「まる」という世界的にも有名な猫が日本にいる。飼い主が2008年にYoutubeへ投稿した、「特訓するねこ。」という、缶ビール6缶パックの紙製ケースにダイビングするムービーで人気になった。その映像はUQ WiMAXのCMにも使用された(まる (猫) - Wikipedia)。人気は日本国内にとどまらず、アメリカのペット用品のCMでも彼の映像が用いられた。また彼の飼い主はその後もコンスタントに、彼が箱に入る動画等を中心に投稿を続け、2016年9月までに約3億2500万回再生を記録し、Youtubeで最も多く視聴された動物としてギネス世界記録に認定された。
まるに限らず箱に入りたがる猫は多く、「箱猫」で検索すると多くの画像や動画がヒットする。
英語に「Think outside of the box」 という慣用表現がある。「Think out of my box」とも言う。直訳すると、自分の箱の外を考えよう、だが、これは「先入観にとらわれてはいけない」という意味だ。つまりこの場合の私の箱とは、自分の頭の中、考え方を指している。冒頭で箱に入るのが好きな猫・まるに触れたのは、彼が箱の中に入る様子をこの慣用表現から連想したからだ。
Gigazineが「犬は生まれつき「人間の指示を理解する能力」を身に付けていることが判明」という見出しの、実験により野良犬でも人間のボディランゲージを理解する能力が非常に高いことが分かり、初対面の人間を注意深く観察し、その指示を理解できるだけの能力を犬が持っていることが分かった、という記事を掲載していた。
記事では「生まれつき」とされているが、犬が有する人間のボディランゲージを理解する能力が、先天的なものか後天的なものかを示す要素に乏しく、果たしてそれが「生まれつき」なのかどうかは怪しいが、確かに犬が人間の身振り手振り・表情等を察しているであろう、という経験は自分にもあるし、それが野良犬にもあるのなら、野良犬だって以前に人間に一切触れたことがないかどうかは分からないので、先天的とは言えないかもしれないが、犬の多くはその能力を容易に習得できる、とは言えそうだ。
この記事を読んで自分が感じたのは、「このような実験結果から分かるのは、犬は人間に従うことを幸せだと思っている」とか、「だから犬は人間に従いたがっている」という勘違いをする人がいるであろう、ということだ。何故そう感じたのかと言えば、それは2019年6/24の投稿で書いた経験からだ。
本来猫はおよそ半径100-200m程度の行動範囲の縄張りを持つ動物なのに、日本人の中には、事故に遭わないように、そして感染症防止の為にも、狭い部屋の中に閉じ込めて一切外に出さないのが猫の幸せである、言い換えれば、猫は人間と共生することを選んだのだから、猫は人間に従っていた方が幸せ、という極端な先入観を持つ人々がいて、そんな人達からの口撃に自分が晒されたからだ。多くの動物に関しては人間に飼育されるより、ありのまま、野生の状態がその種の為とされるのに、なぜ猫や犬は野良よりも閉じ込めて人間に飼われた方が幸せだと言いきれるのか不思議でならない。
この種の先入観はとても危険だ。例えば、1980年以前は、日本やそれ以外の国でも概ね、家庭に入り夫を立てることこそが女性の幸せであるとされ、その価値観から外れた女性はしばしば蔑まれたり疎まれたりしてきた。極端に言えば、結婚したら家に閉じ込めておいた方が女は幸せである、夫に有無を言わさず従わせるのが女にとって幸せであると、猫に対して人間に都合のよい偏った幸せ感を押し付けるのと同じようなことが、昭和中期まで女性に対しても同様に行われてきた。そしてその風潮は、以前と比べれば格段にマシにはなっているものの、現在でもまだまだ残っている。
1/24の投稿でも触れたように、1/22の衆院代表質問で、国民民主・玉木議員が選択的夫婦別姓に触れた際、自民党の女性議員から「それなら結婚しなくていい」というヤジが飛んだ。ヤジの主は杉田議員だと言われているが、自民党の森山国体委員長は「本人に問い合わせる予定はない」と言い、杉田氏本人も記者の取材を全く無視している(東京新聞:野党「自民・杉田水脈氏がヤジ」 夫婦別姓巡り 事実確認要求:政治(TOKYO Web))。
「選択的夫婦別姓制度 反対」で検索すると、2009年に参議院に提出された「選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願:請願の要旨:参議院」というページが出てくる。誰が提出した請願なのかも分からない、如何にもお役所的な不親切な作りだなと感じたが、この際誰が請願したかはどうでもいい。注目すべきはその反対の根拠だ。
この請願の中には次のような根拠が示されている。
夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆(きずな)の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度である求められているのは「選択的」夫婦別姓なので、同性の方が優れていると思うなら同性を選べばよいだけだ。「選択的」の意味を理解出来ていない。
日本では、夫婦同姓は、普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない家族制度である不都合を感じている人達が「別姓を選ばせて欲しい」と言っているのだから、日本では同性で何の不都合も感じない、は確実に正確でない。
通称名で旧姓使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更しても、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。サイボウズの青野氏など、具体的な問題を公表している人がおり、誤った認識である(青野慶久#戸籍名と夫婦別姓訴訟 - Wikipedia)。
この制度を導入することは、一般大衆が持つ氏や婚姻に関する習慣、社会制度自体を危うくする。中国や韓国は従来から夫婦別姓が一般的だが、社会制度が危ういと言えるか。
別姓を望む者は、家族や親族という共同体を尊重することよりも個人の嗜好(しこう)や都合を優先する思想を持っているので、この制度を導入することにより、このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。選択的夫婦別姓制度の導入により、共同体意識よりも個人的な都合を尊重する流れを社会に生み出し、一般大衆にとって、結果としてこのような社会の風潮を助長する働きをする。欧米諸国にも選択的別姓制度があるが、果たしてそのような国は、この主張のような退廃的な状況だろうか。そして個人の思考を優先するこは悪いことなのか。結局のところ、昭和中期まで女性に対し押し付けられてきた、結婚したら家に閉じ込めておいた方が女は幸せである、夫に有無を言わさず従わせるのが女にとって幸せである、のような価値観を否定するな、と言っているようにしか見えない。
家族がバラバラの姓であることは、家族の一体感を失う。子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない。夫婦別姓が一般的な中国や韓国、そして夫婦別姓を選択した諸外国の人達に対する偏見を堂々と公言していると言わざるを得ない。姓と一体感の相関性を示す資料など見たことがない。
前述のように、これは2009年に請願された内容であるが、それから11年が経過した2020年現在でも、選択的夫婦別姓制度に反対している人達が言っていることは殆ど変わっていない。 つまり、日本人の中には Can't think out of my box・先入観にとらわれずにいられず、自分勝手な偏見を、その非合理性をいくら指摘されても、まき散らすのを止めることが出来ない人がおり、そのような政治家が与党にも少なくないし、党もそれを咎めない、という状況である。
今年は東京オリンピックが開催される。1/23の投稿でも同じことを書いたが、オリンピックによって少なからず世界から日本へ注目が集まる為、このままでは日本の人権意識の低さを世界中に露呈することなりかねない。
トップ画像は、Photo by Diana Parkhouse on Unsplash を使用した。