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誹謗中傷は無視するとエスカレートしかねず、無視が最良の策だと必ずしも言えない


 河野 太郎外相が、産経新聞の記事「河野外相、四島返還「考えてない」 北方領土問題めぐり」について、誤報・捏造などとツイートしたそうだ。河野氏が7/1に都内で講演を行った際に、出席者から四島返還に立ち戻る考えはないかを問われ、「まったく考えていない」と述べた、という産経新聞の記事の内容を誤報・捏造だと否定したそうだが、7/9の記者会見にて、このツイートに関して産経新聞から抗議を受けたとし、ツイートの不正確さ、つまり捏造・誤報という認識が正確ではないと認め「真摯に反省しおわびする」と陳謝し、当該ツイートを削除したそうだ。
この件については、当事者である産経新聞は当然の事、 共同通信をはじめ他のメディア各社も報じている。共同通信の記事はロイターにも掲載されている。


 もしこのような事案が現在の安倍自民党政権以外で発生していたら、ほぼ間違いなく大臣職を追わることになっただろう。河野氏の行為は、国家権力の中枢にいる者が、民主主義という制度の中で権力を監視する役割を担うメディアに対して、「メディアが嘘をついている」という嘘で抑圧しようとしたという、かなり深刻度の高い行為だからだ。
 この件は確実に国外にも伝わる。外務大臣がこのようなことをしたことを知った上で、日本を先進国・民主主義国・自由主義国として、誠実な交渉の相手と認識してくれる国が果たしてどれ程あるだろうか。中国や北朝鮮当局なら、似たようなことをやっているだろうから何とも思わないかもしれない。但し中国や北朝鮮も「メディアの抑圧をやるならもっとスマートにやれよ」とか「なんで捏造・誤報ではなかったと認めるの?馬鹿なの?」のように受け止めるかもしれない。つまり、結局はまともな交渉相手とは見られず、馬鹿にされることになりそうだ。
 河野氏以前にも、麻生福首相も同じ様に不当にメディアを攻撃し、発言の不備を指摘されて謝罪撤回すること、これまでに複数回繰り返しているが(2018年3/30の投稿 / 2018年6/26の投稿)、彼は未だに福首相の席に居座っている。もし今月の参院選で自民党がこれまで通りかそれ以上の議席を獲得することになれば、このような大臣らを日本の国民が実質的に容認したことになってしまう。今度の参院選で問われているのは、政治家らの資質だけでなく、日本国民の民主主義に対する意識でもある。



 という、お笑い芸人・古坂大魔王さんのツイートが数日前にタイムラインに流れてきた。古坂さんが言いたいのは、
 面と向かって言ったら喧嘩になってしまうような、相手を目の前にしていたら絶対言えない幼稚なコメント等に心をかき乱されてしまうのは時間の無駄なので、下手に反論などせずにSNSの機能でミュート/ブロックするなりして無視した方が合理的だし精神的な健康にも繋がる
のようなことなのだと思う。確かにその通りだ。顔を合わせていたら絶対に言わないような事を、顔が見え難く誰がコメントしたかもバレ難いネットの特性に付け込んで書き込む者は、もし現実でも同じ様な事を言っているのだとしたら十中八九馬鹿にされているか嫌われている、若しくはその程度の人として扱われているだろうし、逆に現実ではそのようなことを言えないのにネットだと気が大きくなって言ってしまうのだとしたら、単なる卑怯者、とても哀れな存在だということになる。つまり、そんな人に構っているのは時間の無駄でしかないというのは、とても妥当な判断だ。

 しかし、炎上やら目立ちたいだけ目的の非常識・迷惑三昧のコメントや動画を無視していると、深刻な状況に陥ってしまう危険性もある。自分はそう思って古坂のツイートに次のようにリプライした。


 スマイリーキクチさんには、ボキャブラ天国(Wikipedia)などで活躍していたお笑い芸人だが、殺人事件に関与していたとか、犯人の1人だなどと2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などで中傷され、社会の一部からあたかも彼が殺人事件の犯人かのように認識されてしまったという過去がある(Wikipedia:スマイリーキクチ中傷被害事件)。 当時のスマイリーさんがこの件について、ただただ無視していたかどうかは定かでないが、適切に反論し否定しなければ、嘘がまるで本当かのように認識されない、ということはこの件から得られる教訓の一つだ。
 因みに、古坂さんのツイートが自分のタイムラインに流れてきたのは、自分がスマイリーさんをフォローしており、スマイリーさんが「いいね」をしたからだった。だから余計に何かモヤモヤした気分になってしまった。


 勿論「古坂さんの言いたいことはそういう事ではない」ということは、自分は重々承知しているのだが、古坂さんのツイートと冒頭で紹介した河野大臣が産経新聞に対して「捏造・誤報」などと中傷したことを合わせて考えると、産経新聞は河野大臣の馬鹿げた中傷を無視しておけばよかったという風に捉えてしまう人もいるのではないだろうか。しかし、もし産経新聞が河野氏のツイートを無視していたら、河野氏の思惑通りに産経新聞が捏造報道・誤報をしたことにされてしまったかもしれない。
 炎上やら目立ちたいだけ目的の非常常識、迷惑三昧のコメントや動画には十中八九嘘やデマが含まれる。そのようなコメント等を無視していたらどうなるのか、に関しては、2015-2018年の間シリアで武装勢力に拘束されてしまったジャーナリスト・安田 純平さんのケースが参考になる。彼は今でもデマや嘘にさらされる被害の渦中にある。まずはこのツイートから連なるスレッドを見て欲しい。そこにはどんなデマ・嘘がこれまで、そして今でもネット上でまことしやかに囁かれ続けているかが書かれている。そして最も印象的なのがこのツイートだ。


 これを見ていると、やはり、古坂さんのツイート、
 炎上やら目立ちたいだけ目的の非常、迷惑三昧のコメントや動画には無視決め込むのが一番効果あるのよ。全く注目されないことが一番悔しいし屈辱だし効果的なの。
で、法やルールから逸脱してたら粛々と関係各位に報告、通報。後は広げない、コメントしない。貴方の説教なんてあっちにゃ大好物なのさ!
は、一概にはそうとは言いきれないように思う。まず第一に関係各位に報告/通報するのが最も重要だということは確かだ。大抵の誹謗中傷はSNSの運営に報告する、弁護士/警察に通報するという意思を示せば止むだろうが、SNSの運営組織や警察等関係各所がいつも迅速に適切に対応してくれるとは限らない。昨今被害を訴えても適切な対応を警察がしなかった為に傷害/殺人に発展する事案も発生している。
 また、事実か否かを判断し難いことについては、SNSの運営組織は表現の自由等を理由に放置する傾向にある為、報告/通報したところで傍観されることが非常に多い。そんな場合は誹謗中傷コメントに対して「書いてあることは事実ではない」とリプライしておけば、第三者が嘘を信じてしまう恐れを低減できる可能性はある。安田さんの言っている「デマには抵抗しないと雪だるま式に酷いことになっていく」ことへの抑止も必要だ。
 つまり、場合によっては無視するのが一番効果があるとは言い難い。無視せずに適切な範囲で「事実と異なる」と指摘しておくことが重要になる場合も確実にある。


 最後にもう一度確認しておくが、自分は「古坂さんの話は大きな間違いである」と言いたいわけではない。ツイッターの字数制限の所為もあるだろうが、古坂さんは大きな影響力のある存在なので、もう少し誤解を生まないような表現でそれについて論じて欲しいというのがこの投稿の趣旨だ。

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