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○○らしさの表現、○○らしさの押し付け


 BuzzFeed Japanの記事「りゅうちぇるが「平成に置いていきたい」5つの言葉」で最初に挙げられている「平成に置いていきたい言葉」は、
「男らしさ」「女らしさ」
だった。 次に挙げられたのは「普通」なのだが、厳密に言えばこの「普通」もステレオタイプの市民像というニュアンスで語られており、結局のところ、「男らしさ」「女らしさ」という性別のステレオタイプに限らず、全ての○○らしさに関する負の側面、それが押し付けられる事への違和感・疑問についてりゅうちぇるさんは指摘しているようだ。
 3/9の投稿でも書いたように、ハフポストは3/8が国際女性デーだったのに関連して「#わたしを勝手に決めないで」という特集を組んでいる。その特集記事の1つに「女だから。男だから。 性別で、自分や相手を縛るのはもうやめよう」がある。自分はこの記事、
 ステレオタイプの男らしさ、女らしさの実質的な強制もいらないが、大人から見た学生らしさの強制もいらない。大人が言う学生らしさって、大概大人に逆らわない学生のことでしかない
とコメントした。誰かから見た○○らしさを押し付けられるのは嫌だし、当然自分も、自分が考える○○らしさを誰かに押し付けてはならないと考えている。しかしそれは、○○らしさを一切論じてはいけないという意味ではない。あくまで「押し付けてはいけない」だけである。


 自分がほぼ毎日、新聞のような感覚で目を通しているBuzzFeed Japan、ハフポストの、この約半年間に掲載された○○らしさと関連する記事を調べてみた。前述のハフポストの、ステレオタイプの女性観に関する特集ハッシュタグ「#わたしを勝手に決めないで」関連についてはリンク先を参照して欲しい。それ以外では、
などが見当たった。最後の記事は女性らしさを主題にしているものの、準見出しは「女性に限らず、この社会は『○○は○○らしくあるべき』が多すぎる」 となっている。自分はこの手の記事を目にする度に、「○○らしさは一体誰から見た○○らしさなのか、そもそも○○というカテゴリーに他者を一方的に嵌め込もうというのが気に入らない」と思うし、「○○らしさは本人が、自分で自分の属性を認識し○○らしさを追求する為の価値観で、つまり自分らしい以外は不必要だ」とも感じる。


 昨日は女性らしさ、男性らしさを軸にした記事2つが目についた。1つはBuzzFeed Japanの「上半身裸のセルフィーが流出し解雇された女性教師 「自然なままの私」」 で、もう1つはハフポストの「「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」。漫画家・楠本まきはなぜ登場人物にこう語らせたのか」である。
 BuzzFeed Japanの記事は、ニューヨークの中学校教員の女性が、同じ学区の教員だった当時の恋人に上半身裸の写真を送ったところ、なぜかその写真が彼女の学校の生徒へ流出し、彼女は生徒たちに写真をばらまいたとして解雇されたという話だ。勿論女性は写真を流出させたのは自分ではないと主張している。記事によると、女性の弁護士は「教育長はミランダさんに、セルフィーで胸を露わにしているため、彼女は教育する生徒たちにとっての「模範となる存在」ではなくなってしまったと伝えた 」と主張しているそうだ。しかし、教員として不適切な行為は「上半身裸の写真を撮影した」ことではなく、それを流出させた行為だろう。記事はこの女性の主張を主体的に構成されている。記事だけではこの女性の主張が正しいかどうかは判断できないが、女性の主張がもし正しいのであれば、解雇されるべきはこの女性ではなく、彼女の上半身裸の写真を流出させた者だろう。
 記事は、女性やその弁護士が「男性がそのような上半身裸の写真を撮ったとしても、誰も何も言わないはずです」と主張していることに注目し、男性らしさ・女性らしさの認識による問題として論じているように見える。確かにそのような側面もあるだろうが、自分には更に「教員らしさ」、過度の品行方正さが求められているという側面もあるように思える。BuzzFeed Japanは4/3に「水着の写真をSNSに投稿した女性教師が退職に追い込まれた。インスタグラムには抗議の投稿が殺到」という記事も掲載している。こちらは自身の水着姿を撮影しSNSへ投稿したロシアの女性教員が、それを理由に退職に追い込まれたとに対して、ロシアの他の女性教員らが自らの水着姿の写真を撮影して投稿して抗議したという話だ。
 自分はこの記事を見て、
 これはロシアの話だけど、日本でも似たような側面がある。教員にステレオタイプの品行方正さを求めれば求める程、その学校から生まれてくるのは画一的な製品のような生徒になるのではないだろうか。自分の中学の先生に、地区一番の公立進学高校出身だが、元暴走族でバニング(改造したハイエース)に乗ってた先生がいた。個性的な先生がいるからこそ、子どもの興味の幅は広がる筈だ。先生を型に嵌めれば自ずと子どもも型に嵌ってしまうだろう金太郎飴みたいに誰も彼も同じようになる教育と、それぞれが違っていいと認める教育のどちらが好ましいかを、大人も子供もよく考えるべきだろう。
と感じた。 またこの過度の品行方正さが求められるのは教員に限らないようにも思える。差別や偏見を持つ者などへの批判は確実に必要だが、自分と異なる主張を過度に否定するようなことになるのは確実に適切とは言えない。これは、4/1の投稿で触れたBuzzFeed Japanの深沢 真紀さん・松本 俊彦さんの対談シリーズの第5弾「「仕事ばかりしてないで遊んでください!」 みんなが少しずつ適当な社会へ 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(5)」とも関連しているし、2017年末-2018年初に話題になった、年末特番に端を発するブラックフェイス問題について自分が書いた投稿「続・顔黒塗り=人種差別?」「反差別・偏見と多様性のバランス感覚」とも関連する。

