ハフポストが7/13に掲載した記事「野球のマウンドは女人禁制? 女子生徒が伝令をした高校が注意を受ける。その真相は…」によると、甲子園予選・福島大会で、伝令役の女子記録員がマウンドに上がる一幕があり、福島県高野連がルール違反として高校側に口頭で注意するという場面があったそうだ。福島高野連の説明によると、マウンドに向かったのが女子生徒だったから注意したのではなく、伝令の為にグラウンドに立ち入ったのが選手登録されていない記録員だったことがルール違反だったので注意したそうなのだが、 当該チームは登録選手が9名しかおらず、伝令に行ける選手はいなかった。高野連側はこれを加味し、取材に対して「人数が足りない場合の対応について、こまかく周知できていなかった」ともコメントしている。
福島高野連側の説明が著しく説得力に欠けるとは言えない。以前は女子のベンチ入りすら許されなかったが、1996年には初めて女子記録員のベンチ入りを認めるなど、それなりに社会状況の変化には対応しているとも思う。しかし高校野球・甲子園をめぐっては、3月に救急措置を講じようとした女性に対して「土俵から下りろ」と指示した相撲協会と同様、高野連がこれまで過剰に女生徒をグランドから排除しようとしてきたことは紛れもない事実である。2017年、二松学舎大付が甲子園での大会前練習に臨んだ際に、選手に交じってグラウンドに立とうとした女子マネージャー2人に対して、「危険防止のためグラウンドに立つのは男子のみ」というルールを理由に、女子はグラウンドに入ってはいけないと制止された件は記憶に新しい。
確かにルールを守ることは重要だし、もしかしたら報道されないだけで、男子記録員でも同様の行為に及んだ場合注意を受けているのかもしれない。しかし前述した2017年の件を思い出すと、どうしてもルールにかこつけて女生徒を過剰にグラウンドから排除しようとしているように思えてならない。記事では福島高野連の別の
グラウンドへの立ち入りを制限するルールについて、「男女に関わらず、選手以外が試合中にグラウンドに入ることを禁止している。少ない人数で頑張っている高校もあるので、試合前の練習などで女子生徒がグラウンドに入ることは問題ない。その際はトレーニングウェアやヘルメットなど安全な服装をしてもらうようにしている」と話している。
というコメントも紹介されているが、 そもそも、女生徒がグラウンドに入るのは危険という認識・感覚自体が既に差別的であるとしか思えない。「試合前の練習などで女子生徒がグラウンドに入ることは問題ない。その際はトレーニングウェアやヘルメットなど安全な服装をしてもらうようにしている」と説明しているが、高野連は女子ソフトボールや女子野球をどのように認識しているのだろうか。「他団体は他団体でうちはウチ」ということなのかもしれないが、高野連の主催大会での練習でも試合でも、守備選手はキャッチャー以外誰もヘルメットを被っていない。グラウンドが危険な場所ならば、男子選手だろうが審判員だろうが全員にヘルメット着用を義務付けるべきだ。このような事を加味すれば、高野連もやはり、伝統云々と話をすり替え、実際は明治初期に女性が裸で相撲をとると風紀が乱れるという理由から生まれたらしい、女人禁制という現状にそぐわない規制を固持しようとする相撲協会と似たり寄ったりだ。
中途半端に歴史や人気があると、どうしても傲りのような体質が生まれるのは世の常なのだろう。余談だが、中途半端に歴史があり人気があるという意味では世襲政治家やあの政党の、まともでない説明で強引に押し切ろうという姿も、高野連や相撲協会、最近で言えばレスリング協会、某大学やそのアメフト部などとよく似ていると感じる。
BuzzFeed Japanは昨年・2017年9月にタトゥー医師法裁判で彫り師に有罪判決が出て以来、刺青をとりまく社会の状況に関する記事をしばしば掲載している。7/13にも「銭湯は基本、タトゥーOKって知ってた?」という記事を掲載しており、全国の銭湯2351軒が加盟する全国浴場組合に取材したところ、「基本的に刺青のある方もお断りしていません」という見解が示されたと紹介している。しかし記事では、スーパー銭湯や日帰り温泉など銭湯以外の公衆浴場約130店でつくる温浴振興協会では事情が異なり、これらの施設では「タトゥーお断り」を掲げる店が少なくない、とも書いている。
