プロバスケットボール・NBAに、サンフランシスコに拠点を置くゴールデンステートウォリアーズがある(ゴールデンステート・ウォリアーズ - Wikipedia)。2018-19シーズンまでは、同じくカリフォルニア州のオークランドを拠点にしていた。ゴールデンステートとは、1800年代中盤に起こったゴールドラッシュに因んだ、カリフォルニア州の俗称である。
同チームは以前にもサンフランシスコを拠点にしていたことがあって、1972年にサンフランシスコからオークランド拠点を移した際に、名称をサンフランシスコ ウォリアーズからゴールデンステート ウォリアーズに改めている。詳細は調べていないが、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次ぐ米国第4の都市サンフランシスコから、カリフォルニア州を代表する都市ではあるが、サンフランシスコの半分程度の規模のオークランドへ拠点を移す際に、サンフランシスコとオークランドが約15km程度しか離れていないこともあって、どちらかの都市代表ではなくカリフォルニア州のチームとアピールすることで、サンフランシスコ市民をファンとして維持したい、そして他の周辺自治体の市民もファンとして取り込みたいという思惑があって、ゴールデンステートを名乗ったのだろう。
因みに、同じくサンフランシスコを拠点とする、アメリカンフットボール・NFLのチーム・49ersの名称も、1849年にゴールドラッシュ初期の採掘者らがカリフォニアに向かったことから、49年世代/49年組のようなニュアンスで「フォーティナイナーズ」と呼ばれたことに由来する。
現在ウォリアーズは間違いなくNBA強豪チームの筆頭だが、ウォリアーズは1974-75シーズンに優勝してから長い間パッとしないチームだった。NBAのドラフトの仕組みは成績の悪いチームに圧倒的に有利な方式なので、ずっと低迷しっぱなしということはなかったが、優勝した翌年の1975-76年シーズンから2011-12シーズンの36年間で、プレーオフ進出はたったの7回しかない。
現在の躍進のきっかけは、2009年にドラフト7位で・ステフィン カリー選手を獲得したことだろう(ステフィン・カリー - Wikipedia)。彼の加入から4年後の2012-13シーズンにプレーオフ進出して以来、昨シーズン(2018-19)まで毎年プレーオフ進出を果たしている。しかも、2014-15シーズン以降は5シーズン続けてNBAファイナルまで勝ち上がっており、2014-15シーズン、2016-17/2017-18シーズンの連覇と、3回も優勝している。長い間パッとしないチームだったウォリアーズは、この10年で優勝候補筆頭の地位を築いた。
ウォリアーズが40年ぶりの優勝を果たした2014-15シーズンは、現在も同チームのヘッドコーチを務めるスティーブ カーが就任した年だった(スティーブ カー - Wikipedia)。
スティーブ カーは、1990年代のマイケル ジョーダンを擁したシカゴ ブルズで活躍した選手だ。ブルズがマイケル ジョーダンを獲得したのは1984年だが、1989年にフィル ジャクソンがヘッドコーチに就任するまでは、90年代常勝期の同チームで重要な役割を果たした、ホーレス グラントやスコッティ ピッペンなどが1987年に加入はしていたし、ジョーダン加入以降はコンスタントにプレーオフへ進出してはいたものの、ジョーダンのワンマンチームという印象で、優勝を期待されるチームとは言い難かった。だが、1989年にフィル ジャクソンがブルズのヘッドコーチに就任し、ジョーダンら主要な選手だけでなく、10番手以降の選手も上手く機能させた結果、彼がヘッドコーチを務めた1998年までの間に、ブルズは3連覇を2回、計6度もの優勝を果たした。
そんなカーの選手時代の経験もあったからか、スティーブ カーが就任した2014-15シーズンのプレーオフ進出時にウォリアーズは、
Strength in Numbersというスローガンを掲げた。
Strength in Numbers は直訳すると「数による強さ」で、つまり「全員で戦うことがチームを強くする」とか「チーム一丸」のような意味だ。前述の通り、このスローガンの下でウォリアーズは40年ぶりの優勝を果たし、そこから現在までその強さは衰えていない。40年もの間パッとしなかったのに、そのスローガンを掲げてから常勝チームであり続けているウォリアーズは、チーム総合力の重要さ、たとえチームの中核を担う選手ではなくとも、各個人が自分の役割を意識して果たすことの重要さを示している。
またこのスローガンは、同チームのファンにも「皆がチームの一員である」という意識を喚起し、ファン一人ひとりが応援することもチームの力になる、というような空気も作り上げている。
