ネット弁慶という表現がある。自分のテリトリー内、主に家の中で威勢がよく強気なのに、テリトリー外、重に家の外に出ると途端に、弱気になったり借りてきた猫のようになってしまう人を指す従来から存在した表現、「内弁慶」を現代風にアレンジした表現といったところだろうか。つまり、顔や名前を伏せられるネット上では威勢がよく強気、場合によっては暴言を吐きまくるにも関わらず、実社会では全くそんな素振りを見せない、場合によってはおとなしくあまり話もしなかったり、人との接触自体を敬遠するようなタイプの人など、ネットと実社会での振舞いにあまりにも差がある人の事を指す表現だ。
既に何度かこのブログで触れた話ではあるが、以前接客・クレーム処理の仕事をしていた際に感じたのは、ネット弁慶だけでなく、電話だとめっぽう強気で場合によっては過剰にクレームを申し立てる所謂クレーマーなのに、いざ対面すると「え?この人が?」と感じるような電話弁慶、店だとかなり強気な所謂クレーマー気質なのに、対応の為に自宅を訪れた際に一緒に家族がいたり、勤務先を訪れたりした場合に、「え?この人が?」と感じるような態度になる出先弁慶なども存在するということだ。また、普段は温厚なのにもかかわらず、車の運転席に座った途端人格が変わったように悪態をつきまくる、乱暴な運転をする車内弁慶なども確実に存在する。
つまりこの○○弁慶というのは、ネットや電話、運転席など、名前や顔等が人にバレない環境(実際は相手に見えていても、見えていないという認識になりやすい環境)だと強気になってしまう人の性質を表す表現だろう。出先弁慶に関しては、顔は店員や周囲の客に認識されるが、自分の知り合い・家族等がいると大人しくなるという点を勘案すれば、「知り合いや家族等、今後も付き合いが続く人には行為がバレない環境(若しくはバレないと思い込みやすい環境)」と考えられ、基本的には同じ性質と言えそうだ。
少し前に、アホ○○という表現をSNSで多用している人に対して「それは中傷だ」という旨の指摘をしたところ、彼から「アホで検索したこと無いのか」という反論が返ってきたので、どういう意味なのか分からなかったがとりあえずGoogle検索してみたところ、最初にヒットした Wikipediaの阿保のページに「日本語で愚かであることを指摘する罵倒語、侮蔑語、俗語」とあったので、「アホ○○という表現を用いる私は、人を罵倒・侮蔑しています!という宣言なのか?」と返答したところ、
— 弥勒 (@miroku50000) 2018年12月7日
という反論が返ってきた。つまり、彼はみんながやっているから中傷ではないと言うのだ。確かに、親しい間柄で親密な人間関係が出来ている場合などアホという表現が中傷に当たらない場合もあるが、いい大人が見知らぬ他人に対して直接的にアホ呼ばわりしておいて、「みんながやっているから中傷に当たらない」等と言っていて恥ずかしくならないのだろうか。因みに彼が不適切さに気付いて削除したのか、運営が削除したのか分からないが、彼は既に削除済みの、このやり取りの発端のツイートで、法学者のツイートに対して「アホ学者」とリプライしていた。その痕跡は次のツイートからも分かる。
ついつい、リアルで話てる時の癖が出たわ。— 弥勒 (@miroku50000) 2018年12月7日
何もかもアホ呼ばわりするわけじゃないからね。
法律屋の話題になると、
アホ弁護士、アホ裁判官、アホ学者
になっちゃうのよ。
弁護士や学者同席でもアホ付きで話てるもんで、 https://t.co/tuJhm5a4CU
彼がアホを多用するのはネット弁慶的性質の表れようでもあるが、「ついついリアルで話してる時の癖が出た」ということは、彼は実社会の中でも無頓着にアホ等侮辱の意味を含む言葉を多用しているという事の様で、もしかしたらネット弁慶ならぬ、ネットでも実社会でも社会性に欠ける人物という事なのかもしれない。ただこのツイートも、実社会の彼の実態とはかけ離れたネット弁慶発言の1つである恐れもある。
