女/男らしさに限らず、○○らしさというステレオタイプのイメージを、あたかも「そうあるのが当然」かのように、他人から押し付けられることへの違和感や、妥当性の低さについて、4/11の投稿「○○らしさの表現、○○らしさの押し付け」で書いた。しかし一方で、トップ画像のようなトイレや更衣室を案内する際に用いられるピクトグラムなどは、ステレオタイプのイメージを単純化することで、そこに書かれている文字が読めなくても、直感的に意味が連想できるようになっており、ステレオタイプのイメージが有効に機能することもある。
ステレオタイプのイメージが世の中に多く出回ることによって、そのイメージが固定化し、その影響で嫌な思いをした経験のある、ステレオタイプから外れるタイプの人、少数派が相応にいることも事実ではあるが、短絡的にステレオタイプのイメージ自体を嫌悪するのも決して妥当とは言えない。
ステレオタイプのイメージが悪いのではなく、それを誰かに押し付けるのが悪い
と考えるべきだろう。学校などで、生物学上の性別によってそれぞれの制服着用を義務付けられることも、概ねこのステレオタイプのイメージを押し付ける行為だ。そこに「男は男らしく、女は女らしく」という意図を感じざるを得ない。しかし世の中には性的指向や性的少数者かどうかとも関係なく、女性的な男性もいれば、男性的な女性もいて何もおかしくない。例えば私企業や私立学校ならば、「男は男らしく、女は女らしく」という方針でも良いのかもしれないが、公立の学校で制服によって「男は男らしく、女は女らしく」ということを暗に強制するのは、親や教員・学校、そしてその元締めである文科省、つまり国による感覚の押し付けとすら言えるのではないか。
JR東日本は18年ぶりに駅員や車掌らの制服をリニューアルすると発表したそうだ(JR東日本が男女の制服を統一 帽子もお好きな方でOK:朝日新聞デジタル)。新しい制服は2020年5月より導入されるそうで、男女とも同じデザインに統一し、男女ともに同色、同素材のシャツや上着、ネクタイを着用することになった。これに伴い女性のスカートやリボンタイは廃止されるらしい。
男女格差の問題は日本に限った話ではないが、日本は先進国の中でも有数の?男女格差の大きい国であり、世界銀行が発表した調査によるとG7中最下位である。そのことを伝える記事「(働く人の男女平等度、日本はG7最下位。世銀の調査で判明 | ハフポスト」に
- 順番をつければどこかが最下位になるのは必定。だからといって、何も示したことにはならない。愚かな見出しだ。
- だって、「(将来の夢は)お嫁さんになりたーい❤」て女の子がわんさかいる国だものwww
- 白人が集計したから、日本が低いんだろ。
他地域と比べてどうこうということではないが、日本の社会には女性というだけで舐めてかかる者が、男性だけでなく女性にも少なくない。しかも昨今は暴力や暴言が駅員らの性別を問わず向けられるような状況にもなっており(乗客の駅員らへの暴力 4割近くが答えた衝撃の「発生契機」 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット))、JRが制服デザインを男女共通にした背景には、「女/男らしさ」への押し付けに対する配慮だけではなく、女性が男性よりも更に理不尽な行為の対象にされやすいことを勘案し、女性の制服から出来るだけ女性性を減らすことによって、出来る限りの抑止を図りたいという意図もあるのかもしれない。
無差別暴行/殺傷事件の犯人が「誰でもよかった」としばしば述べるが、実際に標的にされるのは、明らかに女性や子どもが多い。つまり「誰でもよかった」は不正確で「(反撃されなそうな者なら)誰でもよかった」の方がより正確だろう。女性が女性らしい格好をすることには、理不尽な行為の標的にされやすくなるという側面がある。
そんな理由からJRが発表した新しい制服は概ね評価できるのだが、一方では、リボンやスカートも廃止はせずに選択できるようにしても良かったのでは?とも感じる。何故なら、「女性性の低い格好で働きたい」という人もいれば、逆に「女性性の高い格好で働きたい」と考える人もいるだろうからだ。
「それでは統一性がない」と言う人も居るかもしれないが、男性はパンツ/女性はスカートという形状の異なる制服であっても、デザインによって統一性は出せるのだから、女性がスカートとパンツを選べるようにしても統一性は出せるはずだ。ただ、複数のデザインの制服を用意するとなれば、少なからずコストがかかるだろうから、そんな理由でリボンやスカートが廃止になった可能性もあるとも考えられる。
1/26の投稿「女子用スラックスの高評価に感じる違和感」でも書いたように、究極的には、制服は用意するが着用義務を課さない、というのが最も多様性を尊重できる状況だと思う。しかしJRは私企業だし、制服には相応のメリットもある為、制服の着用が義務付けられること自体を否定する気はない。しかしそれでも、働く者の多用なニーズを考えれば、出来る限り多くの選択肢を残す、つまりリボンやスカートを廃止しなくても良かったのではないか?と考える。
JRの方針を全否定するつもりは全くないが、これまで女性性が高い制服があったのに今度は男性的な女性性の低い制服のみになる、ということは、「女らしさを消すこと」を押し付ける側面、極端に言えば「女性性を否定する」恐れが生じてしまうようにも思える。
トップ画像は、トイレのピクトグラム 1.0 | human pictogram 2.0 (無料 人物ピクトグラム素材 2.0) を使用した。