各国首脳が出席したG20の夕食会での安倍首相のスピーチが大きな波紋を読んでいる。懸案のスピーチ全文をNHKが掲載しているのだが、注目を集めたのは、
大阪のシンボルである大阪城は、最初に16世紀に築城されました。石垣全体や車列が通った大手門は17世紀はじめのものです。150年前の明治維新の混乱で、大阪城の大半は焼失しましたが、天守閣は今から約90年前に、16世紀のものが忠実に復元されました。という部分だ。この件に関しては、6/29の投稿「「井の中の蛙大海を知らず」を自覚しないと大変なことになりかねない」で紹介したツイートでも触れられており、どうやら安倍氏は、「歴史的建造物を忠実に再現しなかったことが悔やまれる」というニュアンスのジョークとして当該表現を用いたようだが、それは今年失火によって大半が焼失(4/20の投稿)し、現在検討されているパリの象徴・ノートルダム聖堂の再建に際して、焼失前に存在していた尖塔は完成からかなり後に追加されたという理由で、それを再現するかどうかや、焼失前とは異なる現代的な建築計画も検討されていることへの皮肉のようにも聞こえる。
しかし、1つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました。
6/29の投稿で紹介したツイートには当時の映像も添えられており、カメラが捉えたフランス・マクロン大統領の表情を、「面白くねえけどジョークを言ってんだよな、わかるよ」という反応、と評している。前述のような指摘はないし、実際マクロン大統領がどう感じたかは定かでないが、そのような視点で見てみると、マクロン大統領は冗談だと分かったとしても、悪い冗談だとしか思えなかった事だろうと思える。
まず、前述のNHKの記事「夕食会での安倍首相あいさつ・全文」のスクリーンショットを残しておく(NHKはかなり早い段階で記事を削除するのでその為の対処)。
そして何より国内でこの部分に批判が集まっている理由は、前述のような話ではなく、
「エレベーターの設置がミス」ということは、足の不自由な障害者や高齢者は大阪城を楽しめなくともよい、という意味か?という風に、当該表現の趣旨を受け止めた人が多いからだ(ハフポスト「大阪城のエレベーター設置は「大きなミス」 安倍首相のG20での発言に批判殺到」)。もし安倍氏が「歴史上の建造物を厳密に忠実に再現するべきだ」ということを言いたかったのだとしても、「エレベーターの設置はミス」という表現を用いなければそれが言えないなんて事は全くなく、明らかに配慮に欠けた表現と言えるだろう。「コンクリート建築で再現するのではなく、建築当初同様に木造で再現すべきだった」などと言えばよかったのではないか。彼はお笑い芸人ではなく国を代表する首相であり、わざわざ趣味の悪い冗談を交える必要性があったとは言い難い。
因みに、「日本がバリアフリーを昔から意識していた事を交えたジョークであること、それを各国の首脳がきちんと理解していることが分かりますよ」という首相の発言を擁護するツイートが自分の元へ寄せられたが、教祖様の言う事は絶対的に正しいと妄信するカルト教団の信者のような人としか思えなかった。アカウント名を自ら「クソリプBot」などとしているのを見ると、本人もおかしな主張をすることをある程度は理解しているのだろう。なのにそれを止められないというのは、ある種の病のように感じられる為とても不憫に思う。
興味深いのは、現在木造での天守閣再建が検討されている名古屋城(朝日新聞「名古屋城問題、異例の補正予算案撤回 木材保管庫整備費」)を有する、名古屋市/愛知県でのこの件に対する反応だ。木造による天守閣再建によって往時を忠実に再現したい考えの名古屋市・河村市長は、「河村市長「気持ちはようわかる」首相エレベーター“失言”に同情」(毎日新聞)という反応だが、その一方で愛知県・大村知事は「愛知・大村知事「不適切な発言だ」 安倍首相の大阪城EVは「大きなミス」発言に」(ハフポスト/朝日新聞)と、不快感を明確に示している。また、名古屋市の障害者らでつくる「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」も、「名古屋城はエレベーターを巡って対立 障害者団体「首相発言は問題だ」」と強く反発している。
