ思ってるように見えるということだ。

だと言います

「 ---だと言います 」 近年テレビなどでよく耳に(目に)する言い回しだ。ーーーにあたる事柄は伝聞であり、裏取りが出来ておらず不確定であることを意図する表現だ。自分が耳慣れないのは、以前は「---だそうです」と言っていたと記憶しているからかもしれない。と言っても「---だそうです」だろうが「---だと言います」だろうが意味に大差があるわけではない。クレームを回避する為の予防線なのだろうか、どの番組でも必要以上に多用されている印象を受ける。個人的には公共の電波で放送している以上ある程度自信を持って番組を作って欲しいと強く思うが、バラエティなどの娯楽番組などなら扱う情報の裏が取れていなくても、あからさまな間違いでなければそれで良いのかもしれない。ただシリアスな報道番組までそれではまずいのではないかと思う。

テロへの懸念が排斥の大義名分にはならない

 大統領選挙の第1回投票を目前に控えた時期に、フランス・パリで警察官が銃撃され死亡する事件が起きた。各メディアはテロ事件として扱い、IS系の通信社は犯行声明を伝えている。この事件は本当にテロなのか。警察官が射殺されたとしてもテロ事件といわれる場合もあれば、そうでないこともある。テロリズムの定義とは何だろうか。ISは同種の事件が起これば、計画的か自発的かを問わず後付で犯行声明を出しているようなので判断材料としての重要性は乏しい。確かにイスラム過激派に感化されたと思われる暴力事件がヨーロッパ各国で続いていることは否定出来ない。だからと言ってイスラム系移民やその子孫が起こす事件を全てテロであるとかのような風潮は、果たして妥当なのかという疑問が自分にはある。

経済成長前提は正しいのか

 貿易が黒字に転じたとか、日本の株価や円相場は、多少波はあるものの一定水準で安定しているとか、経済状況は悪くないという数字やその根拠を目にする機会も多い。だが自分の感覚では決して景気が良くなっているとは思えない。政府は経済最優先と言い続け、国内景気の状況について支持率を守る為に誇張しているのではないかとも思うが、それよりも、そもそも経済成長を前提にした社会構造自体が問題なのではないかと思えて仕方がない。経済成長がなぜ必要なのかを考える。それは”豊かな生活”を実現する為だと思う。”豊かな生活”とは何か。戦後の豊かな生活とは新しい物を次々と手に入れる物質的な豊かさだと思う。それは戦中の物資不足の反動だったのかもしれないし、明治以降に始まった欧米に追いつけ追い越せという風潮と、戦後にどっと入ってきたアメリカ文化の影響を受けた感覚だったのかもしれない。だが自分の親や祖父母の世代が何の為に必死に働いたのかと言えば、物質的な豊かさを手にしたいという思いもあったのだろうが、自分の息子や孫の世代に自分たちと同じような苦労をさせたくないという”生活を楽にしたい”という思いもあったと思う。

被害額3万円の恐喝未遂の報道価値

 タレントの坂口杏里容疑者が恐喝未遂で逮捕されたといくつかのメディアが伝えている。交際のあったホストに対して、応じなければホテルで撮影した写真をばら撒くとして3万円を脅し取ろうとしたらしい。自分はこの件をテレビ朝日のニュース番組で速報として放送していたことで初めて目にした。その後 ハフィントンポスト でも記事が掲載されているのを確認した。ハフィントンポストは朝日系メディアからニュースを引用することが多いが、この記事の中では産経ニュースなどが報じたとしている。記事の後半ではテレ朝newsからの引用もされている。

失言の原因は組織の体質か

 今村復興相、山本地方創生相が相次いで不適切な発言を行い、短期間で撤回謝罪を行うというような事案が続いているのにも関わらず、自民党内には「他人の振り見て我が振りなおせ」という言葉を認識している人がほとんどいないのだろうか。今度は古屋選対委員長がフェイスブックで野党系候補の公約に対して「 市民への詐欺行為にも等しい沖縄特有のいつもの戦術 」という批判を投稿した。これは自民系推薦の現職を応援するコメントの一部で、共産・社民推薦の候補の主張を「 何でも反対、全く財源の裏付けのない無責任な公約 」と批判した上でそれを揶揄したものだ。昨日投稿した 山本大臣の件 でも”政権与党内に構造的な問題があるから、こういった問題発言が繰り返されるのではないか”と書いたが、首相・官房長官らは古屋氏のコメントについてどう感じるのか、どんな反応をするかがとても興味深い。

