「接点は「テクノミュージック」!? ピエール瀧容疑者にコカイン譲渡容疑で逮捕された“20年来の友人”」。フジテレビ系FNNプライムが、先日コカイン使用容疑で逮捕されたピエール瀧さんに通訳業の女性がコカインを譲渡したとして逮捕された、ということを伝える記事に付けた見出しだ。まず、音楽やテクノ、そしてクラブカルチャーへのステレオタイプのイメージによる偏見を煽っていると強く指摘したい。在京キー局という大手のメディアがこんな見出しを掲げることを躊躇しないのに驚く。
3/14の投稿「ピエール瀧・コカイン使用容疑逮捕から考える、テレビ報道の将来性」で、
テレビ報道は概ねスポーツ新聞化してしまったと指摘したが、それを再確認させるような見出しだし、見出しだけでなく本文にも随所に悪意に満ちているとさえ感じられる表現がある。
朝日新聞の記事「ピエール瀧容疑者にコカイン譲渡した疑い 知人の女逮捕」によれば、当該女性は
知り合いに頼まれた物を渡しただけで、中身がコカインとは知らなかったと主張しているようで、ピエール瀧さんに何かを譲渡したことは認めているようだが「コカインを譲渡した」という事については否認しているそうだ。つまり現時点では、この女性がコカインを使用していたか、若しくはコカイン以外の大麻や禁止薬物を使用していたかは定かでない。
にも関わらずFNNプライムの記事には
近所の住人らからは「陽気な姿」が多く目撃されていた、田坂容疑者という表現がある。明確に薬物の影響でラリった陽気な姿とは書かれていないが、鍵括弧まで付けてこんな事を書いていれば、そのニュアンスを醸し出そうとしているとしか思えない。この一節にそのニュアンスが一切含まれていないのであれば、文脈上、前後との関連性が確実に薄い彼女の気質に関する表現が、あまりにも唐突に織り込まれていることになる。前述のような意図が一切ないという説明をFNNプライムや当該記者がしたとしても、それはあまりにも不自然だ。
更に、
田坂容疑者は「テクノ」と呼ばれるクラブミュージックに関わっていたというなどの表現もあり、その界隈では薬物の問題が多いかのような表現が続く。恐らくこれを書いた記者は「テクノ」という音楽ジャンルの定義すらよく分かっていないで書いているのだろう。
ヨーロッパでは音楽イベントでの薬物使用が問題となっている
大体音楽のイベント絡みでは、テクノに限らずパンクだろうがメタルだろうが、ハウスだろうがEDMだろうがヒップホップだろうが、少なからず薬物の問題がある。しかしそれを以てこのような記事を書くのは、俳優が薬物の問題で摘発された際に「芸能界・映画界では薬物使用が問題となっている」と表現するようなものだし、会社経営者が薬物の問題で摘発された際に「実業界では薬物使用が問題となっている」、野球選手が薬物の問題で摘発された際に「野球界・スポーツ界では薬物使用が問題となっている」とするのと同じだ。「そんな風に大雑把に一括りにされてはたまらない」というのが多くの関係者の率直な受け止めではないだろうか。音楽、しかも決してメジャーな存在ではない「テクノ」というジャンルだから大雑把に一括りにして論じてよいということには決してならない。
なぜこの手の報道姿勢に(厳密に言えば「報道」とは言えない代物だと思っている)、強い憤りを覚えるのかと言えば、現在は確実に市民権を得たアニメ・マンガ・ゲームなどの所謂オタク系カルチャーの例があるからだ。他のカルチャー同様、黎明期に「得体の知れないもの」 として扱われたのはある程度仕方のない事だろうが、1988-89年に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人がアニメや特撮等のオタク趣味を愛好しており、ビデオテープ満載の彼の部屋が報道で何度も擦られまくったことなどによって、オタク趣味=陰気な奴の気持ち悪い趣味のようなイメージが醸成され、その払拭に十数年の期間を要したという過去があるからだ。
自分はアニメやマンガよりもテレビゲームの方に強い関心があったが、テレビゲームも教育に悪いという印象が一部のメディアによって醸成され、1994年に発生したコロンバイン高校銃乱射事件の犯人2人が、FPS(一人称視点の射撃ゲーム)を愛好していたという報道によってそのイメージが更に加速するという事があった。
来月には平成が終わるというのに、フジテレビ・FNNは一体いつまでこんな昭和的なスタンスの報道(厳密には報道ですらない)を続けるつもりなのだろうか。こんな取り上げ方をテレビで行い、更にWEBにまで掲載するフジテレビ・FNNの気が知れない。
冒頭で、3/14の記事での表現を引用して「テレビ報道は概ねスポーツ新聞化してしまった」と書いたが、ここまでの話だと、「テレビ報道と括って、お前も大雑把な括りによる批判を展開しているじゃないか、テレビ報道ではなくフジテレビ・FNNとするのが妥当だろう」というお叱りを受けそうだ。しかし自分はそうは思わない。
この当該女性が逮捕された件に関しては、フジテレビ・FNN以外のテレビ各社も概ね取り上げている。また朝日新聞の記事からも文言を引用したように、新聞各社も概ねこの件に関する記事を掲載している。ピエール瀧さんのように第一線で活躍していた芸能人が逮捕されれば、それは報道されて当然だが、この通訳業の女性はタレントでも何でもないのに、テレビで大々的に取り上げる必要がある事案なのか。自分には全くそうは思えない。世の中には報道されない、報道各社が見向きもしない薬物事犯案件は山のように存在する。
個人的には新聞だって取り上げる必要はないと思っているが、新聞はテレビよりも確実に扱う情報量が多く、テレビで取り上げられないローカルな事件も記事化することがあり、その観点で言えば、新聞がこの件を取り扱うこと自体がおかしいとまでは言い切れないかもしれない。しかし、テレビは新聞程扱う事案が多くない。この件を取り上げる事案に選んだということは、重要な案件だと判断したということなのだろう。ならば今後テレビ報道は、全ての同レベルの薬物事犯案件を取り上げるべきではないのか。
「当該女性は通訳業をしており、人気外国人バラエティ番組の仕事をしていたそうだから、一般人とは別の基準で扱うべき」のような事を言う人もいるだろうが、一般人と関係者の線引きはどこにあるのか。そのような事を言うようであれば、是非その基準を明確にした上で主張して貰いたい。
3/14の投稿の結論と同じことを書くことになるが、昨今ネットの隆盛の余波を受けて、テレビ報道、というかテレビ全般の重要性の低下が指摘されている。2018年11/18の投稿「テレビは将来的に、壊滅的に衰退するのか」で、自分はこのタイトルの問いに関して「将来的にテレビが消えて無くなるとは到底考え難い」という見解を示した。しかし、こような昭和的な感覚の報道を続けていれば、現在のテレビが有するネットに対する確実なアドバンテージである「信頼感・信憑性」を自ら低下させることになるだろうから、その所為で将来的に壊滅的に衰退するかもしれないと考えを改めざるを得ない。
参考画像:FNNプライム「接点は「テクノミュージック」!? ピエール瀧容疑者にコカイン譲渡容疑で逮捕された“20年来の友人”」のスクリーンショット