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現在の日本は、民主主義/自由主義崩壊前夜かもしれない


 「前夜」と聞いて、あなたはどのようなことを連想するだろうか。条件なしにそのように聞かれたら、自分は「物事が良くなる直前」を連想する。前夜の後には必ず夜明けがくるし、前夜祭は楽しいイベントの先取り・前祝いのようなものだし、概ねポジティブなニュアンスを連想する。
 しかし夜明けが必ずポジティブとは限らない。明けなかった方がよい夜もあるのでネガティブな前夜も有り得る。例えばナチス政権成立前夜、太平洋戦争開戦前夜など「悪いことの直前」という場合にも前夜という表現は用いられる。つまりポジティブな前夜もあればネガティブな前夜もある。前夜とは単に○○の直前という意味で、「前夜(ゼンヤ)とは - コトバンク」でも概ねそのように解説されている。

 現在の日本は、民主主義/自由主義崩壊前夜かもしれない


 そんな風に感じることはこの数年かなり多い。しかしそう主張する度に、少なくない周囲の人間から「大袈裟」とか「取り越し苦労」などと言われてきた。しかしそんな懸念はなくならないどころか、日を追うごとに大きくなるばかりだ。そう感じる頻度も放物線を描くかのように増えているし、そう感じる事案の質もどんどん悪くなっていく。昨日もまたそんな風に感じることがあった。


 8/1に開幕したあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」は、名古屋市長や官房長官らからの圧力、テロ予告にも近い脅迫によって、たった3日で中止に追い込まれた。それについては、これまでにも複数関連投稿を書いている。
名古屋市長や官房長官らからの圧力と書いたが、それはあくまで自分の個人的な認識であり、愛知県 大村知事や同イベントの芸術監督を務めるジャーナリストの津田 大介さんらは、脅迫・嫌がらせなどによって安全性確保に懸念が生じた為中止した、としている。しかし、名古屋市長が展示物が不適切だとして中止を要求していたのは事実だし、官房長官が
 『あいちトリエンナーレ』は文化庁の補助事業として採択されている。審査の時点では、具体的な展示内容の記載はなかったことから、補助金の交付決定では事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していきたい
という見解を示したのも事実である(芸術祭に慰安婦問題象徴の少女像 補助金を慎重検討 官房長官 NHK /スクリーンショット))。


 官房長官が言及した補助金について、9/26に文化庁は、採択を決めていたあいちトリエンナーレへの補助金全額・約7800万円を交付しないと発表した(あいちトリエンナーレへの補助金を交付せず 文化庁発表:朝日新聞デジタル)。率直に言って、官房長官が示唆していた圧力が実行された、厳しく言えば、官房長官の脅しが現実になったと言えそうだ。
 勿論文化庁が「官房長官の脅しを実行しました」なんて言う筈はなく、そのような判断に至った理由については、
 慰安婦を表現した少女像など、会場の安全担保や円滑な運営をするために重要な内容があったのに、申告なく進めたことを問題視した
と説明しているようだ。因みに愛知県の検証委員会も、津田氏の責任に言及し、リスクを回避する仕組みが芸術祭実行委や愛知県庁に用意されていなかったと指摘してる(不自由展の混乱「最大の原因は芸術監督」 検証委が批判 [「表現の不自由展」中止]:朝日新聞デジタル)。
 この文化庁や検証委員会の判断には複数の疑問を感じる。

 まず一つ目は、確かに物議を醸す企画展であることは事前に予測できただろうが、脅迫やテロ予告が行われる恐れまで認識することは出来ただろうか?ということだ。もし脅迫やテロ予告が行われる恐が認識できたとして、それに対する特別な警備体制とは一体何が準備できただろうか。どんなに警備体制を強化しようが脅迫やテロ予告自体を防げたかどうかは不透明で、どんなに警備体制を強化しても、恐らくそのような行為が行われていたのではないだろうか。
 例えば、脅迫やテロ予告を軽視して企画展を実行し、実際に放火や立てこもりなどの事案が発生してしまったなら、運営者も責任を問われるのは仕方ないだろうが、愛知県知事や津田さんは、脅迫やテロ予告を軽視せずに企画展の中断を決めている。なぜそれで運営者が責められるのか理解に苦しむ。まるで脅迫された側・テロ予告された側が悪い、その懸念があったのに適切に対応しなかった方が悪い、と言っているようにしか思えない。

 数日前に、事前に巨大な津波が起きる恐れがあると報告を受けていたにもかかわらず対策を怠った結果、東日本大震災による原発事故が発生したとして、東京電力の幹部らが告訴された事案の地裁判決が言い渡された(9/21の投稿)。言い渡された判決は無罪だった。
 巨大な津波が起きる恐れがあるという報告を受けていたのに、それを軽視して対策を講じず、その結果原発事故という多大な実害が発生しても無罪。一方で脅迫やテロ予告の恐れがあり、それを重視して中止を判断したイベントには、物理的な実害は一切生じていないのに、対応の不備を理由に交付が決まっていた補助金が不交付にされる。判断を行った組織は異なるが、判断の基準がおかしいとしか思えない。
 自分の目には「脅迫やテロ予告を受けるのは隙があるから」という風な判断がなされているようにしか思えない。一部に「いじめられる奴にはいじめられる理由がある」とか「痴漢される奴に隙があるのが悪い」のようなことを言う奴がいる。文科省の下部組織である文化庁がそんな判断を示しているのだから、いじめ問題が解消しないのも頷ける。