このような反応やWeb上の論調、各メディアの記事を見ていても、河村市長のような擁護派は少数派に見える。首相の当該発言をそれ程問題視していない人達も、流石に明確に擁護できる合理的な説明まではできないというのが実情で、「そんなに過剰反応しなくてもいいのに」程度にしか擁護できないのではないだろうか。前述のような、全く理解に苦しむ恣意的な解釈によって擁護する者もいるようだが、それはどう考えても合理性のある擁護だとは到底考え難い。
「選挙前なのでこんな事態は早期に収拾したい」と感じたのだろうか、安倍氏はこの自身の発言に関して「遺憾だ」と述べたという共同通信の記事「自身のエレベーター発言「遺憾」と首相」が昨日・7/2の昼過ぎに報じられた。
同じ事伝える朝日新聞の記事「大阪城エレベーター発言への批判に「遺憾」 首相が釈明」には、安倍氏が
(障害者や高齢者の)状況を軽視し、バリアフリー社会に異論を唱えるような発言ではない
(障害者や高齢者が)『不自由でも仕方ない』と聞こえたことは遺憾などと述べた。とあり、つまり彼は「(自信の発言が誤解された事は)遺憾だ」というニュアンスの発言をしたということが分かるが、共同通信の記事は
安倍晋三首相は2日、大阪城の復元時にエレベーターを設置したのは「大きなミス」とした自身の発言について自民党の萩生田光一幹事長代行に「遺憾だ」と述べた。萩生田氏が明らかにした。としか書かれておらず、 自分には「共同通信はツイッター文化に毒された寸足らずな配信を行っている」ように見えた。この件について、共同通信の記事を引用した、「自らの発言は「遺憾(残念)」だなんて支離滅裂だ」という趣旨のSNS投稿を多く見かけたが、安倍氏が言っているのは前述のように「誤解されて残念」のようなことなので、その指摘はやや的が外れているように思う。その的外れな解釈を誘発したのは寸足らずな共同通信の記事なので、適切な報道が如何に重要かが分かるし、寸足らずな報道や主張を勝手に脳内補完して解釈し、断定的に前提として主張するのにも問題性があることが分かる。
但しそれでも、安倍氏は「誤解された」というニュアンスの発言をしているのに、では一体どんな趣旨の発言だったかは示されていないので、彼の主張に合理性があるとは言い難い。もしかしたら全てのメディアがその部分を伝えていないという恐れもあるにはあるが、誤解されたと言うのなら一体どんな趣旨で「エレベーターの設置はミス」などと言ったのかを「丁寧に説明」するべきで、彼もSNSを利用しているのだから、メディアに頼らずとも「丁寧な説明」をすることは十分可能なはずだ。にもかかわらずそれをしないということは、できない理由が何かしらあると考えるのが自然だろう。
恐らく「歴史的建造物を忠実に再現しなかったことが悔やまれる」というニュアンスだったという方向性以外で合理的な説明は出来ないだろうが、それにしたって前述の通り、「エレベーターの設置はミス」という表現を用いなければそれが言えないなんて事は全くなく、明らかに配慮に欠けた表現という指摘には反論できないだろう。つまり「誤解されて残念」などとするのではなく、率直に「配慮が至らなかった事をお詫びしたい」と自分の過ちを認めるべきだった、としか言いようがない。
更に滑稽なのは、この件について菅官房長官が
