ある作家が新刊を出し、発売初日に大手書店チェーンの本店でサイン会を開くことになりました。出版社のねらいは、サイン会を開くことで、その日のその書店での売り上げを瞬間風速的に伸ばして、「〇〇書店ランキング1位」という広告を出すことでした。BuzzFeed Japanが4/5に掲載した記事「「1万人が認めたNO.1育毛剤」を買ってしまう理由 健康行動をうながす「数字」の使い方」の中の1節だ。 この記事は、医学・医療に関する情報を、如何に適切に・正しく患者や専門家ではない者に伝達するか、ということと、説明に説得力を持たせるには数字で示すのが最も効果的だが、人を動かす為の数字は捏造することができるので注意も必要だ、ということが書かれている。
そうです。他の人たちの行動や評価を示す数字は都合よくつくりだすことができるのです。
治療や医療・美容・健康食品の宣伝には、大袈裟に感じられる数字が用いられやすいように感じる。自分が検証を行った訳でも、何かの調査を参照した訳でもないのであくまで個人の主観でしかないが、医療や美容や健康関連商品の場合、他に比べて特に不安を煽ってから「こんなにたくさんの人が既に使っている」と訴えかけ、さらに「今から30分以内なら更にお得に!」と、つまり商品を注文しないことが大きな損失かのように畳みかける場合が多いのでそう感じられるのかもしれない。
「今から30分以内ー」という手法は医療・美容・健康関連以外の商品でも用いられるので、それ以外の通販、特にテレビ通販全般にその傾向は感じられる。
1980年代に洋画が邦画の興行収入を上回り、バブル期からその影響が色濃かった1990年代-2000年代初頭までは日本における洋画の全盛期だった。当時洋画と言えば殆どがハリウッド映画だった。中にはイギリス映画もそれなりにあったが、イギリス映画も英語の映画でアメリカでのヒット・評価を宣伝文句にしている事が多かった。2006年に再び邦画が洋画の興行収入を上回って以降はそれ程多く見かけることはなくなったが、ハリウッド映画の宣伝文句でよく見たのは「全米No.1」という文句だ。
特に1990年代などは、一体年間に何本の全米No.1映画があるのか?と言う程に、多くの映画が全米No.1を謳っていた。年間興行収入全米No.1なら全米No.1は1年に1本だろうが、公開後第1週の全米No.1なら年間最大約50本になる。公開日の全米No.1なら年間最大365本が全米No.1を名乗れる。他にも公開初日の興行収入今年度全米No.1とか、公開日の顧客満足度(当社調べ)全米No.1など、全米No.1は謳いたければ謳えるような宣伝文句でしかなかったように思う。しかし全米No.1と言われたら、受け手側は無意識的に「アメリカで最も権威のある映画賞・アカデミー賞のどの部門かで最優秀賞を受賞した」くらいのイメージを連想するのではないだろうか。つまり、条件を読めないような小さい文字で表示したり、テレビCMなら読めないような短時間だけ表示して、全米No.1のみ強調して謳うのは錯誤を誘発させる気満々としか思えない。
テレビ通販に限らずネット通販でも、優良誤認を誘発させようしているとしか思えない宣伝手法をしばしば目にする。ネット通販の宣伝文句に「ネット通販大手サイト・○○部門売り上げNo.1」とか「○○部門顧客満足度No.1」などがそれに当たる。勿論それらの宣伝文句を掲げている商品全てが優良誤認狙っているとは言えない。中にはいくつもの商品群の中で売り上げNo.1になっている場合もある。しかし場合によっては、その○○部門には数点しか商品がなかったり、同じ会社のいくつかの旧商品と新商品だけで構成されている部門なんてこともあったりする。そんないとも簡単に作り出せるNo.1を、まるで何か権威ある調査でNo.1に輝いたかのように宣伝する手法は果たして適切と言えるだろうか。
独自品番によって最安値をアピールするという手法にも問題性があると自分は感じる。殆ど既製品と内容が変わらないのに、既製品にはないカラーや機能を微妙に増減させた商品を大手の通販会社等がメーカーに別注品として発注し、品番が異なることを理由に「自社が最安値で販売している」と宣伝する場合がある。確かに真っ赤な嘘ではないだろうが、後で同じメーカーの同じ様な商品が同じタイミングで更に安く売っていたことを購入者が知れば、十中八九「騙された」と感じるだろう。
このような数字や謳い文句の捏造、明確な捏造と言えなくても捏造まがいとは言えるであろう行為は、結構あちらこちらにある。個人的には、家族だと誤認させて金を振り込ませる詐欺も、このような宣伝手法で優良誤認の誘発させる行為も、程度の差はあれど似たようなものだと思っている。「そんなことを言い始めたら宣伝なんてできやしない」と言う人もいそうだが、No.1を謳うのであればどんなNo.1なのかを明確にすればいいだけだし、販売店主導の別注品でも最安値だけをアピールするのではなく、どの既製品をベースにした商品なのか、どんな違いがあるのかを明確にすればいいだけだ。つまり表現手法の問題だ。
そのような宣伝を行う者は、このような指摘をすれば「錯誤を生じさせようという意図はなかった」と言うだろう。勿論意図があったことを明確に証明することは難しい場合もあり、またどこで線を引くかも難しいので、全てが全て問題性を孕んでいるとまでは言いきれない。ただし、嘘をつく者を追求すれば「嘘をついたつもりはなかった、誤認だった」と言う事が殆どだし、いじめ・セクハラ・パワハラ案件でも加害者らは大体「いじめた(セクハラをした、パワハラ)のつもりはなかった」と言うし、虐待する親も「虐待ではなくしつけの一環だった」と言うものだ。意図があったかどうかには全く意味がないとは言わないが、意図があったかどうかよりもどのような結果を生んだかの方が重要なのではないか。
勿論日本の全ての企業がアコギな宣伝をしている訳ではない。インターネット広告などは、つい5年くらい前までの最悪の時期に比べれば状況は改善しているようにも思える。しかし一方で、裕福な高齢者を狙っているであろうテレビ通販CMは以前より状況が悪化しているようにも見える。つまりターゲットが、騙されやすいが分母の少ない若年層から、絶対的に分母が大きく、若年層よりも金を持っている高齢層に移行しただけにも思える。
現在の統一地方選での各党・各候補者が謳う公約、これまでの成果の中にも、錯誤を誘発させようという手法はそれなりにあるように思う。ただ、国のトップである首相が「(自衛隊員の勧誘に)6割の自治体が非協力的だというのはファクトだ」という、これまでに示した事案と似たような嘘を平気でつくような状況であり、更に、とある全国紙がそれを擁護するような状況だし(2/15の投稿、2/19の投稿)、その首相が総裁を務める党を選挙の度に国民が選ぶような状況でもあり、鶏が先か卵が先か全く分からないような状態だ。国民がそれを容認しているからそんな首相が選ばれているのか、首相がそんな者だからアコギな選挙公約や成果の主張、優良誤認を狙った宣伝が蔓延っているのか分からないが、どちらにせよ今の日本の状況は決して文明国とは言いきれない状況にある。