個人的にな感覚では多くの銭湯が「刺青お断り」の看板を掲げてはいるものの、厳格なルール運用をしていない場合が多いのではないか?と考えるということを、4/4の投稿で書いた。また、前述の全国浴場組合の軒数・2351軒に関してだが、6/4の投稿で書いたように、銭湯の軒数は3450軒、日帰り温泉は7864軒ほど存在しているようで、全ての銭湯が組合に属しているとは言えない状態だし、もし2351軒の全てが「刺青お断りしていない」としても、それがどの程度の割合なのか、言い換えれば、決して多いとは言えないことが分かると思う。
記事によると、「タトゥーお断り」を掲げる店が少なくない温浴振興協会の理事長は、
1980〜90年代にかけて、刺青を入れた反社会的勢力の人たちが店にやってきて困ることが多々あり、刺青・タトゥーお断りの自主ルールが広がりました。ですが、暴対法の施行(1992年)以降はそうした事例も減っています
とコメントしているそうだ。一応その後に「全面解禁とはいかずとも、徐々に解禁すべきだろうというのが、現在の協会のスタンス」と続けているので、刺青に対する差別が懸念される状況の改善はある程度期待できるのかもしれない。しかし視点を変えれば、既に必要性の薄くなった「刺青お断り」ルールが独り歩きしているとも言える。また、百歩譲ってそのようなルールが考え出された当時は、刺青=反社会勢力の人間、という認識が概ね合理的だったとしても、現在は確実にそうとは言えなくなってきている。個人的には、シールで隠させることも適切とは言えない措置だと思う。ある意味ではドレスコードを設ける飲食店やホテルのようなものとも考えられるが、もし現在存在する飲食店や宿泊施設の大半、ファーストフード店や庶民的な宿泊施設などまでがドレスコードで客を選別するような状況になれば、確実に不満の声が上がるはずだ。
記事では、ある調査で刺青を「不快」と答えた割合が51.1%だったこと、何を連想するかについて「アウトロー」が55.7%、「犯罪」が47.5%と答えたことも紹介している。勿論昭和の頃に流行った仁侠映画などの影響も確実にあるだろう。しかしプールや入浴施設が「刺青お断り」ルールを掲げていることで、刺青=反社会的、断られて当然の存在、という認識を生んでいる側面は決して否定できない。個人的には、SNSの隆盛・過剰な正義感が振り回されやすい状況の蔓延と相まって、1990年代よりも現在の方が刺青に否定的な声が増えているように感じている。恐らくノイジーマイノリティ、所謂声だけ大きい少数者が目立つだけでそれは錯覚なのだろうが、彼らが本来の目的を終えたはずの「刺青お断りルール」を独り歩きさせている、させようとしているのが現状だろう。同じような側面は、売春の防止を目的に定められた風営法のダンス規制が、本来の目的から離れて独り歩きしていることにもある。しかもその独り歩きを促進しているのは警察という国家権力なので、状況は更に深刻かもしれない。
高野連や相撲協会に根強く残る女人禁制論、プール・温浴施設で根強く残る刺青お断りも、風営法のダンス規制の恣意的解釈も、結局のところ、先生が誰一人として合理的な存在意義を説明することのできないブラック校則同様、ルールが本来の目的を失っているにもかかわらず盲目的・妄信的、若しくは恣意的に受け止められ、ルールだけが独り歩きしている状態としか思えない。協調性に溢れ、規律正しいことで定評のある日本人だが、それは裏返せば「規則だから、ルールだから」という、場合によっては非合理的な理由でルールを妄信しがちであるとも言えるだろう。
確かに社会生活を営む上で強調性は重要だし、規則の遵守も同様だ。しかし、規則やルール本来の意義・目的を考えるということも同様に重要で不可欠だ。ルールだから守る・伝統だから守るという話がいつ何時でも正しいなら、法改正も新設も必要ないはずだ。言い換えれば立法機関・国会は必要ないということになる。ある意味では、日本人はもう少し協調性や規律に背を向けてもいいのかもしれないと自分は思う。