政治不信は無くなるのか

 山本地方創生大臣の「 一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ 」という滋賀県で行われたセミナーでの発言に批判が集中し、翌日に謝罪・発言を撤回することになったと多くのメディアが報じている。釈明会見によれば大臣は、史跡などの学術研究も大事だが地方創生を考えれば観光活用も必要だと言いたかったようだが、その為に” 学芸員を一掃 ”なんて発想が出てくることは、言い過ぎかもしれないが、”ドイツの為にはユダヤ人の一掃が必要だ”と同じではないのかとさえ思えてしまう。自分の支持者へ向けて過激な発言で場を盛り上げようとしただけなのかもしれないが、それにしたって質の悪いネットニュースの見出しのようなレベルで余りにも冗談のセンスが無さ過ぎる。

時給1500円は高いのか

 4/15、新宿で最低時給の1500円への引き上げを求めるデモが行われたことが複数のメディアで報じられている。デモを行ったのはエキタスという若者のグループだ。最低時給1500円と聞いてまず思い浮かんだのは、夢物語では?という感想だ。物価の高い東京では比例するように時給も国内の他地域より比較的高い。しかし東京の街中で見かけるコンビニ・飲食チェーンなどの募集広告でも大体1000円から1200円ぐらいが相場だろう。中には最低賃金を無視するような900円以下の募集を見かけることすらある。政府は景気は緩やかに回復なんてお決まりの台詞を毎年並べてはいるし、株価や円相場もそれなりに安定、失業率は過去最低というニュースが報じられてはいるが、可処分所得は微減、非正規雇用が増えているなど相反する要素も多く景気が良くなっているとは思えないのが現状で、大企業の内部留保は過去最大らしいが、時給を引き上げるだけの体力が日本の多数派である中小零細企業にあるようには思えないし、国民よりも企業の経済性重視の政策を進めているように見える現政府が、そんな現状を知りつつ最低賃金を引き上げるなんて施策を行うとは到底思えないからだ。

テレビ・報道の問題点

 BuzzFeed Japanに4/15、「 信頼失う新聞・テレビは滅ぶのか 池上彰さんが「楽観できない」と語る理由 」という記事が掲載されている。昨年の米大統領選以来話題になっている所謂フェイクニュースと、ネット・SNSの普及と反比例するように下がるテレビ・新聞など既存マスメディアへの信頼の低下について書かれたものだ。この記事を読んで、記事にもコメントつけたが、既存のマスメディアに対して攻撃的な人は、”嘘つき”と口撃するが、しかしテレビ・新聞と同じように、もしくはそれ以上にネット上にも嘘つきは多い。ただ”嘘をつく”人がどこで嘘をつくかが変わっただけで、ネット以前も以後も状況は実際あまり変わってないと思う。テレビ・新聞など商業メディアは金が絡んでいるから信じられないと言う人もいる。しかし”嘘をつく”人の動機が必ずしも金とは限らない。さらにネットでの発信に金が絡んでいないという考えもある意味では幻想だ。要するに既存の大手マスコミ嫌いというのは、伝えられる情報の真偽について考えることに疲れた人や悪い部分だけを強調したい人が、新しいメディアであるネットの良い部分だけを見て妄信しているように見える。と感じた。

北朝鮮情勢をめぐる演出

 4/15は北朝鮮では国家建設の父(初代独裁者)・金日成の誕生日として祝日になっているらしい。今年は金日成生誕105周年らしい。北朝鮮当局は金正恩体制になってからミサイル発射・核実験を頻繁に繰り返している。それらは政治利用を目的に北朝鮮の祝日や他国の外交的な活動が行われる期間などに合わせて行われてきた。米国の北朝鮮監視を行う組織などによれば、ここ数週間核実験を行う兆候が確実にあるようだ。さらに米大統領は、場合によっては独自に北朝鮮への武力行使する可能性について言及し、アメリカの大手メディア・NBCは核実験の動きがあれば、アメリカの先制攻撃もありうると報じている。と言うように、現在の朝鮮半島情勢は明らかに緊迫感が高まっているし、4/15に何かが起こりそうだという憶測が広まっていた。

