「裸の王様」はアンデルセン童話の1つである。マッチ売りの少女や人魚姫、親指姫、みにくいアヒルの子などと並んで、日本でもポピュラーな作品だ。英語では「The Emperor's New Clothes」というタイトルだそうで、直訳すると皇帝の新しい服である。裸の王様という日本語訳のタイトルは、Wikipedia の各国版をざっと見た限り、特有のタイトルのようだ。
裸の王様の話には、設定等が微妙に異なるバリエーションが複数あるようだが、大筋はこうである。
誰も逆らえない王様のところへ仕立て屋がやってきて、馬鹿には見えない布で服をつくる。しかし家来にも王様にもその服が見えない。しかし「服が見えない=馬鹿」ということになってしまうので、誰も服が見えないとは言いださない。仕立て屋も家来も「素晴らしい服だ」と言うので、王様はその服をお披露目する行進をすることにして街中へ出る。だが、集まった国民も「服が見えない=馬鹿」ということになってしまうので、誰も服が見えないとは言いださない。言いださないどころか素晴らしいと褒め称える。しかしある子どもが「王様は何も着てないじゃん」と素直に言い、周囲の者も「何も着てないよね?」「よね?」とざわつき始める。それでも王様は裸のまま行進を続ける。
何を言われても「YES」としか言わず、目上の存在が何を言おうが無批判に右へ倣えして追従する人達が引き起こすこと、周りもこう言っている・こうしているから、ということだけを根拠にそれが間違っていないと思いこむ集団心理、場の空気に飲まれてしまう人達は、時に間違った方向に進んでしまう恐れがあることなどへの教訓が、この裸の王様には詰まっている。
4/30の投稿で、5/6に期限を迎える緊急事態宣言を延長するか否かの判断を、前日に行う意向を示している首相や政府は、国民が延長/終了に対応する為の余裕を考えていないと批判した。現在は5/4に「延長の判断が決定される」と報じられているが、一体何を勿体付けているのだろうか。決定する予定という発表に一体何の意味があるのか。正式に決まってから発表するか、「決定した」と発表すればいいのにとしか思えない。まるでそば屋の出前の「今でました!」みたいだ。
緊急事態宣言延長 4日に決定、首相「1か月程度を軸に調整」|TBS NEWS
多分これは、首相や政府が「ゴールデンウイーク返上で対応に当たっています」というアピールで、だからゴールデンウイーク最中の5/4に発表したいのだろう。ギリギリまで熟考を重ねた苦渋の決断という感を演出したいのだろう。だが茶番劇感しかない。
このようなことを指摘・批判せずに、政府や首相や政府が「こう述べました」とだけ伝えるのは、最早報道でなく広報である。裸の王様の周りを固めるYESマンたちと同種の存在だ。王様が裸ならば「王様は裸だ」と伝えるのが報道の役割、ではないのか。
安倍は、緊急事態宣言を延長するかどうかは専門家の話も聞いて決める、のようなことを先週の国会審議の中で言っていた。昨日はその話を聞いて決めるという、政府による専門家会議も行われた。
政府専門家会議「厳しい行動制限必要 長期の対応を」|TBS NEWS
朝日新聞の記事「「緩和すれば努力が水の泡」 専門家会議、提言を公表へ [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル」には、この会議の後の会見の内容が書かれている。朝日新聞の無料記事としては相応の長さのある記事だが、結局大したことは何も言ってない。既に今まである話をなぞっているだけだ。厳しく言えば、何も言っていないにも等しい。
しかしそれ以上に自分が気になったのは、TBSの記事にあるこれだ。
政府の専門家会議は今の状況を、
辛うじてオーバーシュートを逃れ減少傾向に転じているとしたそうだ。 そもそも、このオーバーシュートという表現は、アルファベットに直して検索しても海外の記事が一切ヒットしない。なぜ国外で使われていない和製英語同然の表現をわざわざ使うのか。感染爆発とか深刻な感染拡大という表現の方が間違いなく多くの日本人に伝わる筈だ。
また現政権は、昨年・2019年1月に景気後退が数字上でも明らかになったにも関わらず、ずっと「戦後最長の景気回復」「緩やかに回復している」と言い続け(2019年1/30の投稿)、そして2019年10月の10%への消費税増税によって、明らかに景気への悪影響がでたことが11月には明白になったのに、増税の悪影響を認めず、相変わらず「緩やかに回復」と言い続けた(景気判断、2カ月ぶり引き下げ 「緩やかに回復」は維持:朝日新聞デジタル)。
そんな実態に即さない、都合の悪い数字を無視した、自分達に都合のよい景気判断を示し、「景気は緩やかに回復」と言い続けた政府の、「減少傾向に転じている」なんて話を一体誰が信用するのか。しかも現在日本は、国外から圧倒的に少ないPCR検査件数を不信がられている状況にもあるので尚更だ。
日本の新型ウイルス検査、少なさに疑問の声 - BBCニュース
日本で起きていることを理解したがっている人にとってより不可解なのは、なぜ新型コロナウイルスの感染症COVID-19の検査がこれほど少ないのかだ。
ドイツや韓国と比べたとき、日本の検査件数は0を1つ付け忘れているようにみえる。
日本の感染流行の中心地、人口約930万人の東京23区をみてみよう。2月以降、COVID-19の検査を受けた人は1万981人しかいない。うち4000人強が陽性だった。
この結果は、検査人数の少なさと、陽性の割合の高さの両方において際立っている。
日本の編集部もあるが、一応外資系Webメディアのハフポストまでが、こんな記事を掲載している。
PCR検査を絞っているのに、なぜ「新規感染者が減っている」と言えるのか?専門家会議が答えた。 | ハフポスト
見出しに「専門家会議が答えた」とあるが、果たしてその見出しは妥当だろうか。確かに質問がなされ、それに対して何か言っているのは間違いない。だが妥当な回答がなされている、つまり「答えている」とは到底思えない。
専門家会議の尾身茂・副座長は、PCR検査を絞っているにも関わらず新規感染者が減少していると断定する理由について解説した。これを「答えた」と表現するのは果たして妥当だろうか。自分にはそうは思えない。これではやはり、報道ではなく単なる専門家会議の広報でしかない。
尾身副座長は日本の検査の現状について、「医師が必要と判断した場合および、濃厚接触者を中心にやってきたため、我々は感染の実態の一部しか把握していないのは当然だ」とした。
今、日本のメディアはかなり裸の王様の周りを固めるYESマンに成り下がっている。厳密に言えば、YESともNOとも言っていない、単にありのままを伝えただけ、とも言えるかもしれないが、それは、裸の王様を見ても裸だと指摘せずに、何も着ていない王様の映像を映しながら、「王様は馬鹿には見えない素晴らしい服を手に入れたと言っています」と伝えるようなものだ。果たしてそれは妥当な報道と言えるだろうか。王様が裸ならば、「王様はどう見ても裸です」と伝えるのが報道の役割ではないのか。
裸の王様の国同様、今の日本には「王様は何も着ていないじゃないか!」と言える人やメディアが、他国・他地域に比べてかなり少ない。それでは国が没落するのも当然である。
トップ画像は、File:Alasti keiser, Edward von Lõnguse töö Tartus.JPG - Wikimedia Commons を加工して使用した。