1890年11/29に施行された大日本帝国憲法は、欽定憲法(君主によって制定された憲法)であり、主権は天皇にあるとされていた。だが、それに代わる民定憲法・日本国憲法が1947年5/3に施行されて以降、日本の主権は国民にある。つまり、日本は断じて「神の国」でもなければ「天皇の国」でもない。日本は「市民の国」「民主の国」である。
日本のジェンダーギャップ指数は153カ国中121位とされていて、いくつかのイスラム系国家にも劣る状況であることは、1/4の投稿でも指摘した。イスラム教は男性よりも女性に対する行動等の制約が多く、イスラム教徒の多い国では女性の社会進出や男女同権の実現が遅れているケースも多いのだが、WEF:世界経済フォーラムは、日本の状況はいくつかのイスラム系国家にも劣ると指摘している。
恐らく日本人の大半は、「日本はイスラム系国家とは異なり政教分離も定められているし、そもそも性に関する宗教的な制約も少ないのに、なぜそんな指摘がされるのか」と不思議に思っているはずだ。しかし日本人が意識していないだけで、日本でもイスラム系国と同じかそれ以上に性に関する制約がある。
1/4の投稿でも触れた、皇位継承が男系男子に限られていること、女性が天皇にはなれないことも、その理由の一つである。天皇は現在日本の象徴であり、日本で有力な宗教の一つである神道の最高指導者的存在でもある。英国は日本同様に立憲君主制の国だが、現在国王は女性である。女性を宗教的な指導者として認めないのは、カトリックやイスラムも同様ではあるが、日本ではイスラム教国と同様にそこに政治が介入し、首相や政府関係者が「男系継承を続けるべきだ」とまで言う。つまり日本の男尊女卑傾向は、少なくともイスラム教国と同レベルだ。
加えて、直近国内外に大きな波紋を呼んでいる、オリンピック組織委会長の女性蔑視発言や、それに付随する政治や社会の指導的立場にいる人達の反応を見れば(2/17の投稿)、日本のジェンダーギャップが一部のイスラム強国よりも低いのも頷ける。因みに、自民党の幹事長が、幹部会合に女性議員を数人加えるよう指示したが、当面は女性に議決権や発言権は与えない方針を示したことは、ロイターなどが英語で配信もしている。
Japan's ruling party wants more women at meetings, but stay quiet https://t.co/Xi6oOKTKks pic.twitter.com/9ZR0jFiWdC
— Reuters (@Reuters) February 17, 2021
昨日・2/17の国会審議の中で菅は、同性愛者であることを公表している立憲の尾辻議員から、「息子さんが同性のパートナーと一緒になりたいと言われたら何て答えるか」と質問され、「仮に自分の家族がそういう状況にあったとしても、当事者双方の性別が同一である婚姻の成立を認めることはまだ我が国では憲法上想定されていない」と述べた。
同性婚「根幹に関わる、極めて慎重な検討が必要」菅首相:朝日新聞デジタル
また、同性婚を認めるか否かについて
我が国の家族のあり方の根幹に関わることなので、極めて慎重な検討をする必要がある
と述べている。因みに尾辻は、菅がハッキリと質問に答えていないことを、「それは子供が同性愛者であるということを受け止めるということなのか、受け止めないということなのかどちらでしょう」と指摘したが、「非常に複雑な心境の中で、検討に検討を重ねる立場になるだろうと思う」と、結局明言を避けた。明言を避けたこの発言に、菅の同性愛に対する嫌悪の意識が滲み出ている。
このような、「我が国の家族のあり方」とか「様々な意見がある」などとして「極めて慎重な検討が必要」とする論法は、同性婚の制度化に関してだけではなく、選択的夫婦別姓に関しても用いられる。
首相、夫婦別姓に肯定的「本人たちが判断」 | カナロコ by 神奈川新聞
家族のあり方に関わる事柄で、現実問題としてさまざまな意見がある。国民の意見や国会における議論を注視して検討していきたい
「本人たちが判断することが自然だ」と言いつつ、「家族のあり方に関わることで、様々な意見があるから、慎重に検討」と、自分で言っていてその矛盾に気がつかないような男が、今この国では首相を務めている。
そもそも市民の国、民主の国で、国や他の人から「家族のあり方」を強制されるべきなのか? 例えば、家長が家族に対する全ての決定権を有する、のような前近代的な家族観は許されない、のような「家族のあり方」の強制は妥当だが、誰と婚姻関係になるか、婚姻後名乗る姓をどうするかなどは、国や他の人から強制されるべき「家族のあり方」ではない。また、"選択的"別姓なのだから、これまででよい人はそのままでよく、逆ベクトルの強制もない。それは同性婚の制度化も同様だ。
菅や政府関係者、与党政治家らの言う「さまざまな意見」とは、一体何を指しているのだろうか。それは果たして尊重すべきような内容なのだろうか。選択的別姓や同性婚に反対する人達の意見が、尊重すべき内容でないことを示す例が、昨夜のETV特集「夫婦別姓“結婚”できないふたりの取材日記」の中にあった。
番組の終盤に、自民党の政治家でいくつかの大臣や党政調会長を務め、2017年に引退し、2019年には旭日大綬章を受章している亀井 静香が、別姓制度を求める夫婦と対談する場面があったが、醜悪としか言いようがないことを言っていた。ブログにて当該部分を文字起こししている人がいたので、そこから最も酷いと感じた部分を引用する。
夫婦:個人個人の思いを尊重できる日本になれるのか?
夫婦:1つの家族の形しか認めない社会になるのか?理想としてはどちらが理想と思いますか
亀井:どちらってこともないけどな。日本はな天皇の国だよ、簡単に言うと
亀井:まあだからね、民がさ夫婦が姓が一緒だ別だなんてね言う事もないんだよ
亀井:みんな天皇の子だから一緒なんだよ。俺なんか古い人間かもしらんけど
亀井:身も心もね、あなたにあげるわというんじゃないといかんよ。身も心も
社会制度の問題を論じる根拠に「日本は天皇の国」と言いだすなんて本当にどうにかしている。それ以前にそもそも日本は天皇の国ではなく市民の国だ。選択的別姓や同性婚に反対する人達の論は全て亀井と同じ、とまで断言はしないが、概ね似たようなレベルである。そもそも伝統的家族観云々と彼らは言うが、家族観に限らず、彼らの言う伝統的価値観とは明治政府によって作られたものであり、伝統的ですらない。
このような、尊重すべき部分が殆どない主張を持ち出して「さまざまなな意見があるから慎重に検討」なんて首相や政府関係者が言っている国なのだから、国外から「日本では男尊女卑・性差別が横行している」と指摘されるのも当然だ。