自分はクルマが好きで、カスタム車紹介専門のYoutubeチャンネル等をよく見るのだが、コメント欄に「ダサw」「カッコいいと思ってんのかよw」等のコメントしている人を結構見かける。好みじゃないとかカッコよくないと思うのは自由だろうが、わざわざ嘲笑のニュアンス・w を付けて「ダサい」と言うのは、ハッキリ言って侮辱だと思う。OFF会などで見ず知らずのオーナーに面と向かって、嘲笑しながら「ダサw」と言える者がどれ程いるだろう。僅かに言える者もいるだろうが、それをしたらどんな事が起こるだろうか。周囲から白い目で見られるのは必至で、場合によってはイベントを出禁にされる。
「ネットでわざわざ見せびらかせたんだから、批判的なコメントをされても仕方ない」と反論してくる人がいそうだが、オーナーは自分の好みでクルマをいじっているだけで、視聴者等他の人に媚びる為ではなくあくまで自分の為にクルマをカスタムしている。11/17の投稿「「個人的」の定義」でも触れたが、SNSは見たくない投稿をする人はフォローしなければ目にしなくて済むはずなのに、なぜ見たくないものをわざわざ見て文句をつけているのかが不思議だ。気に入らないならコメントなどせずにそっと閉じるボタンを押せばいいだけだ。本人は親切な忠告のつもりかもしれないが、一般的にはそれを「余計なお世話」と言う。更に前述のように「ダサw」「かっこいいと思ってんのかよw」は、何故評価出来なかったのかの具体的な説明もなく、批判的なコメントと言えるレベルに達していない。批判的なコメントと侮辱的なコメント、つまり中傷を混同していることに気付かないのは余りにも残念だ。SNSなどログが確実に残る場所でそんなことを言っていると、11/27の投稿で触れた人達のように、その内意図せず困ったことになるかもしれない。
これはクルマのカスタムに限らず、ファッションや音楽、その他他人の趣味に対して過剰にケチを付けたがる人全般に言えることだ。例えば、批判を受ける事もある程度飯のタネになるであろう芸能人・タレント等であれば、少々辛辣な批判を受けることをある程度前もって認識しているだろう。しかし芸能人やタレントであっても一般人同様に人権はある。芸能人やタレントには人格否定に当たるような中傷を行ってもよい、なんてことは断じてない。
極端な人達は本当に極端なので、このような指摘をすると「一切批判・否定をするななんて表現の自由の侵害だ」などと言いだすだろう。勿論、芸能人に対してだろうが一般人に対してだろうが、一切批判を行ってはならないなんてことはない。前述のように批判と侮辱をはき違えてはいけないという事を理解出来ないから批判だと言いはって侮辱をするし、他人を侮辱してはならないという指摘を「一切批判するなと言われた」と勘違いするのだろう。
このようなネット弁慶など、○○弁慶と言われる人たちの、自分たちに都合のよい恣意的な解釈に基づいて暴言を躊躇なく用いる、という性質を考えてみると、空母を多用途運用護衛艦と言い換えたり、移民を外国人労働力と言い換えたり、都合の良い解釈、あまりにも自由過ぎて無理がある表現を、頻繁に示す・用いるあの人達と共通点があるな、と思う。また、恣意的な解釈とはご都合主義とも言えそうで、○○ファーストを掲げるあまり、自分にとって都合の悪い報道機関はフェイクニュース・地球温暖化などを根拠もなくデマ認定するあの大統領も似たり寄ったりだ。どの国だって自国を第一に考えるのは当然だが、自国さえ良ければ他国・他地域はどうでもよいというのは明らかに間違いだ。個人に当て嵌めても、自分さえ良ければ他人はどうでもよいかのような、物事を自分本位で身勝手に歪めて解釈することが許されないのは同じである。