日米交流事業中止の理由

 4/11に テレビ神奈川 が、4/19に米海軍横須賀基地で行われる予定だった日米地域交流行事がアメリカ側の都合で中止されたことについて「日米交流事業が中止 北朝鮮への軍事圧力影響か」という見出しで報じた。これに対し、在日米海軍司令部が翌12日に中止の理由はペンス米副大統領が横須賀基地に停泊している空母・ロナルドレーガンの訪問に対応する為で、テレビ神奈川の見出しにある「北朝鮮への軍事圧力の影響」ではないとし、米海軍への取材も行われていない無責任な報道だという見解を示している。個人的には米海軍がセンシティブになり過ぎているように見える。

人口減少と移民

 ここ数年度々取り上げられる日本の人口減少問題。いくつかの試算があるようだが、軒並みおよそ50年後には人口が1億人以下に減るらしい。経済規模・国際的な競争力を維持するという観点などから人口減少は望ましくないという意見が、政府・財界・マスメディアなどでは主流のようだが、自分には”人口が減ると日本は不幸になる”と言われているようでどうも腑に落ちない。そもそも経済的に成長をしなければ生活の質を維持できないという社会構造自体に大きな疑問を抱いているし、日本より遥かに人口の少ないヨーロッパ諸国の幸福度が日本より高かったり、日本と同等、もしくはより高い文化水準を有していることを考えれば、人口減少をネガティブ視することには、やはり疑問を感じざるを得ない。

廃棄する理由

 東京新聞が「 特定秘密を非開示のまま廃棄 政府、制度改善を否定 」という記事を載せている。要約すると秘密指定期間を保存期間より長く設定することが現状の制度では可能で、これを利用すれば政府機関が都合の悪い情報を国民の目に触れさせずに廃棄することが可能だが、政府は「適切な運用を行っており、恣意的な廃棄はない」として制度の変更をしないと明言したという記事だ。南スーダンの日報、森友学園の国有地払い下げ価格決定の経緯など、特定秘密でなくても恣意的な廃棄が疑われる件が直近で起こっているにも関わらず、「適切な運用を行っており、恣意的な廃棄はない」という政府の見解に対して、手放しで「そうだね、その通りだね」と頷く人はどれほどいるだろうか。

科学的根拠と感情論とタバコ

 現代の社会に於いて、科学的根拠だとか統計による数字などは客観的で誰にとっても公平な判断をさせる材料であるような感覚を、多くの人が持っていると思う。しかしそれは正しい感覚と言えるだろうか。情報技術が発達した今、写真や映像も殆どわからないようなレベルで加工が施せるようになり実際とは異なる演出が可能で、それだけでは必ずしも決定的な証拠といえるか微妙になりつつあるのと同様に、科学や統計による数字、調査・研究結果もそれを用いる人間に都合のいいように演出されていることもあるのではないかと感じる。

必要な我慢と必要ない我慢

 ハフィントンポストで黒岩揺光氏のブログ記事「 森友学園の実態にショックを受ける前に私たちが考えなければならないこと 」を紹介している。学園の幼稚園で「安倍首相頑張れ」と園児が言わされていた件について、その場にいた保護者・学校関係者などが誰一人として「おかしい」と思わなかったのかという事と、入学式などで行われる校長・理事長・議員などの来賓たちが行う所謂”つまらない話”を生徒・保護者が聞かされるが、それについても誰も異論を唱えないことの共通性を考察している記事だ。自分にはそれぞれの件は似ているようで微妙に異質なように感じられ、納得させられたかと言えばそうでもないのだが、しかし確かに入学式などで行われる年長者の”つまらない話”が必要かという疑問には同意出来ると感じた。記事に「つまらない事を我慢するのも教育の一環」というコメントがつけられていた。この主張もある意味では間違っていない、むしろそういう要素も必要なのかもしれないと感じたが、よくよく考えると”自分の望まないことを我慢する”ことは必要かもしれないが、年長者の”つまらない話”がその我慢の対象としてふさわしいとは思えない。