あいさつを読めば、まったく問題ない発言だと分かると述べたことだ(朝日新聞「菅官房長官「問題ない」 安倍首相の大阪城EV発言に」)。安倍氏が「誤解を招いたことは残念だ」と言っているということは、当該発言は誤解を招きかねない内容だったと認めているということだ。誤解ではなく本音なら確実に問題だし、例え首相が伝えようとしたニュアンスが誤って伝わったという話が事実だったとしても、首相が公の場で誤解を誘発する発言をしたことを、官房長官が「問題ない」と断定するのは如何なものか。それはつまり、首相の発言は誤解が生じるような程度の低さでも問題ないと言っているようでもあるし、首相はその程度の発言しか出来ないと言っているようにも思える。若しくは、別の視点から考えれば、菅氏は「首相のスピーチは概ね誤解の余地もないのに、一部のメディアや国民が合理性を欠いた解釈で不当な言い掛かりをつけているだけなので、首相の発言に問題ない」と言っているようにも見える。もしそれが菅氏の「問題ない」の趣旨だとするならば、それこそ声をあげた障害者らなどを軽視していると言わざるを得ない。
もう何度も書いており、かなりウンザリしているのだが、首相や官房長官、直近で言えば元維新・丸山氏(5/16の投稿)など、兎に角最近の政治家には「間違いを認めて謝罪した死ぬ病」患者が多すぎる。政治家が間違いを認めないから企業にも間違いを頑なに認めず面子ばかりを重視する風潮が蔓延し、それが大人に伝染し、更には子どもたちにまで広がっているように思えてならない。首相や官房長官の所属する自民や、維新の議員や支持者らには「美しい国」というスローガンを掲げる勢力や人達が決して少なくないが、果たしてこのような状況は「美しい国」のあるべき姿である、と彼らは認識しているということでよいのだろうか。
この件についてはもう一つ付け加えておくべき話がある。ハフポスト「大阪城天守閣が「忠実に復元された」って安倍首相が言ってたけどホント?」が指摘しているように、安倍氏の当該スピーチは「エレベーターの設置はミス」という認識以外にも、大阪城の説明に関しても複数認識に間違いがある。
また、6/30にドワンゴとヤフーが共催した各党首による党首討論の中で、立民の枝野代表が「選択的夫婦別姓は女性の社会参画のために不可欠だ」と主張したのに対して、安倍氏は、
選択的夫婦別姓の問題ではなくて、しっかり経済を成長させ、みんなが活躍できる社会をつくっていくことだ。経済成長としての課題ではないという要領を得ない主張を行った(毎日新聞「「夫婦別姓、経済成長の課題ではない」安倍首相 「ニコ動」党首討論」)。
まず大前提として選択的夫婦別姓制度の設立を一部の女性らが欲しているのは、明らかに男女格差是正の為であって、経済成長の要素として捉える事自体がかなり滑稽だし、また、現在結婚と同時に性を改めさせられるのは圧倒的女性が多く、女性の社会参画、女性が結婚後も働きやすい環境を整えるという側面が選択的夫婦別姓制度にはあるので、それは経済成長とも関連する課題である。
安倍氏が質問をはぐらかしたり、的外れな答弁を繰り返すのはこれまでにも頻繁にあったことなので、この受け答えもある意味で通常運行で何の驚きもないが、この発言によって明確化したのは「安倍氏には選択的夫婦別姓についての基本的な知識すらない」ということ、とも言えそうだ。
そのように批判されると、また同じ様に馬鹿の一つ覚えで「誤解を招いたことは遺憾」みたいなことを言うのだろうが、そろそろそんな発言を恥ずかしげもなくするということは、国民は馬鹿にされているということに気付いた方がよいのではないか。6/29の投稿でも書いたように、日本では首相や政府がこのような強引な言い逃れを繰り返している、とうことは諸外国にも確実に知れている。普通選挙という民主的な制度があるにもかかわらず、そんな首相や政府をいつまでも信任し続けていれば、「日本の民度はその程度」としか思われなくなる。というか寧ろ既にそんな風潮になっている事が、今回のG20に如実に反映されていた。
大阪城に関する話にせよ、選択的夫婦別姓に関する話にせよ安倍氏が妻同様に、いかに「ゆるふわ」な感覚で主張をしているのかがとてもよく分かる事案だった。