昨日の投稿では、アメリカ南部の州で続々と成立しているほぼ全面的に妊娠中絶を禁止する法律というのが如何に馬鹿げているかについて書いた。書いた事自体は5/16のハフポストの記事「アラバマ州で最も厳しい中絶禁止法が成立、波紋呼ぶ。賛成したのは全員白人男性だった」などを、当日読んだ時点から感じていたことなのだが、昨日それを取り上げて書いたきっかけは、昨日のMXテレビ・モーニングCROSSで、弁護士の三輪 記子さんがこの件に触れていたからだ。三輪さんが番組内で主に主張していたのは、「女性が自分の身体に関することを自分で決定する権利が阻害される」という視点での中絶禁止法に対する違和感というか拒否感というか、つまり否定的な見解で、自分が昨日書いた視点とはやや違いがあるものの、好ましいとは到底言えないという結論であることに違いはなかった。
昨日の投稿でも触れたように、アメリカの州は日本の県とは異なり、多くの分野で自治が認められている。中絶禁止法についても成立しているのは南部・中西部のカトリック/キリスト教保守派が強い影響力を持つ地域だ。これについては三輪さんも番組内で触れており、それを前提とした、番組内で画面に表示されたある視聴者ツイートに強い違和感を覚えた。
気に入らなければ州移ればいい #クロス— サラリーマン失格 (@easyplaying) May 29, 2019
これがそのツイートだ。
アメリカには中絶禁止法がある州もあればない州もある。中絶禁止法が気に食わないならない州に移住すればいいというニュアンスなのだろう。このツイートはそこまで強い表現ではないが、つまりこれは「嫌なら出ていけ」という主張に少なからず妥当性があるという認識に基づいたツイートと言えるだろう。例えば、個人が経営する店にきて難癖を付けるような客に対しての「嫌なら出ていけ」には妥当性もあるだろうが、この手の「郷に入っては郷に従え」を都合よく歪曲して解釈したような「嫌なら出ていけ」という主張を相変わらずする人がいることはとても残念だ。
このツイートは、5/21の投稿で指摘したような明らかにテレビ番組で画面に表示するべきでない偏見やヘイトスピーチ、明らかな嘘・誤認に該当するかと言えば、そう断言できるとまでは思わないが、「郷に入っては郷に従え」を都合よく歪曲して解釈したような「嫌なら出ていけ」という主張と同じ性質であると考えれば、画面に表示するなら相応に注釈しておかなければ、番組はその手の主張に妥当性があると考えているということにもなりかねにかなり黒に近いグレーなツイートのように思える。
なぜ「中絶禁止法が気に食わないなら別の州に移住すればいい」という主張が妥当でないのかは簡単に説明ができる。
現在の日本の首相は憲法の改正に強い意欲を示している。「中絶禁止法が気に食わないなら別の州に移住すればいい」が妥当な話であるなら、現在の日本国憲法の内容を変えたい、言い換えれば内容が気に食わない首相と、彼を支持する改憲派の人達は他の国へ移住すればいいという話も妥当ということになるだろう。憲法に限らず他の法律だって同じだ。同姓婚が認められていない日本の法制度が気に食わないなら他国に移住すればいいという話にも妥当性が出てくるし、性犯罪やセクハラ等が相応に罰されない日本の状況が気に食わないなら日本から出ていけばいいという話も妥当ということになる。
中絶禁止法は、昨年来アメリカの一部の州で成立し始めた法律だ。「中絶禁止法が気に食わないなら別の州に移住すればいい」という主張が妥当なら、今までの中絶禁止法がない状況が気に食わなかったのなら、新たな中絶禁止法の制定など目指さずにイスラム圏など中絶禁止法がある国に移住すればいい、という話にもなる。昨日の投稿で引用した世界地図を見れば分かるように、中絶禁止を法で定めた国はアフリカを中心に多く存在する。
「現憲法が気に食わないならなら他国に移住すればいい」という例を前述したが、「改憲を目指す現政権が気に食わないなら他国に移住すればいい」という、それと全く相反する2つの話に妥当性があるということにもなりかない。「気に食わないなら移住すればいい」が如何に無意味な主張であるかということがよく分かる。
先日、以下のツイートがタイムラインに流れてきた。
言っていることは「気に食わないなら文句を言ってないで移住しろ」であって、前段の話と殆ど差がないのだが、この投稿を書いた時点でこのツイートには約2900件の「いいね」と約1700件のリツイートがある。全てが肯定的な反応とは限らないが、この内容のツイートが少なくない反応を集めるのを目の当たりすると、相応に短絡的な人がいるのだろうと思えてとても残念だ。このツイートには如何にも日本的な所謂「過剰な自己責任論」もあるように見える。このような主張をする人はその内「文句があるなら日本から出ていけ」と言い出しかねないし、更にエスカレートすれば「嫌なら地球から出ていけ」、そんなことは現状物理的に無理なので、つまり「嫌なら死ね」などと言い出しかねないように思う。保育園落ちただの満員電車辛いだの言うなら東京に住まなきゃいいんですよ。少なくとも地方で公共交通機関が衰退してお年寄りが困ってる問題と同程度にはそこに住んでるのが悪い— かなやたなは (@sousanusi) May 22, 2019
「そこまでエスカレートすることはない」という人もいるかもしれないが、「気に食わないなら移住しろ」と「嫌なら日本から出ていけ」にはそう大きな差がないし、人間というのはしばしばエスカレートしがちな生き物だ。昨今複数報道される幼児虐待だって、多くの人が「なぜそんな酷いことを」と思うようなことばかりだが、どの事案も、いきなり殺してしまうような虐待が始まるのではなく、徐々に虐待がエスカレートしていくことが見て取れる。「日本から出ていけ」のような言動は、ヘイトスピーチ対策に積極的とは言えない現日本政府の法務省ですら差別的言動に当たるという見解を示している。差別的な認識に基づく主張に対して、そのエスカレートを危惧するのは至極当然なことではないだろうか。
「郷に入っては郷に従え」という慣用句は本来自分を律する為の表現だ。合理性のあるしきたりや習慣であれば、他者にその必要性を説く際に「郷に入っては郷に従え」という話など持ち出す必要がない。だがしかし、昨今、というかこれまでも、例えばブラック校則のようにルールはルールだからとか、一度決まったルールなんだからとか、合理性を説明出来ない場合に「郷に入っては郷に従え」という話を持ち出し、まるでそれで合理性を説明したかのように主張するケースがしばしば、というか頻繁に出くわす。
「気に食わないなら移住しろ」とか「嫌なら日本から出ていけ」などの表現も、この「郷に入っては郷に従え」の曲解・押し付けと大差のない、合理性を説明出来ない者が持ち出しがちな、偏見や差別的な発想と強い関係のある言い回しだ