 ハフポストの記事「「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」。漫画家・楠本まきはなぜ登場人物にこう語らせたのか」は、少女漫画・楠本 まきさんが、「今の女性マンガは
婚活とか、女子力がテーマみたいな作品が多い。どうしてこうなるのかと考えると、作家自身がジェンダーバイアスに囚われていて、作品もそうなってしまっている」という考えを元に、少年少女向けマンガに対して出版各社がタバコに関する表現規制を行っているのだから、ジェンダーバイアス禁止のガイドラインも必要性があるのではないかと主張するインタビュー形式の記事だ。
 彼女が言いたいのは、ステレオタイプの女性らしさ観が女性からもなくならない理由の一つに、女性が子どもの頃に触れるマンガの影響があり、日本社会に未だに根強い男性の後ろに一歩下がってついていくという女性像を打破するには、そのようなステレオタイプの女性像、つまりジェンダーバイアス(
性別による社会的・文化的役割の固定概念)の表現規制が必要なのではないか?ということのように思う。
 彼女の
言いたいことはとてもよく分かる。確かに、漫画家が無意識にステレオタイプの女性像ばかりを描くことには社会への影響が少なからずあるだろうから、描く前に基礎的な知識を身に着けるジェンダーバイアスを認知する為のガイドラインのようなものは必要だと思う。しかし「ジェンダーバイアス禁止のガイドライン」というのは、タバコ表現の規制同様に書きたいものが作者の意図とは関係なく書けなくなり、作品の多様性や幅を狭める恐れもあるのではないか。そういう意味で「禁止のガイドライン」はやり過ぎだと思う。この記事ではステレオタイプの女性像ばかりに注目しているが、男性だって筋力・体力・財力が豊富な者ばかりではないのに、力仕事や重量物の運搬は男の役割として描かれがちだし、女性のデート代を負担する男がいい男として描かれがちである。また、クルマの運転、パソコンの設定等も男性の役割として描かれがちだ。全ての男性がそう描かれるわけではないが、それはマンガに登場する全ての女性がステレオタイプの女性像で描かれるわけではないのと同じだ。
 つまりジェンダーバイアス禁止のガイドラインなるものが出来たら、そのような現在主流の女性像・男性像が描きにくくなる、つまり作品の幅が不要に狭めれられる恐れが生じると考える。ステレオタイプの女性像・男性像、男性らしさ・女性らしさを不要に他者へ押し付ける行為には不適切さを感じるが、そのような女性像や男性像の表現まで規制するというのは弊害が大きすぎるのではないか。海賊版対策でスクリーンショットまで違法化しようとしたり、 全ての通信を検閲せざるを得ない、つまり通信の秘密が守られなくなる恐れの生じるブロッキングをしようとするような乱暴さが垣間見える。漫画家が自らの表現の幅を狭めるようでは本末転倒ではないだろうか。



 冒頭でも書いたように、○○らしさに関する問題の焦点は、○○らしさを表現してはいけないということではない。あくまで「押し付けてはいけない」だけであると自分は考えている。勿論それが絶対正しいとは言わないが、「○○らしさを表現してはいけない」の妥当性が低いと考える理由は、投稿の中盤でも書いたように、差別や偏見を持つ者などへの批判は確実に必要だが、自分と異なる主張を過度に否定するようなことは確実に適切とは言えないからだ。○○らしさの押し付けは多様性の否定につながるが、各個人が自分の考える○○らしさを表現することを否定することもまた多様性の否定につながってしまう。だから問題なのは「○○らしさの表現ではなく、あくまで押し付け」であると考える。

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