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「ブーメランつっこみ」というレッテル貼り


 新品のエンジンオイルと蜂蜜の質感はとても良く似ている。「蜂蜜」というラベルを貼り付けたガラス製の容器に新品のエンジンオイルを入れて並べておけば、多くの人は、容器に入っているのは蜂蜜だと勘違いして手に取るだろう。これが所謂「レッテル貼り」である。ラベル/Labelは英語でレッテル/Letterはオランダ語に由来する外来語だ。但し、英語のラベルに該当するオランダ語はエイチケット/Etikettであり、本来レッテルは英語のレター、つまり日本語の「文字」を意味する。

 因みにレコード会社やそのサブブランドのことをレーベルと呼ぶが、これはレコード盤の中央に貼られたレコードレーベル/record labelが、レコード会社やブランドそれぞれのデザイン/形式であることに由来し、レコード会社やそのサブブランド自体をそう呼ぶようになったそうだ。つまりレーベルとはラベルであり、日本語におけるラベル/レーベル/レッテルは同じものを指す。
 「レッテルを貼る」とは、主観に基づいて一方的に評価・格付けしたり、分類したりする行為を示す(レッテルを貼る(レッテルヲハル)とは - コトバンク)。各辞書の説明では「一方的な評価」が強調されているが、「レッテル貼る」という表現は、主に「実態に即しているとは言い難い」一方的な評価を示すことを指すことが殆どだ。一方的な評価には「実態に即しているとは言い難い」というニュアンスが含まれているのかもしれないが、個人的にはこの部分を強調しておくべきではないか?と感じた。

 昨日の投稿で取り上げた、京都市長選における門川陣営が京都新聞に掲載した、共産党は独善的とする広告も、レッテル貼りであると指摘した。中国・武漢に端を発する新型肺炎の流行に関しても、北米や欧州各地では東アジア人=感染者かのような認識が一部で広がって問題になっているし、日本でも一部で中国人=感染者かのような認識を示す人が既に出始めている。また、同じ中国系というだけで台湾出身者が揶揄される事案もあったようだ。このような雑な括りによる偏見・差別的な認識の背景にあるのも「レッテル貼り」だ。


 昨日は他にも「レッテル貼り」の危険性を感じることがあった。それを感じたのは、ハフポスト編集長・竹下 隆一郎さんのこのツイートだ。


このツイートで引用されているのは、乙武 洋匡さんが書いた「後から「ブーメラン」と批判されることを恐れるあなたへ。|乙武 洋匡|note」である。

 まず最初に、自分は乙武さんの記事の有料部分を読んでいないことを書いておく。 無料部分では、自身が言ったことと矛盾した発言や行為に及んだことを指摘する際に「ブーメラン」という表現が使われていることや、最近の典型的「ブーメラン」の例として、2019年の参院選の際に、選挙スタッフに規定以上の報酬を支払った公選法違反の疑いで捜査を受けている河井 案里議員が、広島県議だった頃、県知事の政治資金規正法違反疑惑に対して、
政治家の出処進退ですから、私から知事に辞職してくださいとは言いません。でも、私なら、もう辞めています。なぜなら、それが政治家の良心ではないかと思うからです
と発言していたことについて書かれている。
 しかし乙武さんはこの記事に関して、


とツイートしているし、彼がリツイートした、記事を読んだ感想を述べているであろう複数のツイートから勘案すると、恐らく有料部分に書かれているのは、人は過ちも犯すし、考えも変遷するものだから、何年も前の発言を取り上げて「ブーメラン」だと指摘することは必ずしも妥当とは言えない。それは揚げ足取りにもなり得る。のようなことが書かれているのだろう。

 その推測が正しかったとして、そのような指摘はとても良く理解できる。例えば自分は、以前堀潤さんが「肯定できないツイートにもいいねしている」と言っていたことを肯定的に捉えていたが、徐々にその弊害を感じるようになり、全く肯定できなくなった。というか寧ろ否定的な見解を今は持っている(2019年5/21の投稿)。このような考え方の転換は誰にでも有り得るし、一度言いだしたら死ぬまでその考えを維持しなくてはならない、ということでは全くない。
 但し、過去に自分が示した考えについては当然責任を持つべきだし、以前はこのように言っていたのに…と指摘されたら、なぜ考えが転換したのかを説明するべきだとも思う。勿論説明する義務などないが、例えば、今まで共産党に属していた政治家が、いきなり何の説明もなく自民党へ移籍したら、有権者はどう思うだろうか。それは極端だが、例えば民主党から希望の党経由で自民党へ鞍替えした議員は数名いる。
 つまり、短期間のうちに矛盾する論を示す人・矛盾しているように見える行為に及ぶ人に対する、「以前はこう言ってたのに?」という指摘は妥当だし、同じタイミングで二重基準で論じるケース・行為に及ぶ場合も同様だ。個人的には「ブーメラン」という表現には嘲笑のニュアンスを感じる為あまり好きではないが、ブーメランは比較的新しい表現で用法が定まっていないので、ブーメランという表現が用いられる場合の全てに嘲笑が含まれているかと言えば、必ずしもそうとは言えない。ブーメランという表現が必ずしも不適切とは言い難いし、そう指摘することが必ずしも滑稽とは言い難い。

 勿論そういうことは乙武さんが書いたnoteに恐らく書かれているんだろうが、竹下さんの「ブーメランつっこみ」という表現を用いたツイートには、妥当性のある批判まで一緒に否定しかねない雑さを感じた。言い換えれば、「ブーメランつっこみ」というレッテル貼りをしているように見えた。竹下さんのツイートが全く妥当性に欠けていると指摘しているわけではなく、このツイート内容では、妥当な批判まで含めて否定しているかのような印象が感じられるので、もう少し工夫したネーミングの方が共感を得られるのでは、と指摘したい。
 以前、「べき論」という表現が少し注目されたが、自分はその時もネーミングが雑だと感じていた。「ブーメランつっこみ」同様に、妥当性のある「-すべき」という話もあれば、押し付け感が非常に強い「-すべき」という話もあるのに、「-すべき」という表現が総じて好ましくないかのようなニュアンスを感じたからだ。例えば「なぜ日本人は「べき論」を振りかざして衝突するのか | グローバル仕事人のコミュ力 澤円 | ダイヤモンド・オンライン」 という見出しはかなり雑だ。主語が「日本人は」というのも雑、「べき論を振りかざす」というのも雑だ。


 見た者の興味を惹く為にある程度表現がデフォルメされるのは仕方がないとしても、本分のニュアンスと異なる見出しで興味を惹くのはフェアとは言えないし、所謂フェイクニュースサイトやトレンドブログ的な不誠実さを感じる。「日本人は」「中国人は」「韓国人は」みたいな雑な括りでの短絡化が好ましくないのと同様に、「ブーメランつっこみ」「べき論」みたいな雑なネーミングも好ましいとは思えない。


 トップ画像は、Photo by Amelia Bartlett on Unsplash を使用した。

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