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東京入国管理局のツイートとその姿勢について


 東京入国管理局の公式アカウントが、11/20に投稿したツイートが大きな話題になっている。

 確かに公共物・他人の所有物等への落書きは法的に認められておらず、「少しひどい」という話は分からなくもない。しかし、東京入管が、他にもいろいろある落書きの中からなぜ「Free Refugees/ 難民に自由を」「 Refugees Welcome/ 難民歓迎」という落書きだけを取り上げたのかには疑問を感じる。
 アカウントの紹介文には「東京入国管理局の公式アカウントです。皆さまのお役に立つ情報を発信していきます」とある。現在このツイートは同アカウントを表示した際、最初に表示されるように「(トップに)固定されたツイート」に指定されている。つまり、今東京入管が最も市民に訴えたい事は「不法滞在者を匿ったり雇ったりしてはいけない」ということでも、「日本に滞在する外国人は適切な手続きを」でもなく、「難民を歓迎するという落書きをしてはいけない」という事のようだ。確かに落書きは良くないが、東京入管には他にもっと注視し、そして伝えるべき事があるのではないだろうか。


 BuzzFeed Japan「東京入管、難民に関する落書きに「止めましょう」とツイート 批判の声も」や、ハフポスト「難民めぐる落書き、東京入国管理局が写真付きで「止めましょう」とツイート ⇒ 逆に収容者らの人権問題で批判相次ぐ」など、既にいくつかのメディアもこの件を報じている。ハフポストの取材に対して東京入管の担当者は、
 難民について触れた落書きだったからツイートしたわけではない。落書き自体を問題視しただけであって、仮に『入管頑張れ』という落書きだったとしても、注意喚起のツイートはした
と答えたそうだが、 何故「難民に自由を」「難民歓迎」といった落書きがされるのかも考えて貰いたい。10/10の投稿「差別的だと認識した上で行われる差別などない」でも触れたが、入国管理局が不法滞在者などへ人権を軽視した対処をしている懸念が昨今複数示されており、また日本政府の難民受け入れに消極的な姿勢も国内外から批判され、改善するべきだという指摘も受けている。現に日本の難民受け入れ者数は他国と比較しても極端に少ない(AAR Japanの記事)。そんな状況も背景にあるし、落書き抑制の啓蒙は東京入管が行うべき主たる業務内容でもなさそうなのに、「落書きは良くない」ということだけに注目した主張をすることが、他の何より重要だと言わんばかりの東京入管の姿勢には、強い違和感を感じてしまう。

 この件について「落書きは違法なので、書いてある内容に社会性があろうが許されるべきでなく、東京入管の言っている事は間違っていない」などと、落書きの違法性だけに極端に注目する人もいる。例えば、殺人犯というの事実無根のレッテルを貼られるという、深刻な偏見の被害を受けていた芸人のスマイリーキクチさんは、

とツイートしている。確かに落書きは違法な行為だが「違法なやり方では何も通じない(伝わらない)」は果たして本当だろうか。自分には全然そうは思えない。
 例えば、1977年に起きた「川崎バス闘争」という事案がある。2017年6/29の投稿「バニラエア車椅子問題の本質」でも触れたように、現在も障害者の公共交通機関利用について差別や偏見が完全に解消されたわけではないだろうが、70年代頃までは今とは比較にならないくらい日常的に乗車拒否等の差別的な扱いを障害者らが受けていたようで、それに対する不満を訴える為、そして状況の改善を求める為に、障害者や介護者らが乗車拒否された路線バスに強引に乗り込んだり、バスの前に座り込んで運行を止めたり、バスの中で消火液をぶちまけるなどの実力行使で、つまり法を逸脱した手段で意思表示した事案が所謂川崎バス闘争だ。この名称は、主に川崎市営バスに対して運動が行われ、バスを運営する川崎市に対して要求が突き付けられた事に由来する。他にも川崎バスジャック事件などの呼び名もあるようだ。
 この件では「Free Refugees」等の落書きと同様に、一部法を逸脱した手段によって訴えが行われた。確かに法を逸脱した行為を非難する声もあったようだが、結果的にはこの事案がその後、公共交通機関等の障害者への配慮を欠いた措置を改善させる契機の一つになったことは紛れもない事実である。公共交通機関だけでなく、社会全体の障害者に対する偏見を改めさせる一つのきっかけになったという側面がある事も否定するは出来ない。つまり「 違法なやり方では何も通じない(伝わらない)」という認識は明らかに誤認である、と言わざるを得ない。偏見による被害に苦しんだキクチさんにこそ、このような事が過去にあったことを知っておいて欲しかったし、もし彼がこれを知っていた上で「違法なやり方では何も通じない」とツイートしているのだとしたら、それはかなり残念だ。

 また、代表作「風船と少女」の額縁にあらかじめ仕掛けを施し、オークションで1億5000万円もの値段で落札された瞬間に作品が細断されたこと(美術手帳の記事)でも話題になった覆面芸術家・バンクシーさん(Wikipedia)の例を考えても、「 違法なやり方では何も通じない(伝わらない)」という認識は適当ではないと言わざるを得ない。彼はこれまでに、日本風に言えば落書きに当たる社会風刺的なグラフィティアート・ストリートアートをロンドンを始めとして世界中で描いてきた。 また、メトロポリタン美術館や大英博物館などの館内に、自らの作品を無許可で展示するなどのパフォーマンスも行ってきた。「違法なやり方では何も伝わらない」のなら、彼が世界的な評価を得ることは決してないだろうが、前述のように作品に1億5000万円もの値が付くほどの評価を得ているし、彼が描く作品(見る人によっては落書き)は多くの人の共感を得ている。

 少し話は変わるが、暴力を受けそうになった際にそれを回避する為、相手を制圧するのに必要な最小限の暴力は、何もない場合に行使すれば法を逸脱するが、そのような場合においては「正当防衛」として認められる事を誰もが知っている。落書きが厳密に正当防衛の範疇か否かは別として、入国管理局内で人権軽視が蔓延している懸念、日本政府が難民受け入れに消極的である事などに異論を呈する手段に一部法を逸脱手段が用いられたとして、
果たして「法律違反は法律違反」と一蹴するべきなのか疑問に感じる。勿論最も好ましいのは合法的な方法で主張を繰り広げることだが、川崎バス闘争やバンクシーさん等のように、法を逸脱したことで注目を集める場合もあり、その不法な行為によって得られる結果が不法行為によるリスクを上回るようであれば、絶対的な間違いとまでは言えないのではないだろうか。ただ、あまりにもリスクが大きい・多くの犠牲を伴う場合はこの限りではないということも付け加えておきたい。

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