「体を見せ物にしながらフェミニストを名乗るのはおかしい」という非難が、上半身にボレロだけを羽織り、胸の谷間を露わにした写真をインタビュー記事で披露したエマ ワトソンさんに浴びせられたのは2017年のことだった。フェミニズムとは女性解放思想と翻訳されるが、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動のことである(フェミニズム - Wikipedia)。
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率直に言って、自分がしたいファッションを身に纏うことはその人がフェミニストか否かとは無関係であり、「体を見せ物にしながらフェミニストを名乗るのはおかしい」という非難はハッキリ言って馬鹿げている。そもそも、体を見世物にしている、というのは、胸が露わになっていようがいなかろうが芸能人のような活動全般に言える。なのにこのようなケースにだけそのような批判をするのは滑稽だ。また概ね、男性の上半身はわいせつではないが女性の上半身はわいせつだ、という価値観に基づく批判だろうから、それこそ”女性解放”や男女同権の精神に反する主張だろう。
またヌードになる女性やセックスワーカーの女性に対しても同様の非難が見られるが、全ての女性が無理矢理そのようなことをやらされているわけではなく、自分の意思でその選択をしている女性もいるのに、あたかも全ての女性が無理矢理やらされているかのように主張したり、そのような女性を卑しいと揶揄するのも、女性解放や女性の権利向上の精神に反するとしか言えない。
あれから3年以上経つのに、また同じ様な話が話題に上っている。フィンランドのファッション誌「トレンディ」に掲載された、フィンランド歴代最年少の首相かつ3人目の女性首相であるサンナ マリン氏(フィンランドで34歳の女性首相、サンナ・マリン氏が就任へ。女性は歴代3人目 | ハフポスト)の写真をめぐり、「胸元が大きく開いた服装は首相の立場として不適切」との批判が上がっている。だが一方で「ファッションを選ぶのは本人の自由」「女性の政治家にだけ服装を不適切と言うのは性差別」などの意見もある。
シャツ無しブレザー1枚。フィンランド首相、ファッション誌の写真が「不適切」などと論争に | ハフポスト
この件は「首相らしい振舞いか」という観点で論じられているが、広義で言えば一部の人が求めているのは「政治家らしさ」だろう。では一体政治家らしさとは何か。
政治家らしさに限らず、○○らしさというのは、自分で考えるものであって他者が押し付けるものではない。例えば日本の中だけでしか通用しない○○らしさや常識なんて腐る程ある。そういうものに縛られたい人が自らを縛る自由はあっても、他人を縛る権利は誰にもない。例えば、タレントの紅蘭さんが9/21にインスタグラムへ、
最近よく「母親らしい格好しろよ」とDMやコメントを頂きます。
そもそも「母親らしい格好」とは
なんなのか、、、
どの様な服装なのか?
誰が決めたモノなのか?
母親になったら着たい服が着れないのでしょうか?
母親になると胸元が見える服は着てはいけないのでしょうか?
どなたの考えがそのような多くの方の考えに行き着いたのでしょうか?
好きな格好をして自分らしくオシャレすることはとてもカッコいいことだと私は思います。
母親像って言うのはどんなものなんでしょうか?
胸元が開いてる服は好きですし
胸が開いてるだけじゃなく
トップレスでドレスとかとっても綺麗で好きです。
娘とディナーに行くときはドレスアップしますし、公園行くときはボーイッシュですし
仕事のときはシャツですし、その時その場面に合わせて好きな服を選ぶのが好きです。
これが私です!
