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昨日・7/21の投開票が行われた第25回参議院議員通常選挙は、自民・公明の与党が今回の選挙で改選される124議席の過半数63を超える計71議席を獲得した。しかし今回の選挙によって自民党は参議院での議席を6を減らす結果となった。(読売新聞「参院選当選者確定…与党、改選議席から6減らす」)。また、自民党は今回の選挙の争点として「憲法改正」を掲げていたが、憲法改正の発議に必要な2/3議席を与党・自公だけでは確保出来ず、改憲に前向きな維新の議席を含めても2/3に到達させることが出来なかった(ロイター「改憲勢力3分の2割り込む、自公71議席 立憲・維新伸長=参院選」)。
選挙の勝敗については様々な視点での判断があるだろうが、自分が勝敗云々よりも注目したいのは投票率の低さだ。今回の参院選の投票率は、
と、史上最低レベルである。九州を中心に西日本各所で大雨が降ったことの影響もありそうだが、決して理由はそれだけとは言えないだろう。
6/26の投稿でも書いたように、日本の低投票率は今に始まった話ではない。1990年代以降ずっと続いている傾向だし、現政権が成立してからは特にその傾向に拍車がかかっている。今年は亥年選挙と呼ばれる参議院議員通常選挙と統一地方選挙が重なる12年に一度の年で、4月には地方選もあったが、その投票率も軒並み低かった(4/22の投稿)。
7/14の投稿でも触れたが、「参院選 若者の8割近く「投票日知らない」」と報じられるなど、今回の参院選も事前から低投票率が予想されており、事前事後を問わず
という表現を用いるメディアや関係者も目立った。参院選は盛り上がりに欠ける/盛り上がらなかった
ざっと調べただけでも、これだけ「盛り上がりに欠けた選挙」というニュアンスの表現が出てきた。
- 参議院選挙のテレビ報道が低調だ。選挙自体が盛り上がらず、高視聴率を見込めないためと関係者はみるが、(朝日新聞「「視聴率取れない」参院選、TV低調 0分の情報番組も」)
- 巨大与党と、「多弱」と呼ばれる野党の対決で、盛り上がりに欠けたのは事実だろう。(読売新聞「[参院選]与党改選過半数 安定基盤を政策遂行に生かせ」)
- 今回の選挙は盛り上がりに欠けていると指摘され投票率の低下も懸念されているものの、(フジテレビ/FNNプライム「「選挙公報」の活用を! きょう投開票の参院選への向き合いと楽しみ方」)
- 今回の参院選は、年金問題や憲法改正問題が争点となったが、有権者の関心は盛り上がらず、投票率は戦後2番目に低い48.80%にとどまった。(ロイター「改憲勢力3分の2割り込む、自公71議席 立憲・維新伸長=参院選」)
- お寒い天気のように盛り上がらない参院選。(日刊ゲンダイ「学会員の動き鈍く…投票率上昇で公明「選挙区1勝6敗」危機」)
- ”ルールが難しいし、怖くてTweetできない”なぜ日本のネット選挙は盛り上がらない? (AbemaTimes)
- 今回は主要メディアの調査などから投票率の50%割れも予測されている。確かに選挙戦が全般的に盛り上がりに欠けているのは事実。(東洋経済「盛り上がり欠く参院選、投票率50%割れも」)
- 7月4日公示された参院選は、残念ながら盛り上がりに欠ける展開になっている。(プレジデント「山本太郎ばかりがネットで話題になるワケ 参院選の注目は「最低投票率」だけ」)
しかし一方で、朝日新聞「「視聴率取れない」参院選、TV低調 0分の情報番組も」によれば、地上波(NHKと在京民放キー局5社)の、公示日から15日までの12日間の選挙に関する放送時間は計23時間54分で、前回(2016参院選)に比べて6時間43分も減っているそうだ。特に報道番組(非ワイドショー系のニュース番組)での減少幅が大きく、約3割減(民放だけなら約4割)も減っているらしい。次のグラフは同記事に掲載されているものである。
