スキップしてメイン コンテンツに移動
 

実態を伴わない景気回復を「戦後最長」と誇る政府とNHK


 NHKは「景気回復「戦後最長」の可能性高まる」と1/29の午前に報じた。この報道は、1/29に政府が「景気は緩やかに回復している」という見解を示した事が根拠になっている。今年・2019年元旦の投稿でも書いたように、個人的にNHKの報道に対して不信感を抱いている。今回のこの報道でも「NHKは報道機関ではなく最早政府広報機関に成り下がった」という認識を再確認した。何故そう思うのかと言えば、過去の代表的な好景気と比べれば一目瞭然だ。


これは、1965年から1970年のいざなぎ景気、1986年から1991年のバブル景気時のGDP成長率を、NHKが「戦後最長」と報じる今回の景気回復・2012年以降のそれと比較したグラブだ。いざなぎ景気の頃は高度経済成長期にあり、元となる日本経済が成熟していたとは言えず、成長率が現在よりも高いのは当然と言えば当然だ。しかし安定成長期の最終盤だったバブル景気と比べても明らかに伸び率は低調で、こんな状況なのに「最長」ばかりを強調されると「NHKは政府に忖度し、アベノミクス効果を演出したいんだな」としか思えない。


 つまり、このNHK報道が掲げた見出し・記事での見解は最早社交辞令レベルの殆ど意味をなさない内容なのではないか。しかも、1.27の投稿で書いた毎月勤労統計の不正、その不正に関する全く出鱈目な調査が行われ、その結果を厚労大臣が発表したが、不備を指摘され再調査に追い込まれるという体たらくな状況を勘案すれば、この2012年以降の、1%前後のGDP成長率も政府の発表に基づく数値なので、正しい数値かどうか怪しい。中国のそれ同様に、既に手放しで信用出来るものではなくなっている。
 もしこの数値が正しかったとしても、成長しているのか・回復しているのかも定かでない誤差程度の数値が続いていることだけを強調し、「戦後最長の景気回復」なんて見出しを掲げるという行為は、勤労統計の不正やその後の杜撰な調査と同様、都合のよい部分だけを過剰に強調したいという意図が滲み出ている。つまりNHKのこの報道は毎月勤労統計の不正と似たりよったりだと考える。
 NHKは視聴者の受信料で運営されているにも関わらず、アーカイブ性・視聴者の利便性を勘案せずに、かなり早い段階で記事をどんどん削除していくので、当該記事のスクリーンショットを掲載しておく。


 この件に関する他のメディアの報道は軒並み懐疑的だ。比較的政府の経済政策に対して賛同する立場の記事を掲載することの多い日経新聞でも、NHKが当該記事を掲載したタイミングでの初報「景気回復「戦後最長の可能性」 1月の月例経済報告」で、
 過去と比べると、今回の景気回復期は成長率が低い。年平均の実質国内総生産(GDP)成長率は1.2%。08年まで続いた景気回復期は1.6%で、65~70年のいざなぎ景気は11.5%だった。「実感なき景気回復」との声もある。
 先行きは決して明るくない。
という表現を使用している。しかしNHKの当該記事にはそのような表現が一切ない。

 NHKも各社の懐疑的な論調やSNS上の反応を加味したのか、同日の午後5時台に「景気回復 なぜ実感ないのか?」という記事を公開している。ただ、前述のように初報にそのような表現が一切なかったのは事実で、NHKが慌ててこのような記事を追加で公開しても(勿論「慌てて」は個人的な評価)、個人的なNHK報道への不信感が払しょくされることもない。この投稿を書いている時点では、以下のスクリーンショットからも分かるように初報よりも後者の記事の方が読まれている。後者の方が後から公開された記事という面もあるが、初報の見出し・内容が視聴者の実感とかけ離れているから、後者の方が読まれているという側面もありそうだ。


 1/27の投稿「勤労統計の不正の深刻さ」や、2018年12/29の投稿「政府・政権・行政機関・政治が信頼を失うと一体どんなことが起きるか」でも書いたが、個人と同様に政府や報道機関も、信頼を失うの一瞬だが、新たに信頼を築くにはそれなりの時間とコストがかかる
 ここでは詳しい例は割愛するが、これまでの政府や首相の嘘・隠蔽・改ざん・捏造を見てきたので、勤労統計の不正に関する調査がいい加減・杜撰・恣意的だったことに大きな驚きはない。NHK報道も同様で、前述した元旦の投稿で触れた、大晦日の不自然な速報だけでなく、2018年12/1の投稿でまとめたように、これまでのいくつかの案件を勘案すればNHKが「景気回復「戦後最長」の可能性高まる」という記事を掲載したのも「またか」程度で驚きはなかった。

 恣意的な解釈に基づく報道をするのは決してNHKに限ったことではない。テニス全豪オープンで優勝した大坂 なおみ選手や、錦織 圭選手をスポンサードする日清食品が公開したアニメCMで、大坂選手の肌の色が明らかに実際の彼女のそれより白く描かれていた事に関して、一部から所謂ホワイトウォッシュの懸念を示され、日清食品がCMを取り下げるという事案が発生した。これについての大坂選手の英語コメントに関して、時事通信や朝日新聞、Yahooなどが明らかに正反対の内容の和訳を掲載し、3社とも訂正・お詫びをするという事態に至った(ハフポストの記事BuzzFeed Japanの記事)。
 個人的には、この件は当本人の大坂選手が問題視しないようであれば差別的とは言えないと考える。ただ一方で、欧米でのこれまでの人種間の問題を勘案すれば、違和感を感じる人達の見解を全否定することも出来ないだろう。しかし、そのような背景に馴染みのない者も多い日本人には、「一体何が問題なの?」と感じている人も多いようで、報道している人達にも「何が問題なの?」という思いが強すぎて、その思いに都合よく解釈している人が相応にいたのだろう。だからこんな正反対の誤訳が記事化されたのだろうと考える。

 政府だけでなくメディアまで恣意的な解釈・言い換え、場合によっては捏造のようなことを始めれば、間違いなく社会は混乱に陥る。今はまだそこまで深刻な状況ではないが、日本が太平洋戦争に向かった背景には確実にそのような風潮があった筈だ。そんな状況だけは何としても食い止めなくてはならない。深刻な状況に陥ってからでは手遅れで、深刻ではない今の内に相応の対処を始める必要が確実にある。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

インターミッション・途中休憩

  インターミッション/Intermission とは、上映時間の長い映画の途中に制作者が設ける「途中休憩」のことだ。1974年公開の「ゴッドファーザー2」も3時間20分の上映時間で、2時間を超えたあたりにインターミッションがある。  自分がインターミッションの存在を知ったのは、映画ではなく漫画でだった。通常漫画は1つの巻の中も数話に区切られているし、トイレ休憩が必要なわけでもないし、インターミッションを設定する必要はない。読んだ漫画の中でインターミッションが取り上げられていたので知った、というわけでもない。自分が初めてインターミッションを知ったのは、機動警察パトレイバーの3巻に収録されている話の、「閑話休題」と書いて「いんたーみっしょん」と読ませるタイトルだった。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。