元大阪市長・日本維新の会代表の橋下 徹氏が、有田 芳生参院議員の主張によって名誉を傷つけられ精神的な苦痛を受けたとして起こしていた訴訟について、大阪地裁は8/8に橋下氏の訴えを棄却する判決を示した。この件については、朝日新聞の記事「橋下徹氏の訴え棄却 有田議員のツイッターめぐる訴訟」など複数の大手メディアでも報じられていた。朝日新聞などは、
有田氏は昨年7月、橋下氏が過去のテレビ番組に「1回だけ出演して降板させられた」とツイッターで投稿。橋下氏側は「降板」は一般社会での「解雇」に当たり、能力に関して否定的な印象を与え、社会的評価を低下させられたと訴えていた。判決は、現実に評価は低下しておらず、その内容も「意見や論評の域を逸脱するものではない」と結論づけた。程度に報じていたが、弁護士ドットコムが昨日・8/27に掲載した記事「橋下氏、有田氏を訴えた名誉毀損訴訟で敗訴…初適用の「危険の引き受けの法理」とは?」が、大阪地裁の判断について詳しく解説していて興味深い。
まず、橋本氏の訴えをもう一度確認すると、有田氏が2017年7月に「ザ・ワイドに1回だけ出演して降板させられた腹いせではないかと思えてしまう」とツイートしたことについて、橋下氏は「この投稿によって、能力に関して否定的な印象を与え、社会的評価を低下させられた」として提訴していた。因みにザ・ワイドとは日本テレビ/読売テレビが制作していた、2007年まで放送してたワイドショー番組である。
しかし、有田氏が急にこのようなツイートをしたわけではない。ツイートに「降板させられた腹いせではないかと思えてしまう」の腹いせとは何を指しているのかと言うと、橋下氏が寄稿し、プレジデントオンラインが掲載した記事「有田芳生の人権面は偽物だ」の中で「こいつだけはほんと許せないね」「有田は自分が嫌いな相手(僕)の出自が公になることは面白く、自分の所属する党の代表の、ちょっとした戸籍情報が開示されることはプライバシー侵害になり、人権問題にもなるから許されないと言うんだ。典型的なダブルスタンダード!」と述べたことを指している。
弁護士ドットコムの記事によれば、大阪地裁は橋下氏の訴えを棄却する判決を示すにあたって、有田氏の主張に一定程度の名誉棄損の側面を認めつつ、
橋下氏はインターネットで、有田氏を非難するにあたり、蔑み、感情的または挑発的な言辞を数年間にわたって繰り返し用いてきたというものというほかはないから、一定の限度で、有田氏から名誉を棄損されるような表現で反論される危険性を引き受けていたものといわねばならないという判断の根拠を示した。これが記事の見出しにもなっている、危険性を認識した上で行った行為から生じた損失は、ある程度自分が招いたこととして許容しなくてはならないという「危険の引き受けの法理」に関する話で、身体的な危険を伴うスポーツ関連等の事案では既に適用されたことはあるが、名誉毀損訴訟に関しての適用は初めてなのだそうだ。
厳密には少し違うのかもしれないが、散々口汚い表現で感情を相手にぶつけておきながら、自分に同様の感情的な批判が向けられた際に「それはおかしい」と言うのは道理が通らない、そのような反論が返ってくることはある程度予見できた筈だ、ということなのだろう。もっと簡単に言えば、
同じことをしているお前が言うなということかもしれない。記事では、大阪地裁がそのような判断に至った背景にある、橋本氏と有田氏の大人げない言い争いも紹介されている。
2017年10/27の投稿でも触れたように、橋本氏は兎に角感情的な主張・言葉遣いに走りやすく、個人的には、トランプ氏や麻生氏と同様に子供に見せたくない有名人の5本の指に入るような人物だと思っている。有田氏の橋本氏に対するツイートも大人げないと思うが、有田氏に対してだけでなく、のべつ幕なしに、だれかれ構わずに散々煽るような主張をしておいて、いざ自分が同じような批判に晒されると「名誉棄損」などと言いだす人が、いったいどんな感覚なのか到底理解し難い。
SNS上で、根拠に乏しい偏見や差別的な主張や、明らかに間違った認識に基づく主張などを見かけると、自分は出来る限り反論・批判をする。それは8/19の投稿に書いた、外国人であろうコンビニなどの従業員に対して、差別的な態度をとる客に遭遇した際に、目に余るようであれば客側に苦言を呈するのと同じことだと考えている。たとえSNS上の独り言のような投稿であっても、誰もが見られる状態にしてあるようであれば、それは独り言の範疇に収まらないし、見た者の中に「こういうこと言ってもいいんだ」と勘違いする者もいるかもしれないと危惧するからだ。
差別や偏見、明らかに間違った主張を当然のことにしてはいけない。政治家や有識者・タレントなどの影響力のある者は当然見過ごせないが、たとえそれを主張しているのがそれほど影響力を持たない市井の徒であっても、数が増えれば少なからず影響力を持つことになるので、おかしいことには「おかしい」と言う必要があると思っている。
しかしその手の人達は、話に行き詰ると十中八九、こちらからの批判に対して「多様性の尊重を否定する主張も、多様性を尊重するなら認めろ」「偏見を認めないことこそ偏見」などの、他人に偏見の目を向け散々差別的な主張をした自分のことは棚にあげ、「そのような批判は差別的」などと被害者面をし始める。個人的には、橋本氏が有田氏を訴えたのと同じような所謂逆ギレ的な論拠としか思えない。
差別や偏見を撒き散らす者の多くは、大抵被害者を装うもので、差別や偏見だと公言する場合など殆どない。例えば、ナチスドイツがユダヤ人を迫害・虐殺した背景には、ヒトラーが「アメリカの金融社会の中には間違いなくユダヤ人が大きな影響を与えている」などとして、ユダヤ人がドイツだけでなく世界を牛耳ろうと画策しているという、勝手な被害者意識を根拠にしていたということがある。少し前に嫌韓のスローガンにしばしば用いられた「在日特権」という話なども似たようなものだろう。
主張の根拠に正当性はあるのか、背景にどのようなことがあるのかなど、よく考えずに受け入れてしまうと、無意識に差別・偏見を撒き散らすことに加担することにもなりかねない。個人的にはSNS上で汚い言葉を選びがちな者、合理性のある説明が出来ずに、ある種の言葉をお題目のように唱えがちな者などには、特に注意が必要だと思っている。