このようなことを勘案すると、メディアや関係者が「選挙が盛り上がりに欠ける」とするのはとても無責任に思える。正確には「メディアや関係者が、特にテレビが選挙を盛り上げなかった」とするのが妥当ではないか。「盛り上げなかった」は言い過ぎだとしても「盛り上げられなかった」が適当だろう。
2013年から2016年の間に選挙に関する報道量が減ったことも記事では強調されている。2013年以前の数字を自分も調べていないので断定することはできないが、これはそれ以前からあった傾向でないと仮定する。このタイミングに何があったか。2016年参院選の5か月前に、当時総務大臣だった高市 早苗氏が
テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止(停波)を命じることができると発言している(毎日新聞「高市氏の「停波」発言 ホントの怖さ」)。この高市氏の、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づき停波を命じる可能性に言及した発言以来、テレビ各局は政治報道、特に選挙期間中の政治報道に消極的になったと言われている。
そんなことを勘案すると、選挙を盛り下げているのはメディアや関係者だけではなく、政治家、特に政権与党によっても盛り下げられている。というよりも寧ろ、政権与党は選挙が盛り下がることを望んでおり、そうなるように仕向けている、そしてメディア側も委縮、若しくは忖度してしまっていると言えるのではないか。
大本営発表に忖度した報道をした戦中メディアの再来が間近に迫っている、とも言えるような状況が今の日本にはあるように思う。メディア関係者らがまるで他人事かのように、「盛り上がりに欠ける選挙」という表現を用いているのはとても残念だ。勿論中には選挙期間中も積極的に政治/選挙関連の記事を書いていた記者やジャーナリストらがいるのも知っている。場合によっては彼らが自戒の念を込めて「盛り上がりに欠ける選挙」という表現を使っていることもあるかもしれない。似たような事を7/14の投稿「NYT・日本の報道の自由の低さを懸念する記事に関連して」でも書いたが、しかし傍から見れば、記者やジャーナリストというのはあくまでもメディア側の人間で、大雑把に一括りに「メディア関係者」とするのは、あまりよくないのかもしれないが、基本的に受け手である自分は「お前も選挙を盛り下げている側のメディアの一員なのに、まるで他人事のようなことを言うんだな」と感じてしまう。メディア関係者の自戒なら、それこそ「選挙を盛り上げられなかった」というニュアンスの表現を積極的に用いるべきではないのか。
「自分は困っていないから関係ない」などの理由で選挙や政治に興味を持たない人がおり、そのような人が多いから投票率が上がらない、要するに有権者の当事者意識の欠如が低投票率に拍車をかけるという見解をしばしば目にすることがある。しかし、当事者意識が欠如しているのは果たして有権者だけだろうか。自分には、有権者だけが当事者意識に乏しいのではなく、
多くのメディア関係者も当事者意識が欠如しているから、まるで他人事のように「盛り上がりに欠ける選挙」なる表現を用いることが出来るのだろうと感じられる。
勿論、同じことは政治家にも言える。選挙の投票率が低いということは、アイドルに例えれば、どのグループも、どの個人も総じて人気が低いということになる。人気が低いグループ/個人の収入は明らかに減る筈だ。少し乱暴な考え方かもしれないが、投票率がある水準に達さなかった場合、議員の報酬を一律何割かカットするなどの規定が必要なのではないだろうか。議員だけではなく、選挙の啓蒙を担当する総務省(7/14の投稿)の官僚の報酬減額を検討する必要があるかもしれない。有名人を起用して啓蒙活動を行っても、結果に繋がらないのであれば税金の無駄遣いでしかない。契約上の理由なのかもしれないが、選挙後すぐに投票率の向上に寄与することが出来なかった当該ページを削除しているのにも不信感を覚える。
確かに低投票率の一番の理由は有権者の当事者意識の欠如なんだろうが、決してそれだけが理由ではなく、メディアや政治家、そして政府までもがそれを煽るような状況を構築しているように思えてならない。