スキップしてメイン コンテンツに移動
 

思考停止に陥る首相と政府


 ハフポスト/朝日新聞の記事「天皇退位、「その次」はどうなるか タブーの辞退論」が目に止まった。今上天皇(明仁)が2016年8月に退位の意向を表明し、一代限り退位を認める特例法を定めたことによって、2019年4/30の今上天皇の退位と翌5/1の新天皇(現皇太子)の即位が実現したが、新天皇(現皇太子)が即位すると、皇室典範の第1条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあるが、新天皇には息子がおらず、第2条の規定(Wikipedia)によって新天皇(現皇太子)の弟にあたる秋篠宮文仁親王が皇位継承順位の1位となる。
しかし、新天皇とその弟である秋篠宮文仁親王の年齢はたった6歳しか違わない。それを前提にして秋篠宮文仁親王は2018年6月に、
 兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです
と語ったそうだ。つまり、今上天皇(明仁)と同じ様に、自分の兄である新天皇が80代で退位の意向を示したとして、その時は自分も70代後半だろうから、皇位継承順位が1位であっても皇位を継承する、つまり次の天皇になること、年齢から考えて現実的ではない、という見解を示したということだ。
 今回の譲位は特例法によって実現させたが、寿命の長期化等を勘案すれば新天皇も後々年齢的・健康上の問題などで退位の意向を示すことになるだろうし、秋篠宮文仁親王も即位辞退の意向を示すだろうから、今回の特例法という対応は付け焼き刃でしかなく、皇室典範の抜本的な改定が必要になる、という内容の記事だ。


 本来、来週に行われる譲位も皇室典範の抜本的な改定によって実現するのが望ましかったと感じるものの、保守的な人も多く皇室典範の改定にはかなり時間がかかりそうであることも理解できるので、今上天皇の意向表明から少しでも早くそれを実現する為に、特例法で実現することを選んだ、ということであれば、それは決して間違った判断とは言えないだろう。
 しかし、当該記事も「タブーの辞退論」という見出しを掲げているように、少なからず皇室典範の内容、特に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という条項などを、例えば、過去に少なくとも10名の女性天皇が存在Wikipedia)したこと、「皇位継承資格は皇統に属する男系男子のみ」は、1889年に皇室典範(Wikipedia)によって定められたことを無視し、
 男系継承が古来、例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえつつ、今回の公務の負担軽減等の議論とは切り離して、安定的な皇位継承の維持について引き続き検討して参りたい(テレ朝ニュース
と、信憑性の薄い発言した首相を筆頭に、不可侵の伝統のように捉えている者も多い。海外と比べて云々という話ではないが、日本では「古来の伝統だから」「郷に入っては郷に従え」などのように、「ルールはルールだから守れ」のような考え方をする者が決して少なくない。
 前述の発言をした現首相だが、彼は憲法改正・特に9条改憲に強い意欲を燃やしており、護憲派、つまり憲法改正を肯定的に論じない勢力のことを「思考停止」と指摘、指摘と言うより寧ろ揶揄し続けてきた。それは彼だけでなく彼の周りの人間たちや、彼の積極支持者らも同様だ。彼らは憲法改正を肯定的に論じない事は「思考停止」だというのに、「皇室典範や「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」は、男系男子が古来例外なく維持されてきたから守るべき」のような事を言う。特に首相などは、戦後約70年、これまでのどの政権も憲法で認められないとしてきた集団的自衛権について、憲法改正の手順をすっ飛ばし、解釈の変更というとんでもない手法で容認できるとし、その解釈に元ずく所謂安全保障関連法制を成立させている。
 「真摯な受け止め」(4/21の投稿)を筆頭に、彼の恣意的な言葉の解釈・言葉遊びは他にも枚挙に暇がないのだが、憲法改正については肯定的に論じないと「思考停止」だと言うのに、皇室典範については改定について論じない自分達を「思考停止」と呼ばないのは矛盾しているのではないだろうか。彼は森友学園問題に関して「印象操作」という表現を頻繁に用いて、批判はレッテル貼りだと訴えていたが、この彼の「思考停止」という表現の用い方こそ「いわば、まさに、印象操作なのでございます」ではないのか。


