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日本人は恥を知らねばならない

 虚偽答弁の固定した定義は国会の中にない。官房長官の加藤は12/25の記者会見で、国会答弁における「虚偽」の定義に関して、「何をもって虚偽答弁というかは、必ずしも固定した定義が国会の中であるとは承知していない。使われる文脈によって判断されている」と述べた(加藤官房長官「虚偽答弁の固定した定義は国会の中にない」 - 産経ニュース)。


 これは勿論、前首相・安倍の後援会が桜を見る会の前夜に主催した夕食会の費用を安倍事務所が補填した問題に関して、安倍が事実に反する説明を昨年の臨時国会、今年の通常国会で繰り返したことに関する発言である。虚偽答弁とは、読んで字のごとく虚偽の答弁であり、虚偽とは、「真実ではないと知りながら、真実であるかのように、故意によそおい、見せかける事柄。また、特に誤った思考、知識。うそ。いつわり。そらごと」(虚偽とは - コトバンク)であり、国会云々ではなくごく一般的な用語であり、なので国会法などの法規などではいちいち定義されていないだけだ。
 加藤は恐らく安倍の言い分「私が知らない中で行われた」を以て、つまり「真実ではないと知らなかった、だから嘘・虚偽の答弁には当たらない」と言っているのだろう。しかし今年の通常国会で安倍はこの件に関してかなり厳しい追求を受けており、支払い明細の確認等を強く迫られている。にもかかわらず、報道が出るまで知らなかった、と言うのはあまりにも酷い言い訳だ。どんなに安倍よりに考えても、知らなかったのではなく薄々分かってはいたが真実を知ると都合が悪いので積極的に調べなかった、としか考えられない。
 つまり安倍が「真実ではないと知りながら」嘘の答弁を繰り返していた、と考えるのが自然だし、それよりも安倍は不都合な事実を隠す為に画策した恐れを強く感じる方が更に自然で、加藤の主張には全く合理性が感じられない。

 政府のスポークスマンがこんなことを平気で言う国を、どこの国がまともな交渉相手と認識するだろうか。「日本政府の話は一事が万事整合性に欠け、日本の主張が後に虚偽だと分かったとしても平気で「嘘の定義は一定でない」などと開き直るのが日本だ。だから条約など結べるような相手ではない」と認識するのが正常な感覚/判断だろう。

 昨日の投稿・怠惰な検察について書いていた時も「以前に同じような投稿を書いたな…」と途中で思いだしたのだが、今日も同じ様に「以前にも厚顔無恥という言葉をトップ画像に使ったような」という気がしてきた。いつ使ったのかと言えば、それはおよそ1年前のことだった。因みに厚顔無恥とは「あつかましく、恥を恥とも思わないこと」を意味する四字熟語だ(厚顔無恥とは - コトバンク)。

反社会的勢力の定義すらできないのに改憲などできる筈がない

 2019年12/12のこの投稿で書いたのも桜を見る会の問題についてだった。首相が主催する桜を見る会に招待されていた者の中に、暴力団や半グレ集団の関係者、マルチ商法で多くの被害を出した企業の経営者などがいたことが発覚し、反社会的勢力の関係者が会に招かれたり参加していたりしていたことについて問われた、会の招待者取りまとめの責任者でもある官房長官だった現首相の菅は「結果的に入った」と説明し、それを踏まえて当時の安倍内閣は「反社会的勢力」について「限定的かつ統一的に定義することは困難である」と閣議決定したのだ。

 「真摯な受け止め」「丁寧な説明」「寄り添う」「印象操作」「募ったが募集していない」など、現自民政権でその意味を歪曲された日本語は例は枚挙に暇がない。そして今度は「虚偽」の定義はない、などと、昨年の「反社会的勢力」を定義するのは困難と同じ手法の歪曲が行われた。
 なぜそんな強引で小学生でも詭弁だと分かる歪曲をするのか。それは自分達にとって都合の悪いことを隠そう、なかったことにしようとしているからにほかならない。都合の悪いことをあまりにも強引過ぎる説得力など全くない話で隠そうとする、なかったことにしようとする政府を容認している国を、一体どこの国の政府が、どこの国の国民が信じてくれるだろう。そんな政府を容認するのはよく言えばお人好し、悪く言えばズボラで愚かな日本人だけだろう。
 都合の悪いことを強引に隠そうとする・なかったことにしようとする政府の発表することは、コロナ関連に限らず何も信用することはできない。そんな状況でオリンピックを開いて誰が足を運びたいと思うだろうか。もし今後コロナ感染が急速改善に向かって日本が来年の夏までに収束を宣言したとしても、誰も安心できないし、日本に足を運ぼうなんてのは相当日本に心酔する物好きぐらいだろう。

 投稿の冒頭で批判した加藤の発言のような手法で、都合の悪いことを強引に隠そう・なかったことにしようとする政府は、日本の恥であり、そんな政府を容認している日本人自体も恥だとしか言えない。


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