 また、文科大臣である萩生田氏は、この事案について記者に対して、
 すでに愛知県側では4月の段階で、会場が混乱するんじゃないか、展示を続けることが不可能なんじゃないかということで、警察当局と相談していたらしいのですが、文化庁にはそういった内容はまったく来ていなかった
 (文化庁に対しても)相談をされれば、運営方法などを一緒に協力することもできたかもしれません。仮に、あらかじめ相談をしていれば補助対象になったかどうかと聞かれても、仮定の問題なんですけど、何か相談があれば寄り添って対応したと思います
と述べたそうだ。つまり「警察には相談していたのに、なんで文化庁には相談しなかったんだ!」というのが、補助金取り止めの理由らしい。警察に相談していたのなら対応が不十分だったとは言い難い。「文化庁にも相談してくれたらよかったのに」は分かるが、「だから補助金はやらない」となる意味が分からない。
 更に言えば、萩生田氏は何故文化庁が相談して貰えないのかを考えたことがあるだろうか。いじめやハラスメントの被害者は、上司や先生、学校や会社に不信感を抱いていれば相談しない。つまり、文化庁には相談するに足る信頼感が欠けており、だから相談して貰えなかった恐れもある。文化庁は文科省の下部組織であり、当時の文科大臣は、就任直後に教育勅語について肯定的な見解を示した柴山氏だった(2018年10/6の投稿)。柴山氏は表現の不自由展中止後ではあるが、自分に対して批判的な主張をした高校生を警察が取り囲み連行したことについて「問題はない」という見解を示した人物でもある(8/28のと投稿)。
 もし愛知県知事や実行委が脅迫やテロ予告の恐れを認識していたとして、そんな大臣の下にある組織に相談すれば、それを理由に企画展の中止を要求されたり、中止に追い込むような圧力をかけられかねないと判断したら、相談などするはずもない


 更に言えば、混乱が予想されたのに適切な対応をしなかったから補助金取り止め、という判断が正しいのなら、オリンピックへの旭日旗持ち込みについて、組織委員会や担当大臣が「問題はない」という見解を示していること(9/4の投稿 / 9/13の投稿)との整合性はどう説明するつもりなのだろう
 その見解の根拠については前述の投稿で示しているので割愛するが、旭日旗は今も確実に実質的な軍旗であり、しかも戦前の軍国主義だった日本の象徴であることは紛れもない事実で、そんな旗をオリンピック会場に持ち込めば、混乱が生じることは、これまでにサッカーの国際試合などでの事案に鑑みれば火を見るよりも明らかなのに、組織委員会や担当大臣が「問題はない」と言っている。ならば五輪にまつわる全ての予算は、あいちトリエンナーレへの補助金取り止め同様に全て白紙にして、大会の予算は全て組織委員会と開催地である都に負担して貰うべきだろう。
 文化庁の判断、萩生田氏の見解はそんなところにも矛盾を孕んでいる。


 最早こんな風にいちいち指摘するのも馬鹿馬鹿しいくらいのレベルの、あまりにも強引で露骨な、政府の意に沿わない者/組織/催しに対する嫌がらせ・抑圧が既に常態化しているのが日本の現状だ。
 BuzzFeed Japan「「文化庁は文化を殺すな」抗議署名に一晩で3万人、トリエンナーレの補助金不交付めぐり」によれば、この件に対する異論は多く、この投稿を書いている時点で、キャンペーン · 文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」に対する補助金交付中止を撤回してください。 · Change.org への賛同は、既に5万3000人を超えている。
 しかし、視点を変えれば1億2000万分のたった5万でもある。この件でやっと違和感・異論を表明する人が増えたというのは事実だろうが、本来はこんなことが起きる前に対処しなければならなかったので、これまで楽観視していた人達の判断は間違っていたとも言える。未だに楽観視している人の方が多いのだとしたら、それはかなり深刻な事態だ。

 この投稿のタイトルを「現在の日本は、民主主義/自由主義崩壊前夜かもしれない」としたが、実際は既に前夜は過ぎており、もう崩壊の只中にあると考えるべきかもしれない。兎にも角にも、まるで他人事かのように楽観視していたら四面楚歌となり身動きできなくなるだろう。ナチス政権家のドイツ国民や、戦前日本の国民が犯した過ちを再び繰り返すのは愚かである。過去に学ばなければ人は同じ事を繰り返す。


トップ画像は、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を使用した。

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