 現首相・現政権の思考停止は他にもある。4/21に投開票が行われた沖縄3区衆院補選では、普天間基地の辺野古への移設反対を明確に掲げた屋良 朝博氏が、元沖縄北方担当大臣の自民・島尻 安伊子氏を下して当選した(ハフポスト/朝日新聞の記事)。辺野古移設反対の沖縄県民の意向が示されるのは、この約半年だけでも2018年9月の県知事選、2月の県民投票に続いて3度目だ。自分は以前よく「三度目の正直と、二度ある事は三度ある」はどっちが正しいのか、という冗談を言っていたが、今回の沖縄の選挙では、それらが対立する状況ではなく両立する場合もあるという事を感じた。
 選挙後まだ間もなく、首相や政府はこの結果を受けた反応をまだ示していないが、それこそ「二度あることは三度ある」で、彼らはこれまで通り「(沖縄の民意を)真摯に受け止める」と言いながら移設工事の強行を止めないつもりだろうから、「三度目の正直」とはならないだろう。
 この普天間基地の辺野古移設に関しても、政府は「辺野古移設が(普天間基地危険性除去の)唯一の解決策」という方針を頑なに曲げようとしない。移設工事が行われる予定の海域で軟弱地盤が見つかり、今後果たして埋め立て工事が成功するのか、どれほど予算がかかるのか、完遂できるとしてどれ程時間がかかるのかの見通しも示す事ができないのにだ。これこそ「まさに、いわば、思考停止なのでございます」と言わざるを得ない。また首相は汚染水の流出を止める目途すら立っていなかった2013年に、オリンピックの招致演説の中で「(福島・事故原発処理は)アンダーコントロール(制御下にある)」と言っていたし、以前県外で最終処分としていた汚染土に関しても、安全だとして福島県内での再利用を進めようとしている。
 つまり、現首相は思考停止によって、既に3度も沖縄県民の意向を無視していることになる。そして、彼が無視するのは沖縄県民の民意だけではなく、福島県民・被災者にも似たような仕打ちをしている。つまり沖縄県民以外も、政府は都合が悪くなれば誰でも無視し始めるので「明日は我が身」と思った方がよい。「自分だけは大丈夫」は大きな間違いだ。もし「自分は大丈夫」と思っているのだとしたら、それは「沖縄や福島は運が悪かったよね」という意味でもあり、とても冷たい態度だと気付くべきだ。

 思考停止の傾向は首相や現政府だけにとどまらない。昨日・4/22のMXテレビ・モーニングクロスで、この日のコメンテーターだった吉田 豪さんは「警察庁の大麻啓発サイト出演のラッパーに賛否」というテーマで主張を繰り広げた(番組の文字起こし)。大麻文化に寛容な者が少なくない筈のヒップホップ文化に属するラッパーが、警察等などの「ダメ、ゼッタイ。」方針に乗るのはどうなの?という見解がSNSなどで示されているという話だった。話題になったのは警察庁が公開した「I'm CLEAN|違法大麻を撲滅するのはオレたちだ!|大麻乱用防止」というキャンペーンと、そのキャンペーンのキャラクターに起用された、所謂ステレオタイプのヒップホップ文化とは一線を画すキャラクター性のラッパー・DOTAMAさんだ。
 個人的には、ラッパーだろうがヒップホップ文化圏に属する者だろうが、大麻を肯定しないと変だとは思わないし、どんな主張をしてもそれは個人の自由だと思う。しかし一方で、ヒップホップ文化の根っこにはパンクロック同様に権力やステレオタイプの価値観への反抗という精神があるのに、「ダメ、ゼッタイ。」的な時代遅れとも思える権力側の啓発に加担するようでは、ビジネスヒップホップと言われてしまうのも仕方ないとも思える。

 何よりも変なのは、昨年10月に

でも書いたように、大麻解禁について議論し実行する、しかも医療目的だけでなく嗜好目的でも解禁する地域が決して少なくないのにも関わらず、日本では未だに「ダメ、ゼッタイ。」の影響からか、「大麻吸引経験がある」と言っただけでまるで非人間のように扱われてしまうし、「大麻を吸ってみたい」と言うことすらタブーのような状況にあることだ。日本で全く研究が行われていないわけではないだろうが、絶対的とも言える大麻に関するタブー視がある所為で、吸引経験もないような人達が専門家として跋扈している。というかもし吸引経験があってもそうは言えないような風潮がある。そんな状況でまともな研究が果たして出来るだろうか。自分にはとてもそう思えないし、まともな研究が出来なければ適切な認識も進むはずがない。つまり、大麻や薬物使用についても、日本では「ダメ、ゼッタイ。」という極端な政策によって「思考停止」状態になっていると言えそうだ。

 兎に角、何事においても「伝統だから」「ルールはルールだから」というのは、「思考停止」を生じさせる好ましくない価値観だと考える。伝統は伝統だから守らなければならないのではなく、守る必要性があるしきたりだから伝統となるんだろうし、ルールはルールだから守らなくてはならないのではなく、そのルールが秩序の維持に必要だから守る必要があるんだろう。
 合理性を欠いた伝統や誰も必要性を説明出来ないようなルールは「思考停止」を生じさせるだけなので必要ない。逆に言えば、合理性のある伝統や必要性のあるルールを、解釈変更等で一方的に変更するのは、まともな者のやることではない

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。