誰のための教育か

 BuzzFeed Japanである インド人女性が書いた記事 が紹介されている。「インドの子どもたちは、目上の人に対して異議を唱えるのは失礼だと教え込まれて育つ。そして大人になってからも、社会について批判的思考を持つことができない。」という内容だ。この記事を読んで日本でも同じようなことはあると感じた。記事の内容ほどではないにしろ、理由の良くわからない校則を守れと言われたり、誰かが決めた中学生・高校生らしさという価値観を押し付けられたという経験が多くの日本人にあるはずだ。こういう状況は秩序のある社会を形成するのに役立つという反面、主張が出来ない・自分で考えられない、もしくは自分で考えるという習慣がない人間を育てているとも言えるのではないかと思う。

米国の決意を支持する ということ

 泥沼化するシリア内戦で化学兵器を使用した攻撃が行われ市民など70名以上が死傷した。アメリカを始めとした西側諸国ではアサド政権・シリア政府軍が化学兵器を使用した爆撃を行ったという見解が拡がっているが、アサド政権を支持しているロシア政府はシリア軍は化学兵器を保有していない・使用していないという見解を示している。今までの経過などを考慮すると、アサド政権やこの件に関するロシアの主張に信憑性があるとは思えないが、現状ではその主張が真実ではないという明確な根拠は明らかになっていない。にも関わらず、アメリカ・トランプ大統領はこの件に関する裏取りが出来たとして化学兵器攻撃の拠点とされるシリア空軍基地への攻撃を指示し、実際に59発の巡航ミサイルが基地へ打ち込まれた。

性産業への偏見

 ハフィントンポストで、4年前に境界悪性卵巣腫瘍を患い卵巣を全摘出した元AV女優の麻美ゆまさんを取りげている( その1 、 その2 )。その中で病気を公表した彼女に対して「セックスのやり過でそうなったんだろう」とか「AV女優だから仕方ないな」とか「自業自得だ」とか、おそらく性産業に従事する人への偏見に基づくと思われる、心無い誹謗中傷があったことが紹介されている。自分の経験上こういう発言をする人は男女共にいる。このような発言をする女性は性を売ることについて根本的に嫌悪感をもっており、偏ったフェミニズムに傾倒していることが多い。つい”偏った”と表現したがそれは、自分は支持できないしそれは誹謗中傷を正当化する理由にはならないが、その考え方自体はグレーゾーンではあるものの宗教観や道徳観と考えれば完全に否定できるもとも言い難いと考える。

ツイッターでの表現 その2

  昨日に引き続き MXの朝番組・ モーニングCROSS の番組中に表示されているツイートを見ていて感じることだが、自己中心的というか想像力が足りないというか、「頭だいじょうぶ?」とか「お花畑なの?」とか、明らかに他人を馬鹿にしているようなツイートが表示されるのはテレビ番組として適切なのかということだ。個人的にはこの種のツイートを目にすることはかなり不快だし、子供達がこのようなツイートを番組で目にして、テレビで放送されているということを前提に”この程度は問題ない”と捉えてしまい、友達に攻撃的な発言をしないか、それがいじめにつながりはしないかと思うと心配になる。しかし一方でこのような発言自体をするべきではないとすることも、別の意味で危うい気もする。それはある意味での言論統制とも思えるからだ。しかし表現の自由は自由であると同時に責任を伴う。そう考えればある程度は番組で不適切な表現について排除することは許容されてもいいだろうと考える。

