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テレビ番組で取り上げられる「不適切なツイートの扱い」に関する話


 「ミスター東大コンテスト」に出場した経歴を持ち、ユーチューバーとしてもそれなりに有名だった東京大学経済学部の学生が強制性交罪で起訴された、と多くのメディアで10/24前後に報じられた(日経新聞の記事)。MXテレビ・モーニングCROSSでも10/26に、その日のコメンテーターがそれぞれテーマを決めて所感等を論じるオピニオンCROSSというコーナーでこれを取り上げていた(取り上げたのはジャーナリストの中村 竜太郎さん)。
 まだ起訴という段階であり、被疑者は「酒に酔っていて覚えていない」と否定しているようで、実際に犯罪行為が確定したわけではないが、中村さんは被害者女性への取材を元に何があったのかを論じていた。中村さんの説明や被害者女性の言い分が事実と大きく乖離していないなら、被疑者と同じマンションに住んでいて、そのエレベーター内で被害にあったという女性が被ったのは、直接的な被害だけに留まらず、それに伴い引っ越しせざるを得ない状況や、それまで同様に働く事が出来なくなってしまった状況によって受ける経済出来な負担、これからエレベーターに乗る度に頭をよぎるであろう最悪な記憶等、その影響は計り知れない。


 この件に関する視聴者ツイートが放送中に複数画面に表示されていた。その中に次のようなツイートが含まれていた。






前述のように、確かに被害者が被った影響はとても大きく、被疑者の加害行為が事実なのであれば、相応に刑事的にも民事的にも罪を償い、被害者女性の様々な負担を補償しなくてはならないだろう。しかしそれでも、加害者の人権を一切無視していいわけではない。いかなる処分も法律に則って判断・決定されなければならない。彼らの主張はどれも法律を大きく逸脱する私刑としか言えないような話だ。そんな事を平気で番組タグを付けてツイートしている人達がいることに強い懸念を感じる。また、画面で取り上げる番組も番組だ。
 一番最後のツイートに関しては「法律を変えて」と言っているので、それなりに合理性のある話にも見えるかもしれない。しかし彼は、

ともツイートしている。性犯罪は確かに許せない犯罪行為の一つであることには違いない。しかし「最終的に殺人を犯す可能性がある」というのは余りにも短絡的で、話が飛躍し過ぎている。

 また、これらのツイートに比べたらその論調はあまりにも極端とまでは言えないかもしれないが、

というツイートもあった。確かに性犯罪者に限らず何度も同じ罪を繰り返してしまう人は存在する。また、性犯罪は(性犯罪に限らずドラッグ関連や窃盗等でも)依存症のような側面もあり、同じことを繰り返してしまう人もいる。そのような人達にどのように対処するべきなのか、という問題提起と捉える事も出来なくはないが、「クズ、卑しい」なんて罵倒する側面を持つ表現を使っているのを勘案すると、単に感情的になって罵詈雑言をぶつけているだけのようにも見える

 自分はこれらのツイートが番組中に画面に表示されるのを見ていて、

とツイートした。このようにツイートした理由は、自分も10/25の投稿で触れた、ビ・ハイアという企業の元従業員女性が自殺し、女性の遺族と元従業員2人が「社長から凄惨なパワハラを受けた」として、社長と会社を相手取って慰謝料などを求める裁判を起こした件を取り上げ、この日の別のコメンテーター・望月 衣塑子さんが、パワハラについて論じていたからだ。こちらの件についての視聴者ツイートは、中には「パワハラには言いがかりもある」と言っている人もいたが、概ね「パワハラは許せない」という論調だった。気になって上記のツイートをした人達の反応を調べてみると、1人を除いてパワハラについて否定的なツイートはなかった。勿論、たまたまツイートしていないだけで、パワハラに寛容とも肯定しているとも限らないが、前述のような過激なツイートを勘案すると、やはりパワハラを犯しかねない人達に見えてしまう。
 また、パワハラに否定的なツイートをしていた1人に関しても、他人のパワハラに関しては問題性を指摘するのに、自分がパワハラにもなりかねないようなツイートをしている事には無頓着のように思え、結局のところ、この1人についても別の問題性があるように思えた。

 10/23の投稿でも指摘したように、モーニングCROSSは10月から放送時間を1時間に短縮(これまでは1時間半)し、その理由をMXテレビ自体の収益減の影響としていたが、不適切な表現である恐れのあるツイートを、指摘もせずに画面で取り上げるような状況を改善しなければ、番組を見たいと思う人は増えない、寧ろ相応に減るのではないか?と感じる。
 この日も番組冒頭で取り上げた、シリアから帰国した安田純平さんのニュースに対する、


という罵詈雑言としか言いようがないツイートが放送中の画面に表示されていた。番組の掲げる、
みなさまからのタブーなきご意見はハッシュタグ→ #クロス
という方針は分からないでもない。しかし、罵詈雑言や私刑を煽るようなツイートまで「タブーなきご意見」に含めてよいのか。視聴者ツイートを画面に表示するということは、番組がそのツイートに「いいね」をしたりリツイートをしているようなものだ。テレビの影響力の強さを考えれば、SNS上で「いいね」をしたりリツイートをするより影響は大きいかもしれない。問題が懸念されるツイートを画面で取り上げても、それについての問題性を番組内で提示すればよいかもしれないが、番組内でそのような指摘がされることは非常に少ない。これでは番組が罵詈雑言や私刑を煽るようなツイート、時には誹謗中傷のようなツイートに「いいね」をしたり、肯定的にリツイートしているようにも見える。
 自分は番組の放送時間が減る前から、この指摘を何度もこのブログで書き、その度に番組ハッシュタグでツイートし、何度かコピペで番組やMXテレビのWeb上でのご意見募集にも送っている。しかし一向に改善は見られない。この状況が変わらない限り、番組の放送時間が元に戻ることはないのだろうと推測する。寧ろ打ち切りの恐れもあるようにも思う。このような不満を感じつつも、自分がほぼ毎日モーニングCROSSを見ているのは、キー局の朝番組にはない独自性・いい意味でのタブーなき番組という方針が感じられるからだ。要するに自分は、モーニングCROSSが来期以降も続いて欲しいし、放送時間も元の1時間半に戻り、扱う情報量が以前の水準に戻って欲しいと思っている。
 今の番組は、流石に全く同じとは言わないが、売り上げを重視して一部の購買層に媚び、差別的な言動も「言論の自由」の範疇であると言い張り、結局強い批判を受けて休刊という結果になった某雑誌と、消極的にではあるが同じ様な状況に向かっているようにも思える。「タブーなき」という番組の方針は悪くはないが、その意味をはき違えて欲しくはない。

 誹謗中傷や罵詈雑言等は「タブー」だから取り上げるべきではないのではなく、他者に対する権利の侵害だから取り上げてはいけない。指摘もせずにそれらを取り上げることは、ある意味で他車に対する権利侵害に番組が加担することでもある。

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