今年のブラック企業大賞が12/23に発表された(BuzzFeed Japanの記事)。ブラック企業大賞とは、労働問題に関わる有志のNPOや弁護士、ジャーナリスト・作家・学者らで構成される実行委員会が、ブラック企業を周知することで牽制し、根絶することを目的に2012年から選定が始められた。委員たちだけが選考を行うわけでなく、その年のノミネート企業をいくつか選定した上でWeb投票も行われる。
Web投票なので厳密に1人1票という環境が保証されているわけでもないし、あくまで有志によって選考される賞だし、受賞してしまった企業の関係者らには異論もあるだろう。不名誉な賞なので、各賞への該当理由に異論が出るのはある程度仕方ないかもしれないが、それでもノミネートされた企業には相応の理由があり(2018年のノミネート企業、BuzzFeed Japanの記事の方が見やすい)、どれも今年注目を浴びた件ばかりで、反省・改善が不可欠なのは明らかだ。
今年のブラック企業大賞で、個人的に注目したいのは
- 有給ちゃんと取らせろ賞:株式会社ジャパンビバレッジ東京
- 市民投票賞:財務省
まずは財務省について。財務省がノミネートされた理由は、2018年4月、財務省事務次官がテレビ朝日の女性記者に対して、取材中にセクハラ発言を繰り返していた事が発覚、更にこの件について、麻生財務大臣兼副総理大臣が「事実関係の確認には双方から意見を聴くべき」などとして被害女性に名乗り出るよう促すという、被害者に配慮のない発言や、「セクハラ罪という罪はない」など被害を訴えた女性記者を蔑むような発言、「男を番記者にすればいい」など性差別を容認するかのような発言を繰り返したから。
麻生氏が財務大臣だけでなく、国の名目上のNo.2の地位・副総理大臣を兼任していることを勘案すれば事態はかなり深刻だ。国のNo.2がこのような発言をして、しかも黙認されるようなら、日本からブラック企業・女性差別が根絶されるのはまだまだ先だと思えてならない。現政権は「働き方改革」「女性活躍」なんてスローガンを掲げているが、如何にそれが単なる美辞麗句かが分かる事案だった。また市民投票賞というのはWeb投票で最も支持(実質的には不支持)を得たことによる賞だ。勿論組織票の恐れが一切ないとは言えないが、この結果には異論を唱える人よりも、当然の結果と考える人の方が多いのではないだろうか。
また、今年は中央省庁を始めとした役所全般が、障害者雇用を長年水増しして誤魔化していたことも発覚した。厳密なブラック企業の定義からは外れるかもしれないが、本来雇われるべきだった障害者に対して「雇用しない」という差別的な行為に及んでいたのだから、今年のブラック企業大賞は財務省を含む中央・地方の役所全般だと個人的には思っている。しかも民間企業には障害者雇用の目標を満たせないと罰則を科していたのに、自分たちの落ち度については「違法性はない」などと、どこの省庁でも誰も責任とらなかったのだから、民間も今後は「担当者の認識に誤りがあっただけなので違法性はなく、罰を受けるいわれはない」なんて言い出しそうで、民間企業での障害者排除を煽りかねない、つまりブラック化を助長しかねない案件でもある。この事からも、日本最大のブラック企業は政府なんだろうと考える。
次はジャパンビバレッジ東京について。これについては、BuzzFeed Japanは個別に受賞したことを伝える記事「「子どもが生まれたくらいで休むな」 ブラック企業大賞、社員がその実態を証言」を掲載している。
今年に限らずブラック企業大賞には、中小零細企業がノミネートされることもあるが割合的には大企業が多い。しかし実際には、家族経営・ワンマン経営者の多い中小零細の方がブラック企業率は高いのではないだろうか。ジャパンビバレッジ東京が今年ノミネート・受賞した理由については詳しくは記事を読んで貰いたいが、ジャパンビバレッジ東京の件は中小零細企業の現状を映す鏡だと感じる。たまたまジャパンビバレッジ東京がノミネート・受賞しただけで、似たような状況の企業は日本中にまだまだたくさん存在すると思う。では何故ジャパンビバレッジ東京の件が注目を浴びたのか、それは未払い残業代の支払い・組合員の懲戒処分撤回などを求めて一部の労働者がストを決行したからだ。
日本では労働者の中にも労働組合をバカにする人がいる。労働組合というだけで「共産主義的だ」などと揶揄する人がいる。しかし、日本国憲法第28条で規定された団結権・団体交渉権・争議権は、一人ひとりでは立場の弱い労働者に認められた権利である。これを軽視するということは、憲法・他人の権利を軽視することでもある。権利というのは、権利を有する者がそれを行使することで維持する努力をする必要もある。憲法12条にも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とある。つまり国や企業家など権力側は、行使されない権利を軽視することがあるし、場合によっては「なくてもいいもの」として消滅させることもある。だから、ストを決行したジャパンビバレッジ東京の労働者のように、企業や使用者の不適切な行為に対して労働者は団結し権利を適切に行使しなくてはならない。自分が幼い頃はしばしばストで交通機関が止まる恐れがあるという報道があったが、最近では全く聞かなくなった。他の企業でもストライキが起きた、予定されている、スト回避の為に労使間で交渉が行われたなんて話も一切聞かなくなった。そうやって労働者が権利を行使しなくなった結果が、ブラック企業が幅を利かせる社会なのかもしれない。
