ざるとは、竹の薄片やプラスチックなどで編んで、円く、くぼんだ形につくった器のことである。特許庁の文書では「食品や食器などの水気を切るのに用いる線状のものを編んだ構造もしくは底部に穴が開けられた構造になっている容器」となっている(ざる - Wikipedia)。ざるの用途にも色々あるが、ここではザルの篩(ふるい)としての側面に注目する。
特許庁の文書にも「水気を切るのに」とあり、その機能を果たすには水は通すが他のものは通さない目の細かさ(粗さ)が必要で、例えばコーヒーをドリップする際に用いるフィルターも広義のザルである。ザルは、余計なものをそぎ落とし必要なものを抽出する際に用いる器具だ。
ザルにまつわる慣用表現に「笊(ざる)に水」というのがある。これは「籠で水を汲む」や「味噌漉しで水を掬う」という表現と同じ意味で、ザルや籠、味噌漉しで水をすくっても全然すくえないことから、効果が全然ないこと、骨折り損を意味する。同じような用法で、いくら酒を飲んでも酔っぱらわない大酒呑みのことを俗にざると言うし、簡単に侵入することが出来てしまうようなずぼらな警備状態もざると言ったりする。また抜け穴が多く目的を為さない法などをザル法と言ったりもする。
但しトップ画像で示した2つのザルのように、目の粗いざるもあれば細かいザルもある。トップ画像のザルではどちらでも通してしまうコーヒー豆の粉末と液体を分離するのに使うコーヒードリップに用いるフィルターなどは、肉眼では目を認識するのが大変な程細かい。ザルにまつわる慣用表現で想定されているのは、対象に対して目の粗すぎる用をなさないザルだ。
ファクトチェック・イニシアティブ理事で現在は Google News Lab Teaching Fellow も務める古田 大輔さんがこんなツイートをしていた。
「メディアが悪い」という大雑把な批判には4つの問題がある。
— 古田大輔 (@masurakusuo) November 9, 2020
・どこが悪いか分からず改善に繋がらない
・頑張っているメディアにとってダメージ
・本当に悪いメディアには全くダメージがない
・情報エコシステム全体の信頼を落としてカオスになる
批判するなら、個別具体的に。それこそ改善への道。
確かに、メディアが悪いという批判は大雑把だ。自分も数年前は概ねそのように認識していた。だが今は、古田さんが挙げた4つの問題も非常に大雑把で雑だと言わざるを得ない。もしこんな認識が今日本のメディア関係者の大半を占めているなら、状況はかなり深刻だ。
テレビ番組で演者が「私テレビ見ない、とか言う人ってなんなの?何をアピールしたいの?」みたいなことを言う場面にしばしば出くわすが、あれ程滑稽なものはない。単に興味がないから見ない、面白くないから見ない、信用出来ないから見ないことだって当然あるだろうに、何故かテレビはみんなが見るもの、見るのが当然、という認識を前提にしているようにしか聞こえないからだ。テレビに出演する人の多くは、テレビ出演に憧れ何かしらの努力の末にそれを果たした人達だろうから、テレビがつまらない、と言われることを不服に感じるのは当然かもしれない。でも誰もが同じ認識で当然というのは傲慢だ。
テレビ出演を生業にしている人がテレビを見ないという人を快く思わないのは、ある意味で当然かもしれない。同じ様に、メディア側の人が「メディアが悪い」「マスゴミ」などと言われたらいい気がしないのも当然だろう。しかし古田さんの擁護は明らかに筋が悪い。日本のメディアが期待されて、改善が望めると認識されて当然、という前提での主張としか思えないからだ。
まず1つめの「どこが悪いか分からず改善に繋がらない」について。前述の通り、数年前まで自分も古田さんと同じ様に「メディアはー」というのは主語が大きすぎると思っていたが、今は全くそう思えない。例えば11/7の投稿で指摘したような、メディア全体に蔓延る伝え方のザルさ加減やいい加減さや、この半年だけでも複数事実に沿わない内容を放送したり差別蔑視を平然と示したりするフジテレビなどがある。この傾向は新聞や通信社の報道にも見られ、どの在京テレビ/キー局、全国紙、そして通信社にも似たような傾向があること、そして、もう何年も前から日本の記者クラブ制度が如何に報道の自由を阻害しているかが論じられているし、そんな指摘を国外からも受けているのに一向に改善が見られない。そんな現在のマスメディアを取り巻く状況に鑑みれば、口が裂けても「どこが悪いか分からない」なんて言えないはずだ。本当に分からない、思い当たることが何もないなら、それこそアウトだ。
2つめの「頑張っているメディアにとってダメージ」という話も雑だ。古田さんが何を以て頑張っているメディアと言っているのか定かでないが、11/7の投稿で取り上げた件、11/9の投稿で取り上げた共同通信が「反政府運動」という表現を用いた件について、一体どれだけの同業他社が危惧を示しただろうか。どれだけのメディアが同業他社の不備について頑張って指摘・批判しているだろうか。どれだけの記者が所属メディアのおかしさを頑張って批判・指摘しているだろうか。例えば、自分がツイッターでフォローしているフリーのジャーナリスト・志葉 玲さんは、頻繁に大手メディア等の姿勢について批判をしているが、大手メディアや所属記者らには、そんな姿勢は殆ど見えない。つまり頑張っているメディアなんて殆どないのが現状で、殆どないのだから「日本のメディアは」と大きな主語で括っても実態とかけ離れているとも言い難い。
3つ目の「本当に悪いメディアには全くダメージがない」も変だ。恐らく古田さんは、もっと合理的な批判の仕方があると言いたいのだろうが、「本当に悪いメディア」とは何か。「本当に悪いメディア」と「少しだけ悪いメディア」があるのだろうか。本当に悪いメディアには批判してもしなくても意味がない、として、少しだけ悪い、言い換えれば批判にも一応耳を傾けるメディアは批判する意味がある、のだと仮定すれば、ならば「メディアが悪い」という批判も有効だろう。もっとも「それではどこが悪いか分からない」ようなメディアは、前述のように救いようがないのだし。
そしてこの4つの中で最も滑稽な言い草は最後の「情報エコシステム全体の信頼を落としてカオスになる」だ。情報エコシステム全体の信頼を落としているのは、「メディアが悪い」という大雑把な批判というよりも、メディアに蔓延する不誠実な姿勢だ。そこをすっ飛ばして「メディアが悪い」という批判にその責任を押し付けるのはどうか。
「批判するなら、個別具体的に。それこそ改善への道」と最後にあり、全くその通りだと思う。しかし一方で、この数年間の日本メディア全体的な傾向である不誠実な姿勢、そしてそれが今も続いていることを勘案すると、そんな期待をするだけ無駄、もう日本のメディアには期待してないという人がいても全くおかしくはない。古田さんはメディア側の人だし、メディア側擁護の立場なのは不思議ではないが、古田さんのこのツイートはテレビ演者が「私テレビ見ない、とか言う人ってなんなの?何をアピールしたいの?」みたいなことを言うのととても似ている。
昨今の報道は、しばしばこのブログでも批判しているように、軒並みいい加減で、○○がこう言いました、と垂れ流すだけのザル感に溢れているし、この古田さんの擁護も前段で指摘したようなポイントを見落とすようなザル感に溢れている。勿論ここでのザルはコーヒー用フィルターのようなものではなく、トップ画像の左側のかなり目の粗いザルである。