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「個人的」の定義


 ツイッターのタイムラインに、
というツイートが流れてきた。添付されている画像は、10/22・29にテレビ東京系列で放送されたTVQ・バカリズムの新説ハラスメント大辞典という番組から抜粋されたものだ。番組では、東京と福岡で「これまでに見た・聞いた・受けた不快な言動」に関するインタビューを行い、それについて「○○ハラスメント」と認定するか否かを出演者らがトークするという内容だった。番組は討論番組のようなシリアスな雰囲気ではなく、あくまでバラエティーの範疇、つまり面白おかしく表現する面もある体裁だった。しかし冗談半分でありつつ「なるほど」と思わされるような部分も多かった。

 番組が放送されたのは少し前のことでややうろ覚えではあるが、冒頭で紹介したツイートは「細いモデルのような女性が、「私夜中にも食べてます」のような投稿をインスタグラムにするのは、私は夜中に食べても太らないアピールであり、ハラスメントに当たるのでは?」のような見解について、番組MCのバカリズムさんが、
 SNSはそもそも、人が勝手に呟いているものを勝手にフォローして覗いているのであって、それで人の投稿に文句を言うのは、まあまなな言い掛かりではないか?
のようなコメントをしている場面のスクリーンショットだ。このツイートが投稿されたのは10/30だが、この投稿を書いている11/17までの19日間で、リツイート約13万件/いいね約29万件という反応がある。リプライも192件と大いに盛り上がっており、賛同、又は反対のそれぞれで様々な主張が寄せられている。
 自分の目には、賛同している人の視点と反対している人の視点にはズレがあり、話がすれ違っているように見える。恐らく賛同している人の多くは「前提となっている問いに対して、バカリズムさんの示した見解は適当」と言っていて、反対している人の多くは公開されているSNS投稿全般について、「勝手に呟いているからって何を言ってもいいわけではない」という見解を示しているんだろうと推測する。

 自分も2017年1/20の投稿の中で、
 バラエティ番組やスポーツ新聞の記事などで、SNSの煩わしさを叫んでいるのをたまに見かける。いいね をするのが面倒だとか、何を食べたとか、どこへ行ったとか、どうしようもないオナニー的な投稿がムカつくだの見たくないだのといった内容がほとんど。そういう主張を見ると心が狭いな、ストレスがたまっているんだなと思う。
 だいたいSNSは見たくない投稿をする人はフォローしなくければ目にしなくて済むはずなのに、なぜ見たくないものをわざわざ見て文句をつけているのかが不思議だ。
と書いた。当時は明示しなかったが、これを感じたのは、アイドル・タレントのAKB48・指原 莉乃さんが日本テレビ・今夜くらべてみましたの中で、女性モデルやタレントのSNS投稿等を前提に「しょうもない投稿するな、そんなの見たくないんだよ」的な事を言っていたのを見た際だったのを明確に記憶している。余計な話かもしれないが、彼女は他の番組でもこのような事をしばしば言っており、その頃から自分は彼女がキャスティングされている番組を敬遠しがちになった。
 バカリズムさんが言っていたのは、この時自分が感じた事とほぼ同じだと、番組を見ながら当時の感覚を思い出した。この視点で見れば「他人の投稿を”自分が気に入らない”というだけで、不快だ・ハラスメントだ・しょうもない、なんて言うのなら見なければいい」は至極当然な見解と言えるだろう。
 実は自分も、つまらないと感じたYoutubeチャンネルの動画を見ていると「あれが気に入らない、これが悪い」と難癖を付けたくなっていることがある。何故か自分が気に入らないと「わざわざ見てやってるんだから、こっちの好みに合わせろ、時間の無駄遣いをさせるな」と思ってしまう事がある。しかし実際は、投稿者が自分の嗜好に従って作っている動画をこちらが勝手に見てるだけなので、好みでないなら見なければいいだけだ。時間を無駄にしたのは、好みの動画かもと勘違いして見始めた自分の責任でしかない。もし自分が投稿者ならば「改善点を指摘して貰えるのは有り難いが、必ずそうするとは約束できないし、横柄な態度で文句を言うのなら忠告などいらない」と感じるだろう。

