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失言 ≠ 問題発言


 「普通の時の麻生さんは失言しますか?」。8/1に行われた、小学生らを招いて中央省庁がどんなところなのか知ってもらう霞が関見学デーの、金融庁での子供たちによる記者会見で、村井大臣政務官に小学生がそう質問したそうだ。日テレNEWS24の記事「「霞が関見学デー」麻生氏“失言”に質問」によると、村井政務官はこの質問に対して、

 麻生さんは非常に気を使う方で、当たり前のことを言ってもつまらないから、盛り上げようとして楽しいことを言う。それが時としていろんなことを招く。これ以上言うと私も失言になる

と答え、会場は笑いに包まれたそうだ。こんな回答をした村井政務官の感覚を強く疑うし、もし「会場は笑いに包まれた」という記事の表現が事実と乖離していないのなら、小学生が意味を深く理解して笑ったとは到底思えないし、誰か大人が笑いを誘ったのではないか?と想像する。「会場は苦笑いに包まれた」なら理解も出来るが、全然笑えるような冗談とは思えない。というかこれ以上もなにも、この発言も所謂失言そのものだ。


 失言とは一体何か。コトバンクのデジタル大辞泉によると、

 言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと。また、その言葉。

とされている。また同じく大辞林 第三版では、

 不都合なこと、まちがったことなどをうっかり言ってしまうこと。また、その言葉。 

としている。 両者は「言ってはならないこと」という点では共通しているが、微妙にニュアンスが異なる。個人的には大辞林が言及している「まちがったこと」という点が欠かせないポイントだと考える。自分は、失言とは

 何かの理由で感情的になるなどして、適切な判断を一時的に欠いて、普段なら適切だとは判断しない事を勢いで言ってしまうこと、その発言

だと思っている。「言ってはならないこと」というだけでは、本当はそう思っているが言わない方が良かった事も含まれてしまう。個人的にはそれは失言ではなく、溢れ出た本音であって、失言とするのは「間違いでした」というスタンスだけを示しているに過ぎない不誠実な態度ですらあると思う。要するに、謝罪する意図などないのに「申し訳ない」という言葉だけを口にしているようなものだと考える。

 そんな意味で言えば、少なくとも公文書改ざんが発覚して以降の麻生氏の数々の問題発言は失言ですらない。なぜなら、同じような問題発言を繰り返すという事は、反省など一切ないという事に他ならないからだ。村井氏は「麻生さんは非常に気を使う方で、当たり前のことを言ってもつまらないから、盛り上げようとして楽しいことを言う」なんて言っているが、麻生氏の問題発言に関する認識の低さには首を傾げざるを得ない。
 麻生氏の問題発言は3月以降だけでも枚挙に暇がない。象徴的な例だけを挙げると、

  •  書き換えられた文書の内容を見る限り、少なくともバツをマルにしたとか、白を黒にしたとかいうような、いわゆる改ざんといった悪質なものではないのではないか(公文書改ざんに関しての所感、5/30の投稿参照)
  •  こないだ茂木大臣、0泊4日でペルーを往復しておりましたけど、日本の新聞には1行も載っていなかったですもんね。日本の新聞のレベルっていうのはこんなもんなんだなと思って、経済部のやつにボロカス言った記憶がありますけれども。みな、森友の方がTPP11より重大だと考えているのが日本の新聞のレベルと言って、政治部ならともかく経済部までこれかと言っておちょくり倒した記憶がありますけれども、これはもの凄く大きかった条約締結の1つだと思っております。(TPP11についての所感、3/30の投稿参照)
  •  セクハラ罪っていう罪はない(財務事務次官のセクハラ問題についての所感、5/5の投稿参照)

などがあるが、どう考えても非常に気を使った発言なんて言える発言ではないし、当たり前の事を言ってもつまらないから、盛り上げようとして楽しいことを言った発言、なんて到底言えない。勿論、これらの発言は国会審議や会見、講演などの公の発言で、小学生の質問は「普通の時の麻生さんは失言しますか?」だから、普段の麻生氏についての質問で、これらとは別の場面での発言について聞いているとも言える。しかしそれにしたって、例えば、麻生氏は財務事務次官セクハラ問題に関して、被害を訴えた女性が次官を嵌めた恐れもある、なんて旨の凶悪な発言すらしており、当該女性の心情を考えたならば、麻生氏の問題発言について「麻生さんは非常に気を使う方で、当たり前のことを言ってもつまらないから、盛り上げようとして楽しいことを言う。それが時としていろんなことを招く」なんて絶対言えないのではないか。結局のところ、村井氏もその程度の認識しかないし、彼がかばう麻生氏も反省など全くしていないのだろうと強く推測する。

 連日関連した投稿を書いてきた所謂杉田LGBT差別発言と同様、今の自民党内には、自分たちの言う事が正しいのであって、批判など屁でもなく、やり過ごしていればその内消えて無くなる程度にしか思わない空気が蔓延しているのだろう。毎日新聞の記事「杉田議員問題 首相の考えは? 事務所「回答は控える」」によれば、安倍首相とその事務所は当該の事案について取材に応じない姿勢を示しているようだ。現政権は女性活躍を政策として掲げているし、自民党は「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」なんてものを示している。しかし、どう自民党よりの目線で考えたところで、そんな話は票集めの為のスタンス・羊頭狗肉・絵に描いた餅としか思えない。党や政権が掲げる方針と実際の言動が全く乖離してしまっている。個人的に自民党は、経済の話をエサに人気を集め、差別を差別ではないと主張し、結果的に大虐殺を犯すことになったあの組織と、似たような方向を向いているような気がしてならない。
 人間には感情があり、誰でも時には間違った発言をする。大事なことは間違った発言をしないことではない。勿論間違った発言自体を減らす努力も必要だが、最も重要なのは、「間違ったことを間違いだったと認める」ことだ。当然スタンスだけでは意味がない。自民党は少なくとも間違いを認められない麻生氏と杉田氏に対して厳しい処分をするべきだ。でなければ、自民党自体が間違いを認められない組織であるということにもなりかねない。

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