Strength in Numbers | Golden State Warriors
現在アメリカでは #BlackLivesMatter という、黒人の権利を軽視するな、黒人のみならずあらゆる人種民族差別、というか人種民族差別に限らないあらゆる差別や偏見に対する反対を示すムーブメントが盛り上がっている。だが、現在の米国大統領・トランプは、このような動きを快く思っていないことが、彼のSNSや公の場での主張から強く窺える。
トランプの前の大統領はバラク オバマで、米国初の黒人、というか有色人種としても初めての大統領だった。時事通信は6/8に、
トランプ氏、黒人票に恐々 投票率上昇で勝敗左右も―米大統領選:時事ドットコム
という記事を掲載している。このグラフからも分かるように、黒人初の米大統領・オバマが当選した背景には、黒人の高い投票率があったのだそうだ。また記事によると、米国の人口に占める黒人の割合は13%程度だが、トランプ不支持9割近くにも達するとのことで、黒人の投票率は今年・2020年11月の大統領選挙の結果にも大きく影響する、と予想されている。
米国の投票率も決して高いとは言えないが日本の投票率は更に低い。なぜ日本では投票に行かない人、というか政治への関心が低い人が多いのだろうか。それは、自己主張は極力控え、長い物には巻かれろという風潮が強く、1960年代の学生運動の結果、1980年代の汚職の蔓延、その影響によって1993年に自民党による55年体制が崩壊しても、そして2009年に民主党政権となっても、期待したような結果に繋がらなかったことで、「政治など誰がやっても同じ」という風潮も強まっており、「自分が票を投じたところで何も変わらない」という意識が有権者の間に根深く広まっているからだろう。
だが、本当に「自分が票を投じたところで何も変わらない」のだろうか。前述の通り、米国では黒人の投票率が上がった結果、初の黒人大統領が誕生した。また、先月は日本でも #検察庁法改正案に抗議します / #週明けの強行採決に反対します というムーブメントがSNS上を中心に起こり、その結果政府と与党は強行採決を見合わせ、更には、その法案の発端でもあった検事長の賭け麻雀という不祥事もあって、同法案は廃案に追い込まれた。
結局は黒川氏のためだった? 検察庁法改正案が廃案に:東京新聞 TOKYO Web
現在、東京では都知事選が行われている。毎日新聞は現都知事の優勢を伝えているが(「都知事にふさわしいのは」小池氏51%、宇都宮氏10% 毎日新聞全国世論調査 - 毎日新聞)、記事には
あくまで全国調査の結果であり、都知事選の情勢には直結しないとある。こんな報道を選挙期間中にすべきか、という疑問もある。だが、都民ではなくても、公約達成ゼロの現都知事を妥当とする理由はどこにあるのだろう。この調査に、フジ産経の調査のような不正がないのであれば(フジ・産経の世論調査で不正 委託会社が14回架空データ入力:時事ドットコム)、小池氏が都知事に相応しいとした51%の人が何故そう回答したのか、全く理解に苦しむ。
今回の都知事選に限った話ではないが、「政治など誰がやっても同じ」「自分が票を投じたところで何も変わらない」という考えが正しくないことは、この投稿で挙げたいくつかの例からも明らかだ。
自分の大嫌いな政治家の1人に、自民党現幹事長である二階という爺さんがいる。二階は、大先輩だった田中 角栄の「数は力」という言葉を信奉しているそうだが、自分が二階を嫌いな理由はそこにある。「理がどうだろうが数の力で強引に押し切れる」と言っているようにしか聞こえないし、数でゴリ押しするというのは少数派の軽視でもあり、間違いなく民主主義に反する。民主主義は単なる数合わせ、多数決では決してない。
だが、ウォリアーズが掲げたような意味での、一人ひとりが他人事にせずに個々の役割を果たすことで生じる「数の強さ」は間違いなくある。有権者一人ひとりがそれぞれの役割を果たすこと、つまり政治に関心をもち、妥当な政治家を選ぶことで、その意味での「数の強さ」は成り立つ。
5/11の投稿でも触れたように、
スラムダンク・安斎先生も、
あきらめたら そこで試合終了だよと言っている。
政治を諦めたらそこに生じるのは社会の劣化だ。停滞ではなく間違いなく劣化である。有権者の中には相応の影響力を持つ者もいるが、確かに一般的な有権者一人ひとりの力は決して大きくない。だが、1本1本は細くて容易に切ることが出来る繊維でも、束ねれば簡単に切ることは出来なくなる。1本1本は大した長さでない繊維でも、束ね合わせて紡げば長い糸になる。そういうことを意識しないと、ウォリアーズのように強い力を生み出すことは出来ない。