ツイッターでの表現 その1

 MXの朝番組・ モーニングCROSS を見ていて気になるのは、この番組の特徴の1つでもある常時画面下部に表示される視聴者のツイートだ。モーニングCROSSは番組自体のテロップにも誤字脱字が多いのだが、番組中に表示される視聴者ツイートも、ツイートを表示する他番組に比べて誤字脱字率が高い。モーニングCROSSが表示するツイートを選り好みしていないと好意的に受け取ることもできるが、 数日前にも書いた ように、テレビという影響力の強いメディアで正しいとは言い難い日本語を表示するということがどういう影響を社会に与えるかも考えてもらいたい。ただ番組自体もテロップに誤字脱字が多いということを踏まえれば、そもそもそのようなことを考えられるだけの能力・余裕が番組自体にないのかもしれない。好きな番組なだけにもう少しトータルで質を上げてほしい。

イルカ問題と道徳教科書問題の共通点

 山口県の海響館・神奈川県の新江ノ島水族館が先月末限りでJAZA(日本動物園水族館協会)から退会していたことを NHK などが報じている。この背景には和歌山県太地町で行われている追い込み漁でのイルカの入手を、WAZA(世界動物園水族館協会)から倫理規定に違反していると指摘を受けてJAZAが禁止したことがある。JAZAがこの方針を示したことで既に太地町のくじらの博物館や静岡県の水族館も既に退会している。イルカの追い込み漁が非難を受けるような行為なのか、これは本質的には感情的な問題だ。以前に書いた サーカスで動物に曲芸させること や、韓国などのアジア一部地域にある 犬肉食の文化 、あるいは捕鯨の是非なども同様だ。結局のところ特定の宗教感・道徳感的な感情、個人的には欧米キリスト教的な思考をグローバリズムの隆盛を背景に世界共通の普遍的な価値観であるかのように捉え、他の文化圏へ押し付けているに過ぎないと感じている。

銃剣道の背景とその安全性

 銃剣道が中学武道の選択肢に入ることが大きな波紋を呼んでいる。銃剣道は自衛官などを中心に行われている武道の一つで、国体の種目にもなっている。しかし戦前に軍事教育として行われていた銃剣術がそのベースにあり、先週話題になった 道徳教科書検定 において発覚したパン屋から和菓子屋への設定変更などと同様に、戦前・特に戦中の軍国主義的な教育や政策を想起させることが拒否反応を示す人も多い理由だろう。個人的には銃剣道を純粋な武道・競技として考えれば、中学校の体育で行われることを否定できるかは微妙だと考えるが、周辺状況を考えれば容認できないと思えてしまう。

捜査機関への信頼

 政府はオリンピック開催などを念頭に置いたテロ対策の為には、共謀罪(テロ等準備罪)が必要だと主張しているが、多方面から様々な懸念が噴出している。政府や法務大臣は犯罪組織が対象で一般市民はその対象とならないと説明しているが、犯罪組織と一般市民の線引きなんて果たして明確にできるのか甚だ疑問である。 以前にも書いた ように警察官による職務質問に対応するかは任意であるはずだが、職務質問を拒否しようとすると「やましいことがないなら対応しろ」というようなニュアンスで実質的には職務質問への対応を強制されることなどは、一般市民に協力を求めているようで実質的には一般市民を犯罪者予備軍として扱っていることのように思える。

出自で応援と出自で貶すことの違い

 照ノ富士に向けられた野次「モンゴルへ帰れ」を、スポーツ報知が彼の大関らしからぬ相撲に対するブーイングとして見出しに使用し大きな批判を浴びる事態になっている。この件に関しては、スポーツ報知の「モンゴルへ帰れ」という野次を容認するような伝え方は、差別に対する認識不足があると感じられる。照ノ富士の相撲自体を批判することには何も問題ないと思うが、それを伝えるのに差別的発言を引用する必要性は全く感じられないので、批判を受けるのも仕方がないことだろう。 ハフィントンポスト では、スポーツ報知は以前にもナイジェリアと日本のハーフであるオコエ瑠偉選手の記事で、「野性味全開」「本能むき出し」とアフリカの動物にたとえたような表現をして批判を受け記事を削除するに至ったと付け加えている。個人的にはこの件に関しては批判を受けて記事を撤回するほどでもないと感じていた。格闘家などを野獣に例えることがあるのに、野球選手だと何故ダメなのかと思うからだ。この件と今回の照ノ富士の件を同じように考えることには少し違和感を感じる。