 しかし一方で、SNSへの投稿は確かに「個人が勝手に呟いている」ものであるが、公開しているアカウント・投稿では勝手に何でも呟いていいとは間違っても言えない。極端な例を挙げれば、「○○小学校を爆破します」とか「何とかさんを殺します」などと書き込めば、それは冗談・個人の勝手な呟きでは済まなくなる場合もある。 誰か・何かを直接的に明示するような書き込みでなくても、民族・出自・性別などによる差別を肯定・容認するような主張・犯罪を容認・助長するような主張などをすれば、批判されて然るべきだろう。対象を明示した脅迫・嫌がらせならば当然の事だし、誰かを明示していなくとも、差別や偏見の対象、誤った認識に基づくレッテルを貼られた集合に属する人の権利を侵害している場合には、責任を問われる場合もある。
 例えば、「誰彼を殺す」とか「どこどこを爆破する」という攻撃的な内容であっても、「何々人は消えて無くなれ」「日本から出ていけ」など差別や偏見の懸念が強い内容でも、個人的にノートへしたためているだけなら責任を問われるような事はまずない。しかし、そのノートを誰かに送りつければ脅迫の恐れが出てくるし、責任を問われる場合もある。というか十中八九問題視されるだろう。
 「SNSの個人アカウントで呟いているんだから個人ノートに書いているも同じだ、勝手に個人のノートを覗かれて責任を問われるのはおかしい」と反論する人もいるかもしれない。確かにSNSでも非公開アカウントへの投稿であれば、個人のノートへの書き込みと同じと言えるかもしれない。しかし公開アカウントへの投稿は流石に同じとは言えない。同じだと認識する人はSNSの特性を理解していないとしか言えない。不特定多数が閲覧可能なSNSの公開アカウントへの投稿は、投稿した時点で世界中の誰もが見られる状態になるのだから、新聞の投書欄への投稿、もしくは広告欄への出稿のようなものだ。新聞の投書欄は編集者が不適切な投書を選別し載せることはないし、広告でも同様だ。万が一載せれば投稿者も新聞社も批判に晒される恐れがある。SNSにおいては、SNS運営が規約を設定して編集者の役割を担っている部分もあるが、現状では規約はかなり緩く、SNSに投稿する者が投書の投稿者・広告の出稿者であり、投稿内容を見定める編集者でもあるような状態だ。
 大手新聞でも、しばしば不適切な記事、事実とは言えない記事を掲載して様々な批判に晒される場合がある。個人のSNSへの投稿であっても不特定多数が閲覧できる状態の投稿の内容が不適切ならば、批判をされて当然なのは同じことだ。自分だけが見るノートは個人的なものだが、不特定多数が閲覧可能な状態のSNSへの投稿がそれと同じく「個人的なもの」とは間違っても言えない。個人的の意味を恣意的に解釈してはならない

 「個人の勝手な呟き」なら何を言っても良いかのような勘違いについては、11/5の投稿「長嶋 一茂氏の「我々」「何もできない」は間違い」でも取り上げた。SNSは当然の事だし、テレビや新聞、出版等のメディアなら、「個人の見解」は万能な免罪符でない事を尚更認識しなくてはならない。冒頭で示したツイートに関しても同様に、

 SNSへの投稿は「個人の勝手な呟き」である側面もあるが、「個人の勝手な呟きとは言えない」側面もある。

ことを認識した上で受け止めなくてはならないということだ。
 思想信条の自由に基づいてどんなことを考えるのも自由だが、思想信条の自由の範疇と表現の自由の範疇が同じであるという認識は明らかに間違っている。考えるだけで他人の権利を侵害するケースはあまりないが、表現という行動を伴う場合は行為によって他人の権利を侵害する場合もしばしばあり、2つの自由の範囲は確実に異なる。また、自由には常に責任が付いて回る。責任を伴わない自由は、厳密には自由ではなく単なる無秩序である。「個人的な行為」でないことを個人的な行為と言い張るのも適切でないし、個人的な行為であっても、他人を傷つけたり、他人の権利を侵害してはならないのは言うまでもない。
 他人の投稿に対して「不快だ・気に入らない」というだけの、難癖のような見解を示すのも他人の権利を侵害する恐れがあるし、「個人の勝手な呟き」という名目で誹謗中傷のような投稿をするのも、他人の権利を侵害する恐れがある

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