Above the law という表現がある。読んで字のごとく法を超越した(存在)という意味だ。「刑事ニコ/法の死角」という邦題で公開された、1988年に公開されたスティーブン セガール主演の映画も、原題は Above the law だった。刑事ニコには、ベトナムで行われるCIAによる人道無視の拷問や、シカゴ市警の刑事としてニコが逮捕した密売人が、 証人保護プログラム適用者だとしてFBIによって釈放されるなど、Above the law の要素が複数組み込まれていた。
10/26、首相の菅がNHK夜9時のニュース番組・ニュースウオッチ9に出演して次のように述べた。
(日本学術会議の会員推薦は)民間出身者や若手研究者、或いは地方の会員、そうした人達も選任される多様性というのが大事だと思っている。
(最終的には選考委員会が推薦する仕組みだが)現在の会員が後任を推薦できる、そういう可能性がある仕組みになっている。で結果的に、(会員が)一部の大学に偏っている。
こうしたことを考えて、推薦された人をそのまま、前例を踏襲して任命していいのかどうか。迷った結果として、今回このような(6名を任命しないという)対応をした。
(日本学術会議は)各分野の英知を集めた団体だから、国民に理解をされる学術会議であることが大事ということ。
まず「国民に理解をされる学術会議であることが大事ということ」という話についてだが、10/22の投稿でも指摘したように、総合的・俯瞰的と繰り返すばかりの菅の説明について、共同通信の調査では72%超が説明は不十分だと回答している。掲載したNHKのニュース番組でも、菅の説明について「納得できない」との回答が47%と「納得できる」の38%を上回ったという、NHKの世論調査結果を紹介している。これを「自分のことを棚に上げる」と言わずして何と言おうか。
「学術会議の会員は多様であるべきだが、現在は年齢や所属する組織等に偏りがある。だから当該6名の任命を拒否した」という話も詭弁だ。詭弁と呼ぶにも及ばないくらい稚拙で合理性に欠けている。
会員の推薦について、日本学術会議法17条にこう定められている。
日本学術会議法 - 関連法規集|日本学術会議
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
つまり法律によって、会員の推薦は「優れた研究又は業績がある科学者」から行うこと、とされている。年齢や所属機関などの要素を勘案しなくてはならない、という規定はどこにもない。ということは、研究とその実績こそが会員推薦の唯一の基準ということだ。
2018年に、東京医科大などが入試で女子や浪人生などの受験者に対して一律減点を行っていた、ということが発覚して大きな波紋を呼んだ(2018年8/5の投稿)。受験とは原則的に試験の成績のみで選抜を行うのが公平なのに、東京医科大やその擁護者は「試験の成績のみの選考だと女子学生が多くなるので、バランスを取る為にそのような処置をした」のような主張をした。もしそのようなバランス取りをするにしても、することを公表しなければ不公平であるにもかかわらず、秘密裡にそのようなことをしていたのに、だ。
入学試験は学業と成績のみにおいて選抜するべきである、ということに異論がある人は少ないだろう。入試では、裕福でも貧しくても、若かろうが年寄りだろうが、そんな要素は勘案せずに成績だけで選抜を行うのが公平であることに疑いの余地はない。つまり性の多様性や出身地の多様性など加味する必要はない、と言うよりも、そのような要素を加味して選抜すること、しかもそれを公表せずに行うことは、寧ろ不公平/不公正と言っても過言ではない。
学術会議法で「優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し」とだけ規定しているのだから、学術会議会員の推薦も、大学入試同様に年齢や出身地や出身校、所属機関などの要素を勘案する必要はない、寧ろ勘案してはいけないのだ。それをすることは寧ろ不公平/不公正を生む。そのような点で菅の主張は妥当性を著しく欠いている。
付け加えれば菅は、任命されなかった6人が掲載されていた105人分の名簿を「見ていない」とも言っている。9/28に任命を決裁する直前に、6人が除外された後の99人分の名簿を見ただけだと説明している。
菅首相「名簿見ていない」発言の矛盾 6人除外いつ誰が:朝日新聞デジタル
全員分の名簿すら見ていないのに、菅はどうやって「一部の大学に会員が偏っているので、6名の推薦除外が妥当」と判断したのだろうか。言っていることが支離滅裂・しっちゃかめっちゃかとしか言いようがない。そもそも、現在自民党の公認候補は9:1と著しく男性に偏っていて女性が圧倒的に少ないし、国会議員全体で見ても高齢者男性に偏っているのが現状なのだが、与党である自民党の総裁でもある者が、一体どの口で「偏っている」などと言っているのか。
「学術会議の会員は多様であるべきだが、現在は年齢や所属する組織等に偏りがある。だから当該6名の任命を拒否した」という説明は、前述のように日本学術会議法の規定に沿わない。ということは、菅が言っているのは法の軽視、若しくは無視である。
菅のみならず政権と与党の関係者と擁護者が、この問題が取り沙汰され始めてから、改革と称して「日本学術会議の在り方を見直すべきだ」という主張を始めた。しかし菅の任命拒否は法の軽視又は無視である。また菅は「前例を踏襲して任命していいのかどうか迷い、任命を拒否した」とも言っているが、法を遵守することは法治国家における大前提であり、法が現状と乖離しているのなら、まずは国会で審議して法を改めることからしなければならない。
原付の速度制限が一律30km/hであることは、現在の交通事情に即しておらず場合によっては危険すら誘発していると自分は考えている。これまでの前例を踏襲せずに一律30km/hの速度制限を法を改正して改めるべきだとも考えている。しかし、原付の速度制限が現状に即していなかったとしても、法改正を待たずに「俺は30km/h以上で走るよ」というのは許されない。交通取り締まりの警察官は有無を言わさず反則切符を切る。それを無視すれば免許停止/取消処分が科され、それでも無視して運転を続ければ逮捕され、刑事裁判にかけられ最悪刑務所行きになるだろう。そのような法の無視を改革と言い張れば、世間一般では笑われるだけ、詭弁と一蹴されるだけだ。
菅が日本学術会議法を改正せずに任命基準にまつわる解釈を勝手に変えることは、法治の軽視であり、前段で言うところの「原付に一律30km/hという速度制限があるにも関わらず、法を無視してそれを守らない者」と同じだ。首相という権力者が法に従わないなら、それは独裁も同然である。改革と称して法の軽視や法を形骸化させようとする行為は、不誠実どころか詐術と言っても過言ではない。
だから今日のトップ画像には「Prime Minister is not above the law / 総理大臣(や行政)は法を免れる・法を超越した存在ではない」と書いた。
冒頭に載せたニュースウォッチ9の動画は、日本学術会議の任命問題の部分だけに限定したが、一応記録として、菅の出演部分の全てを2つに分けて掲載しておく。NHKのアナウンサーらは一応指摘はしていると言えるのもの、全く追求が甘く、菅が矛盾に満ちた主張をしても繰り返し指摘する姿勢に著しく欠けている。