と投稿していたが全くその通りで、誰がどんな格好をしようがそれはその人の自由であり、誰かが○○らしくない、などと価値観を押し付けるのは、厳しく言えば権利の侵害にすら当たると言えそうだ(紅蘭、“母親らしい格好”を求める意見に苦言 「母親になると胸元が見える服は着てはいけない?」 (1/2) - ねとらぼ)。
他人に押し付けられる男らしさ、女らしさ、大人に押し付けられる学生らしさ。上司や親などに押し付けられる社会人らしさ。結局○○らしさを押し付ける人というのは、マウントしたい、支配したい欲求を発露しているとしか自分には思えない。
但し例えば、多くの人が行きかう街中を素っ裸で出歩くことは公序良俗に反する、という話も理解はできる。そのような価値観に照らし合わせてみれば、フィンランド首相のサンナ マリン氏が、批判の的になっているファッションで議会や政治の舞台に立てば、相応しくない、公序良俗に反する、と批判する人がいてもある程度理解はできる。
だが彼女が批判の的になったファッションを披露したのは政治の舞台ではない。議会や外交にその格好で臨んだわけではなく、あくまでもファッション誌の紙面を飾っただけだ。もしファッション誌でそのような格好を披露することが不適切なのだとしたら、モデル出身の女性は政治家になれないということになりはしないか。若しくは政治家になるならそれと引き換えにその種の活動を一切控えなければならないということか。
もし彼女がファッション誌の紙面を飾るような活動ばかりに終始しており、政治家としての本分が全く疎かになっているのなら、そのような批判が浴びせられるのも理解はできる。政府が新型コロナウイルスの対処をしている時期に、国のリーダーがファッション誌の表紙を飾ったとして「首相の時間の無駄」などと否定的な意見が上がった、という話もあるようだが、当該記事の内容はマリン氏が仕事と家庭生活のバランスを取ることの難しさなどについて語る内容だったそうで、若い女性の首相が気に入らない人達が無理矢理持ち出した批判の根拠という感がある。
ハフポストの記事を書いた國崎 万智さんは、このように記事を紹介するツイートをしている。
#imwithsanna が広がっているのは、ファッションなどの自己表現で、価値観を押し付けられて苦しんだ経験のある人が多くいることの現れだと感じる。
— 國崎万智/ハフポスト (@machiruda0702) October 19, 2020
「女性が何を着るべきかを他人が指示するのはやめよう」。これは本当にその通り。「らしさ」の強制は、もうやめようhttps://t.co/S6aAtEqpkw
このツイートには、どうしようもなく短絡的で攻撃的なリプライが多く寄せられており、最早人間性の低さ披露選手権の様相を呈している。中でも目に付くのは、2019年の秋に、日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターの図柄が、不自然/不必要に大きな胸を強調していると批判された件(2019年11/6の投稿 / 2020年2/15の投稿)を持ち出した「アレはダメなのにこれはいいのか」という主張だ。
赤十字ポスターの件はあまりにも不自然な手法で大きな胸が強調されていたこと、それが用いられたのが献血を呼びかけるポスターだったことで批判を浴びた。しかしこの件は成人している女性が自らの意思で自分がしたいファッションを、しかもファッション誌で披露しているものであり、同列に語るのはあまりにも無理がある。ハッキリ言ってこじつけ以外の何ものでもない。
だがハフポストの姿勢にも気になる部分はある。自分はこの投稿で書いてきたように、価値観の押し付け反対という同記事や國崎さんの主張には全く同意するが、ハフポストが同じタイミングで、
ビジネスカジュアル、何を着れば?⇒「洋服の青山」の表が分かりやすい【画像】 | ハフポスト LIFE
という、ファッションに関してこれがフォーマル/カジュアルである、という価値観を押し付けるような記事を掲載しているのには少し矛盾を感じる。そのような受け止め方は少し過剰な反応かもしれないが、テレワークなんて家でするものなんだから、部屋着でも全然構わないはずなのに、なぜ「こんな服装が向いている」なんて言われなくてはならないのか、という感がある。ある基準を示した記事と受け止めれば、そんなに問題性はないのかもしれないが、このような記事などが「これが最低限のマナー」的な風潮を高め、それがフィンランド首相のファッションが「首相としての最低限のマナーに欠けている」というような批判につながる部分が少なからずあるのではないだろうか。