今年7月に自民党杉田議員がLGBTに差別的な主張をしたことに対して、自民党は明確な処分を行わなかった。その為自民党本部の周辺で抗議するデモが行われた。また、先日も入管難民法改正案を強行に成立させた政府与党に対しての抗議デモが行われた。政権与党の積極支持者の中には、デモ=反社会的行為と認識している人が少なからずいる。彼らはそれらのデモを、デモというだけで揶揄する。デモには様々な人が集まるので、中には関係性の薄い、全くデモの趣旨とは関係ない主張をしている人もいるだろう。フランスの燃料税に関するデモのように一部が暴徒化するなど確かに反社会的になってしまう事もある。しかしその一面だけを見てデモ=反社会的とするのはあまりにも短絡的だ。
例えば、年末年始の恒例行事・初詣には例年多くの人が集まり、それを狙ったスリ・痴漢等も集まってくる。スリも痴漢も犯罪行為で反社会的だが、だからと言って初詣=反社会的とは誰も言わないし、そんなことを言う人がいたら確実に短絡的過ぎると言われる筈だ。初詣を主体的に管理する神社がスリや痴漢を推奨・黙認していたら、初詣は反社会的と言われても仕方ないかもしれないが、どこの神社も確実に推奨も黙認もしていない。デモも同じことで、反社会的な行為を推奨黙認する主催者がいないのに、短絡的にデモ=反社会的などとレッテル貼りをするのは不適切だ。何より労働三権同様に、デモ活動も憲法第21条に定められた表現の自由、集会結社の自由で認められた行為だ。これも権利を行使しなければ将来的に権利をはく奪される恐れがある。
12/10の投稿「入管難民法改正案を成立させたのは、安倍政権でなく日本の国民」や12/12の投稿「政治家・議員・大臣らの傍若無人な振舞いが許される状況について」などでも触れたが、自国の政治に関して自分事と捉えらない人が増えていることは、若年層を中心に投票率が低下傾向にあることからも明らかだ。この投票権・選挙権、つまり参政権も国民に与えられた権利の一つである。
日本では参政権が国民に認めらた当初(1889年)、選挙権を与えられたのは「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」で45万人・国民のたった1%だった(現在は全国民の約49%が有権者である)。その後の税額の制限は段階的に引き下げられ、1925年についに納税額の規定は撤廃された。しかしそれでも選挙権を有するのは「25歳以上の男子」とされ、女性に選挙権は与えられなかった。学校では1925年に制限選挙が普通選挙に改められたと習うが、本当の意味での普通選挙、女性にも参政権・選挙権が認められたのは1945年、つまり戦後、GHQの管理下でのことだ。
何が言いたいのかと言えば、今国民に与えられている普通選挙は決して当たり前ではなく、状況が変われば再び制限選挙に制度が改悪されることもあり得るという事だ。「そんなことはない」と思う人も多いかもしれないが、現政権は、戦後どの政権も「日本国憲法では集団的自衛権は認められていない」という解釈をしてきたのに、それを閣議決定で覆し集団的自衛権の容認を含む安保関連法を成立させた。集団的自衛権の行使容認なんて、1980年代までは確実に考えられなかった。また、起きないはずだった規模の津波が東日本大震災によって発生し、絶対安全だったはずの原子力発電所が事故を起こし、放射能が漏れた影響で住めない地域が未だに存在していることだって、事故以前には誰もが「そんなことは起こらない」と思っていた筈だ。人間の営みの中において、そうそう「絶対」と断言できることなどない。
労働三権、デモを行う権利、参政権・選挙権のどれについても、憲法12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とあるように、それぞれを国民一人ひとりが主体的に行使することによって、その権利を保持する努力をしなければならない。国民が自身で権利を行使する・守るということは、民主主義を維持するということとほぼ同義だ。民主主義を維持できないとどうなるかは、隣国の北なんとかや、中なんとかという国を見れば火を見るよりも明らかだ。自分は、自分の住む国がそんなことになるのは絶対に避けたい。自分だけでなく多くの人がそう思っている筈だ。「権利を行使するのは権利を守ること」ということを絶対に忘れてはならない。